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42年分の重みを思い出したので、殿下のお言葉は痛くも痒くもありません。

作者: 織子
掲載日:2026/02/03


――ああ、何かしら?この既視感は。頭がくらくらする。立っていられない。



「うっ···」

力の入らなくなったひざがカクンと曲がり、重心が前に傾く。横から伸びて来た腕に支えられ、なんとか倒れずに済んだ。


「ローゼン令嬢、大丈夫ですか?」

咄嗟に支えてくれた人物に、くらくらする頭を支えてとりあえず礼を言う。


(誰だったかしら?)

「ありがとうございます。えっと···エーレンベルク伯」


頭を金槌で叩かれているような頭痛に、思わず眉間に力が入る。


「アデリアーナ・ローゼン!貴様そうやってまたも同情を誘うつもりか!」

「お姉様!もうおやめください!」


壇上から響く大声と金切り声を、亜美は――いや、アデリアーナは睨みながら見上げだ。


(そう、そうだったわ。落ち着いてアデリアーナ。亜美は前の私)


アデリアーナは深呼吸をして目を閉じた。前世でよくしていた、パニックになりそうな時に落ち着かせる方法。


なおも壇上からの叫び声は続いた。


「アデリアーナ!恐れ多くもこの私を無視しているのか?自身の妹に心無い仕打ちをしておいて、よくもそのような不遜な態度が取れるな?」


(···煩い)

アデリアーナは思わず舌打ちをしたくなったが我慢した。


混乱する記憶に集中し、必要な事だけを頭の中で整理する。


(私は、アデリアーナ・ローゼン。16歳。侯爵家の長女だ。――たった今、前世の記憶が蘇ったばかりの)


前世は日本人だった。42歳。非凡な事は何もなく、ただ一つ言えるとすれば、シングルマザーで子供を3人育て上げたことだ。末っ子が成人した歳に、癌で亡くなった。


亜美の記憶の方に意識を持っていくと、涙が出そうだった。考えることを一旦止めて、目を開けて周囲を見渡す。



豪華なシャンデリア。ドレスを着た貴婦人達。


(そうだ。ここは王城···)


王太子であり、アデリアーナの婚約者であるクリフトフ・ベルシュタイン殿下の生誕祭の最中であった。


「アデリアーナ!いい加減になんとか言ったらどうなんだ?!」


さらに言うと、謂れもない事で断罪されている最中でもある。


アデリアーナは壇上に視線を戻し、ため息混じりに言った。

「それで、何でしたっけ?」

(あ、しまった)

砕けた態度で言ってしまったので、アデリアーナは言い直した。


「失礼しました。殿下。もう一度言って頂けると幸いです」

(前世に引っ張られてしまうわ。何もこんな時に42年分の記憶が蘇らなくてもいいのに)


壇上にいるクリフトフは、口をぱくぱくして啞然としている。

「な?アデリアーナ、気でも触れたか?何だその態度は···」


(殿下が驚くのも無理もないわね。我ながら今までの私は気が弱くて、いつも下を向いて····殿下と目も合わせられなかったのだもの)


そうだと言うのに、今のアデリアーナは堂々と前を向きクリフトフを見据えている。


「お、お姉様?早く殿下にお謝りになって?殿下はとても怒ってらっしゃるのよ?」


クリフトフの腕に縋り付くように立っているアデリアーナの義妹、リリアナ。

混ざり合った記憶から、その不快な義妹の記憶を引っ張り出す。




――10年前。アデリアーナの実母である侯爵夫人が亡くなると、半月もせずに父は後妻とリリアナを侯爵家へ迎え入れた。


それからアデリアーナはぞんざいに扱われるようになった。家族の食事の席には呼ばれず、自室で質の悪い食事をし、外への必要以上の外出を禁じられた。

クリフトフとの婚約は幼い頃からの決め事であった為、王宮への皇太子妃教育に行く以外は、アデリアーナは公式のパーティーすら出ることがなくなった。


アデリアーナの代わりのように公式の場へ顔を出すようになったリリアナと、後妻である現侯爵夫人は、行く先々でこう言うようになった。「アデリアーナは社交界に顔を出さず、遊んでばかり」「家では癇癪を起こしリリアナに辛く当たっている」と。


