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語らい、そして


 呼び立てに応じて庭先へと出ると、見計らったように空を舞っていた白銀が眼前に舞い降りた。

 艶めく銀の豊かな鬣に獅子のように逞しい体格、それを軽々と宙に浮かせる翼は地に引き摺るほどに長く大きい―――。

 相棒ファイより一周りは大きな狼神竜の王とその背に跨がる若き総領の雄姿に、翠は直ちに深く頭を垂れた。


「翠殿、面を上げて欲しい。頭を下げねばならんのは私の方だ」


 素早く鞍から降りるや蘇芳は足早に歩み寄り、彼女の頬に触れた。

 その手に促され、恥ずかしげに面を上げれば、爽快な様子で総領が満面の笑みを浮かべていた。


「ありがとう…、そなたのお陰でやっと思うように体を動かせる。これほど清々しい日は初めてだ…!」


 溢れる喜びと感謝の言葉を告げ、蘇芳はその両手を手に取って深く頭を下げた。

 長年苦しんだ胸の痛みは立ち消え、思う存分に汗を流せることが有り難かった。

 今を生きている実感がした。


「あ!こら、ファイ!」


 唐突に響いた声と軽快な地鳴りに、何かと二人で振り返る。

 見れば手綱を持っていた父の手を振り払い、ファイが一目散にこちらへと駆け寄って来た。

 そして名前を呼ぶように甲高く鳴き声を上げ、ファイはその無事を確かめるように翠へと擦り寄った。


「ちょ!もう大丈夫だから…!心配してくれたんだね。ありがと…!もう大丈夫だよ!」


 熱烈な擦り寄りに苦笑しつつ、翠は目一杯相棒を抱き締める。

 そんな彼女達の絆の深さに、蘇芳は感心した様子で顎を撫でた。

 狼神竜と友愛の絆で結ばれた者は、その絆の強さだけ妖力が跳ね上がる。

 元来、彼女の持っていた力の強さもあるのだろうが、ファイとの絆が持ち得た妖力を底上げし、葛之葉一族の秘術を発動させるまでに至ったのだと理解した。


(これは彼女の甲斐性と日々の努力の賜物だな…)