そしてリリアナと現侯爵夫人は、社交もせずに散財してばかりで、妹に辛く当たるローゼン侯爵家の長女と、そんな姉を持ちながらも健気に耐える可哀想な妹を作り上げた。



「···ふむ」

そして今日、久しぶりに参加する公式の場で、こうして婚約者に糾弾されている。

(どうりでお義母様とリリアナが、私にパーティーに出席するように勧めてきたはずだわ。ここで更に私の立場を弱くするつもりね)


つい先ほどまでは、脅威に感じていたクリフトフとリリアナ。42年分の苦労や重みが自分の中に蘇った今では、彼らは子供にしか見えない。


(殿下のお言葉も、こんなに軽いものだったのね)


「それでリリアナ。私は何を殿下に謝罪したら良いのかしら?先ほどの砕けた物言い?」


アデリアーナは今出来る限りの不遜な態度でリリアナに言った。

頭痛は収まってきた。頭痛が収まって来たら、怒りが湧いて来たのだ。今までされた仕打ちが一つ一つ鮮明に蘇る。湧き上がる怒りを抑えることは、今のアデリアーナには無理なことだった。


「えっ」

思わぬアデリアーナの態度に、リリアナはたじろいだ。

(何を驚いているのよ。これこそあなた達が作り上げたアデリアーナ像でしょうに)


リリアナの隣でクリフトフが怒りに震えている。

「アデリアーナ!何だその態度は!リリアナの言う通り、やはりお前の本性はそうだったのか!我々の前では従順にふるまっておきながら、影では妹を虐げていたのだな」


アデリアーナはリリアナを一瞥し、クリフトフに視線を戻しゆっくりと言った。

「殿下、虐げるとはどのような事でしょうか?3日食事を与えなかったり?冬にお湯の使用を禁じたり?それとも熱いお茶をかけたり?」


「なっ···」

クリフトフは絶句した。

「貴様!そのような事を妹であるリリアナにしていたと言うのか!もはや貴様の様な女に王太子妃は務まらぬ!」


顔を赤くして怒るクリフトフの横で、リリアナの顔色が曇る。

(そうでしょうね。どれもこれも、貴方が私にしたことだから)

今言った事は氷山の一角だ。まだまだあるが、ここで言っても仕方がない。

「殿下、今申し上げた事は私がした事ではありませんよ?」

「今さら弁明しても遅い!リリアナ、姉を訴えても良いのだぞ?」

心配そうに言うクリフトフに、リリアナはもごもごと答える。

「い、いいえ殿下。そこまで大事にしたくはありません。謝罪さえいただければ···」

「····!なんて優しいんだリリアナ」


アデリアーナは嘲笑った。

「ふふっ。殿下、リリアナに感動しているところ悪いのですが、訴える?証拠もないのに何を仰っているのでしょう」

何ならこちらにこそ火傷の跡や体罰の跡、様々な物が残っているというのに。


「もう我慢ならん!貴様と婚約したのは、ローゼン侯爵家の長女であるか故だ。貴様との婚約は破棄し、私は新たにリリアナを婚約者として迎える!」


(私にとっては僥倖だわ。貴方との婚約など願い下げだもの)

ガッツポーズをしたいくらいだが、ここでは止めておく。目を輝かせて喜ぶリリアナがクリフトフに抱きついた。


「きゃあ!嬉しい殿下」

押し付けられた豊かな胸に、クリフトフの鼻の下が伸びる伸びる。


リリアナは肢体を押し付けたまま顔だけこちらを向き、口の端を歪めて言った。

「でも、それではお姉様はどうなるの?長年の王太子妃教育が無駄になっては勿体ないわ」


クリフトフは少し思案するそぶりを見せた。

「ふむ。それもそうだな。王太子妃教育もタダじゃない···アデリアーナには反省させた後に、王宮に出仕することを許そう。そしてリリアナの補佐をさせよう」


(ここまでシナリオとして考えていたのね。自分はリリアナと遊んで過ごして、公務は私に丸投げということ?冗談じゃないわ)


アデリアーナは冷たい眼でクリフトフを見た。クリフトフは尚も叫ぶ。


「なんだその眼は!侵した罪の重みがまだ分からないのか!」


「殿下、あまり声を荒らげてはお姉様が萎縮してしまいますわ」

上機嫌になったリリアナは、クリフトフの腕を更に自分に寄せる。


·····萎縮など、するはずもない。

亜美の子供は皆ガタイが良かった。大学まで柔道をやっていた。そんな屈強な三兄弟を相手にしていたのだ。

(ひょろひょろの王太子に怯むはずもないでしょう)


ましてや王太子の自覚も持たず、甘やかされ、王城でぬくぬくと暮らしていたクリフトフに。



アデリアーナは出来る限り低い声を出した。

「······婚約破棄は受け入れます。ですがリリアナへの仕打は事実無根です。そして婚約を破棄してなお、私に公務を丸投げすることは受け入れられません」


「何だと?罪を軽くしてやるというのに、何だその物言いは。今までリリアナに行った非道の数々を全く反省していないのか?」


話の通じないクリフトフに、アデリアーナのどこかの血管が一本切れた。



「――いい加減にしなさい!!」


アデリアーナは腹の底から声を張り上げた。三兄弟を叱る時と同じ声量だったつもりだが、大声を出し慣れていないアデリアーナの喉からは、やはり思っていた程の声量は出ない。それでも静まり返っていたホールには響き渡った。勢いそのままにアデリアーナは口を開く。


「殿下、証拠もないまま一人の意見を鵜呑みにして、決めつけてはなりません!それも公の場で、16歳の少女に良いように転がされて····王太子である自覚を持ってください!」


怒りで手のひらに血がにじむほど握りしめ、アデリアーナは我に返った。


みるみる顔が赤くなるクリフトフに、アデリアーナは悟った。


(あ、まずい。言い過ぎた)



「王族侮辱罪だ!衛兵!アデリアーナを独房にいれろ!」

クリフトフが叫ぶと、帯刀した兵がアデリアーナを取り囲む。



「――お待ちください」


低い声がホールに響いた。

声の主は兵より早く剣を構え、アデリアーナを庇うように立った。


「殿下、これ以上はやり過ぎでございます。兵をお下げください」


アデリアーナの前に立ったのは、先刻アデリアーナを支えてくれたエーレンベルク辺境伯だった。



エーレンベルク辺境伯領は、北部の山地に囲まれた厳しい土地にある。エーレンベルク辺境伯が束ねるベルク騎士団は、王都や街や村を魔獣の被害から防ぐ王国の盾だ。

特にエーレンベルク辺境伯は、国境を脅かす北部の魔獣たちを容赦なく一掃する、北部の怪物との異名まである。


アデリアーナは辺境伯の精悍な背中を後ろから眺めた。前世でも今世でも、こんな風に男性に守られるのは初めてだ。


クリフトフの猛攻が止まった。国政に疎いとは言え、国境の防衛を一手に背負うエーレンベルクを、クリフトフはどう扱っていいのか分からないようだ。


「····辺境伯、何の真似だ?辺境伯がアデリアーナを庇う理由はないはずだが?」


「真偽も確かめぬまま、侯爵令嬢を独房に入れるなど、見過ごす訳には行きません」


エーレンベルク辺境伯が鋭い視線をクリフトフとリリアナに向けた。


「殿下、どなたですの?あの傷だらけの恐ろしい方は···」

リリアナが言うと、クリフトフはニヤリと口元を歪めた。


「ふむ、そうか!辺境伯、そなたアデリアーナが気に入ったのだな?それならそうと申すが良い」


「···は?」

アデリアーナは思わず声を出した。何を言いだすのか。嫌な予感がする。

辺境伯の眉がピクリと動く。


クリフトフは嘲笑うように言った。

「今しがた婚約は破棄したのだ。辺境伯がアデリアーナを貰ったらどうだ?アデリアーナも婚約破棄となっては嫁ぎ先もないだろう」


「な···」

思わず絶句してしまう。この態度からして、辺境伯を恐れたリリアナを見て、嫁がせることが報復になると

思ったのだろう。リリアナのことも、もちろんエーレンベルク辺境伯のことも侮辱した発言だ。


エーレンベルク辺境伯を、このような物言いで侮辱した事が陛下の耳に入れば卒倒ものだ。


陛下ですら辺境伯には軽々しく命令できないことを、クリフトフは知らないに違いない。


パリパリとエーレンベルク辺境伯の周囲の空気が乱れた。前を向いていて表情が見えないはずなのに、怒りが伝わってくる。 


「殿下、ご冗談が過ぎます」

もともと冷え切っていた空気が、更に冷たくなった。


「――あっ」

エーレンベルク辺境伯は、唐突に振り向いた。

「ローゼン嬢の事が嫌だと言っている訳ではありません。私の方がだいぶ歳上ですし、私では貴方に釣り合わないという意味です」


アデリアーナを見るエーレンベルク辺境伯の眼は、一見冷ややかだが、冷徹さは感じなかった。澄んだ空のような蒼い瞳。吸い込まれるようにアデリアーナは見つめた。

アデリアーナも辺境伯をちゃんと見るのは初めてだ。先ほどは慌てて顔も見れなかった。


銀糸の様な髪と、切れ長で澄んだ蒼い瞳。形の良い鼻と唇。端正な顔立ちにも関わらず、リリアナが怯えたのは左目の目尻から頬へ繋がる傷跡の為だろう。その他にも肌が見えている場所には、無数に小さな傷がある。


(怖がるなんて失礼だわ。この国を魔獣から守ってくれた証なのだから)


そもそも、アデリアーナは全く怖いと感じなかった。――むしろ、


(·····なんてかっこいいのかしら)


一目惚れに近い感情を抱いたくらいだ。


(本当にこの方に嫁ぐことが出来るなら、幸せだわ)


一瞬妄想の世界に浸っていたアデリアーナは、すぐにクリフトフの高笑いに現実に戻された。


「はははは!エーレンベルク伯、お世辞など言わなくても良い。分かっただろう?アデリアーナ。そなたにはもう嫁ぐ家門はなさそうだ。リリアナの補佐に徹すると良い」


(死んでも嫌だわ)

この世界の庶民の暮らしは分からないが、前世を思い出した今、侯爵家を出てもアデリアーナなら1人で生きていける。

追放されても構わない覚悟でアデリアーナはクリフトフを見据えて前に出た。


「殿····わっ?」

腕を掴まれ、引っ張られた。


クリフトフに一言言ってやろうと意気込んだアデリアーナは、勢いよくエーレンベルク辺境伯の胸に収まった。

「エーレンベルク伯?」


エーレンベルク辺境伯は、アデリアーナの腕を離さない。

「では、お言葉に甘えてローゼン嬢に求婚させていただきます」


そう言うと、エーレンベルク辺境伯は膝を折り、アデリアーナの手にキスをした。


「アデリアーナ・ローゼン嬢。貴方の堂々とした振る舞いに、すっかり虜になってしまいました。私に貴方に求婚する権利をいただけますか?」


思わぬ展開にアデリアーナは固まった。熱を帯びた蒼い瞳に、自分が映っている事に気付くと、アデリアーナは真っ赤になって狼狽えた。


「そ、そんな···」


狼狽えるアデリアーナを見て、エーレンベルク辺境伯の蒼い瞳は一瞬見開いた。瞳に更に熱が籠る。

添えた手を握り、口元に近づけたままエーレンベルク辺境伯が更に言う。


「ローゼン嬢、お返事をいただきたい」


「は、はい」

アデリアーナは真っ赤になったまま、理由もわからず返事をした。


エーレンベルク辺境伯はニヤリと微笑い、立ち上がった。


「では殿下。ローゼン嬢から色よい返事をいただけましたので、我々はお先に失礼致します」


アデリアーナは腰に手を回されたが、足に力が入らない。

「失礼」

「えっ」


驚く間もなく、エーレンベルク辺境伯はアデリアーナを軽々と抱き上げ、そのままくるりと向きを変えた。


「――ま、待て!衛兵、行かせるな!エーレンベルク辺境伯、本気か?」

壇上からの声に、エーレンベルク辺境伯は少し首を回して振り返り、冷たい声で答えた。

「もちろんです。殿下、私にチャンスをくださり感謝致します」


出口に向かって足早に進み、行く手を阻むように出て来た衛兵たちを一瞥する。片手でアデリアーナを抱いたまま、もう片方の手を剣の柄に添える。


「切り捨てたい所だが、反逆と誤解されるのは困る。卿達は命が惜しければ下がれ」


王国で唯一剣聖と呼ばれる男の威圧に耐えられるはずもなく、衛兵達は後退りする。


壇上が遠ざかり、アデリアーナはエーレンベルク辺境伯の肩越しに2人を見た。

青ざめた顔をしているクリフトフと、歯を食いしばっているリリアナ。


「――くそっ」

クリフトフの声が微かに耳に届いたが、アデリアーナは前を向いてエーレンベルク辺境伯に身体を預けた。







❉❉❉❉❉❉


「ローゼン令嬢、申し訳ありません」


帰りの馬車の中で、エーレンベルク辺境伯が唐突に言った。アデリアーナは夢心地の中でぼうっとしていたので、頭を下げている辺境伯を見て慌てた。


「えっ、何故謝るのです?」

「公式の場で、あのような求婚をしてしまった事です。ようやく王太子殿下との婚約が解消出来ると言うのに·····貴方への求婚者が減ってしまうかもしれません」


先ほどまでの堂々と王族を見据えていた姿とは異なり、しょんぼりと肩を落としているエーレンベルク辺境伯。

(可愛らしい面もあるのね)

アデリアーナは思わず頭に触れてしまった。


「···っ?!」

触れられた事に驚いたのか、エーレンベルク辺境伯はパッと顔を上げた。屈んでいたアデリアーナの鼻先と触れそうになり、アデリアーナは真っ赤になって慌てて謝った。

「すみません。髪に触れるなど無礼でしたね」

「え?髪に触れようとされたのですか?何故····」

エーレンベルク辺境伯も顔を赤らめ狼狽えている。その姿に、アデリアーナは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。

(な、何なの。エーレンベルク伯、可愛いすぎるわ)


跳ねる心臓を抑え、アデリアーナは咳払いをした。

「こほん、ええと、エーレンベルク伯は私が王太子殿下との婚約解消を望んでいることを知っていたのですか?」


エーレンベルク辺境伯伯視線を落として言った。

「ええ。貴方が殿下から不当な扱いを受けていることは、高位貴族なら誰もが知っていましたから」

「そうなのですね···」


それもそうだ。王城でよく顔を会わせる貴族たちには分かっていたこと。だからこそ、軽んじられ、クリフトフの不始末の尻ぬぐいをさせられていた。



「私は中央の事には疎いのですが、貴方の事は知り合いに聞いて知っていました。ですが、婚約の継続を望んでいると思ったのです。王太子妃と言えど、ゆくゆくは王妃。貴族の令嬢で最も誉れ高いものですから」


(そうよね····次期王妃の身分を捨てたいなどと言う貴族令嬢はいないわね)



「ですが、解消を望んでいたのでしたら、もっと早くにお助けするべきでした。気付けずに申し訳ありません···これまで大変でしたね」

エーレンベルク辺境伯は優しく言ってくれた。


たった一言。有り触れた言葉たが、アデリアーナは涙が出るほど嬉しかった。この感情はアデリアーナが今のアデリアーナになる前のものだ。孤独に奮闘していた日々が報われる想いだった。


ぽろりと涙を流したアデリアーナを見て、エーレンベルク辺境伯はまた慌てた。

「どうされました?私がまた失礼を···?」


(この方は冷酷と噂で聞いていたけれど、全然そんなことないのね)

アデリアーナは少し意地悪をしてみた。


「先ほどエーレンベルク伯は、私に求婚者が減るとおっしゃいましたね。エーレンベルク伯が私を貰ってくださるのではなかったのですか?」


アデリアーナの言葉にエーレンベルク伯は固まった。

「先ほどの事はあの場を去る為に仕方なく···不快だったでしょう?申し訳ありません」


(あらっ。そんなつもりじゃなかったのに)

蒼白になるエーレンベルク辺境伯に、アデリアーナは詰め寄った。


「不快だなんてとんでもありません。私は嬉しかったのです」

「···え?」

アデリアーナの言葉に驚いたエーレンベルク辺境伯は、狼狽えながら言った。


「ご冗談を。私は今年で33になります。ローゼン令嬢は16歳におなりでしょう?こんなに歳の離れた私に求婚されて嬉しいはずがありません」


(33?こんなに可愛い反応をする33歳の男性がいるなんて)


アデリアーナは前世の記憶が戻ったばかりで、感覚として42歳だ。思わず(私より10も若いじゃない!)と考えてしまった。


「33歳だなんて、男性で一番輝いているお歳じゃありませんか···」

「え?」

「あ、いえ」


前世での夫とは3男を産んですぐに別れた。思い出したくはないが、些細な衝突が積み重なった結果だ。

別れた時には、もう自分は二度と人を好きにならないだろうと思っていた。けれども、目の前のこの人を逃してはならないとアデリアーナの直感が告げている。


「エーレンベルク辺境伯、私を婚約者としてエーレンベルクへ連れて行っていただけませんか?中央はもう疲れました。エーレンベルクで療養したいのです」


しおらしく言ってみた。


(駄目かしら···?)

恐る恐る前を見ると、エーレンベルク辺境伯は思案している。


(ああ。思案されてるお姿すらかっこいいわ)


「その、ただ療養に行くだけなら、王太子殿下に連れ戻されそうで怖いのです。エーレンベルク辺境伯の婚約者ならば、無理に連れ帰ることは出来ないでしょうし···駄目でしょうか?」


(お願い。良いって言って)

手が震える。


「ローゼン嬢」

呼ばれて前を向くと、エーレンベルク辺境伯は柔らかく微笑んでアドリアーナの手をとった。


「そんなに緊張なさらないでください。分かりました。貴方をエーレンベルクへお連れします。時が来るまで、婚約者として貴方をお守り致します」


アドリアーナは安堵の余りまた涙が溢れそうだった。潤んだ瞳のまま、自然と笑みが溢れる。


「ありがとうございます。私の事はアドリアーナとお呼びください」


アドリアーナを惚けたように見つめていたエーレンベルク辺境伯は、またしても顔を赤らめた。


「あ、はい。では私の事はヴァイスと」


アドリアーナはにこにこして言った。

「これからよろしくお願いしますね。ヴァイス様」

「はい。こちらこそアドリアーナ」


アドリアーナはぼそりと一言加えた。

「それとお覚悟を」


アドリアーナの呟いた一言は、エーレンベルク辺境伯に届いたのか。届かなかったのか。微笑うアドリアーナに、ただただ戸惑っているように見えた。


(これからこの方に、私を好きになってもらわなくてはならないわ)


アドリアーナの決意と共に、馬車は進んだ。







❉❉❉❉❉❉


それからエーレンベルク辺境伯領では、領民たちの間で噂が立った。


王都から戻られた辺境伯が、若く美しい婚約者を連れ帰ったと。


そして一月後には領民達の前で婚約式を上げた。

領民達は、辺境伯が婚約者に入れ込み、早々と式を上げたと噂しているが、実は婚約者の方が外堀を埋める為に式を上げたとかそうでないとか。


いずれにしても、女性に一切興味を持たず、冷酷だった辺境伯の心変わりに、領民達は喜んでいたそうだ。








読んでいただきありがとうございます。


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以下、後日談

 ↓


「クリフトフ殿下とリリアナは大丈夫でしょうか。あの二人が国を背負っていくとなると、やはり心配になります」

「それについては気に病まなくても大丈夫ですよ。クリフトフ殿下の継承権は直に剥奪されるでしょう」

「え?」

「王太子の座に就いても公務を避け、貴方に押し付けていましたからね。近年の身に余る行動も加え、クリフトフ殿下を支持する勢力はもうほとんどありません。優秀な弟君たちも居ますから」

「そうでしたか···」

「はい。ですからアドリアーナ。心配せずに、心行くまでエーレンベルクに居てくださって構いませんからね」

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― 新着の感想 ―
廃嫡された王太子とくっついた義妹とそそのかした義母、それを放置した父親も何らかのペナルティをくらいそうですね。
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