 そう考えながら満足げに微笑む主人に、不意に王竜は背後からドンっと脇を小突いた。

 ぼーっと見てないで、とっとと自分を紹介しろとでも言いたげである。


「おっと…そうだな。翠殿、我が友の王竜、(えんじゅ)だ。そなたの友の名は?」


 手綱を引いて紹介しつつ、蘇芳は小首を傾げる。

 王の名を聞いて、彼女は思わず顔を綻ばせた。

 何という偶然だろう。


「ファイと言います。王竜様と同じ槐の木から取りました」


 その回答には蘇芳も驚いた。


「これは何という(えにし)か…」


 感慨深く、そう呟いた時だった。


「失礼致します」


 毅然とした声で、屋根内より三指を立てて座した蓮花が声を掛ける。

 彼女も新たな里長一族らしく身なりを整えていた。


「蘇芳様、茶の準備が出来てございます。宜しければこちらの縁側にて翠とご一緒に如何でしょうか?」


 気の利いた提案だった。

 是非にと答え、二人は手綱を解いて互いの竜を庭先へと放つ。

 途端に飛び上がって遊ぼうと誘うあどけないファイに、王竜も応えるように飛び上がり、二頭は追いかけっこをして戯れ始めた。


「ふむ…、性格の相性は悪くなさそうだな…」


 頂戴した茶を啜りつつ、蒼天で豪快に遊ぶ竜達の様子に蘇芳は満足げ。

 そんな彼の隣に腰掛けた翠は、ファイの無邪気が過ぎて粗相をしないかヒヤヒヤしていた。


「…翠殿は日頃、ファイとよく狩りに?」


 相棒を気に掛ける彼女に、蘇芳は笑みを浮かべて質問。

 翠はハッとしたように湯呑みを手に取り、気を改めた様子で照れ笑いした。


「はい。お恥ずかしながら、あまり裕福な生活では無かったもので…。ファイがよく食べる子なので、餌となる肉の調達を兼ねて週に一度は森に出ています」


「それは中々…、昨日もその足で?」


「あー、あれはファイの悪戯が…」


「悪戯?」


「売り物にしようと育てていた苺の畝があったのですが、ファイが摘まみ食いをしようとしたらしく、鳥避けの網を燃やされた挙げ句に苗を滅茶苦茶にされてしまって…」


「ふはっ!それは災難…!そうか、それであの苺は焦げていたのか…!三歳獣で既に息吹を使えるとは大したものだが…!」


 貰った苺の痛みの理由に納得して、これは傑作だと蘇芳は膝を叩いて大笑い。

 翠は気まずげに茶を唇に運んだ。


「そんな苺をお渡ししてしまって、本当に申し訳ありません…」


「いやいや…、甘くて瑞々しく、とても美味しかった。お父上を手伝い、薬草栽培をしているだけあって作物を育てるのも上手なのだな」


「そんなっ…、私はまだまだ力不足で…」


 謙遜して俯く翠に蘇芳は温かな眼差しを送る。

 見事な木蓮の花が揺れる庭を背景に語らう二人に、蓮花や芙蓉の女衆は遠巻きながら、その恋路をキャッキャッと眺めた。


「…さて、馳走になったね」


 お暇の時刻が迫り、蘇芳は翠との別れを惜しみながらも腰を上げる。

 庭で目一杯遊んだファイと槐は仲良さげに日向で寝転がり、いつの間にか集った他の狼神竜達と共にうたた寝をしていた。


「槐、刻限だぞ?」


 歩み寄り、蘇芳が声を掛けるも槐は眠たげに、もう?とばかりな怪訝な顔。

 その腹に頭を預けていたファイも寝ぼけ眼で起き上がったものの、ぼーっとしていた。

 二頭とも互いの温もりが心地良かったらしい。

 ファイが幼獣の域の為、双方まだ番としての認識はないようだが、このまま行けば難無く見合いは成立しそうだ。


「あの、蘇芳様」


 名を呼びつつ、おずおずと翠が包みを持って歩み寄る。


「芙蓉の皆がお弁当を包みました…。従者の方々にも預けましたので皆様で召し上がってください」


 恐縮の様子で包みを差し出し、彼女は頭を下げる。

 受け取って確認すれば、握り飯と香ばしい魚の揚げ物、それから苺が竹籤を編んだ容れ物に綺麗に収まっていた。


「これは有り難い…。芙蓉の皆によく感謝を伝えて欲しい」


「承知致しました」


 深々と頭を下げつつ、翠は出口へと向けて案内すべく歩み出す。

 その背に続いて、蘇芳は名残惜しそうな槐の手綱を引いた。

 その刹那だった。

 突然、槐は手綱の手を振り払い、周囲の竜に叫ぶように咆哮を上げながらファイの下へと駆け戻る。

 途端に周りの竜達は護るようにファイを取り囲み、直後、何処からともなく放たれた矢を槐は炎の息吹で見事焼き払った。


「…下手糞…!」


 そんな声が微かに聞こえ、ハッと振り返った翠は体を翻す。

 ――総領を守らなくては!

 飛び掛かるように蘇芳へと駆け寄る。

 しかし、狙われていたのは彼女自身だった。

 その背後に火炎が迫った。


「翠殿!」


 名を叫んだ蘇芳は駆け着けた彼女を抱き締め、火炎へと手を翳す。

 瞬間、意志を持った風が庭の池の水を纏い、飛沫となって火炎を吹き飛ばした。

 ジュウッ!と音を上げて、立ち上った湯煙の向こうには粗末な着物を振り乱し、鬼の形相をした蘭姫の姿があった。


「蘭姫…⁉あんた何でここに⁉」


 屋根内より騒ぎを聞きつけ、槍を持って駆け寄った蓮花は戦慄した。

 謹慎として龍刹家の屋敷に押し込められていた筈だった。


「何でお前が…!下民が蘇芳様の隣にいるんじゃないわよ!そこは羽偉の里長一族の姫である私の場所よ⁉」


 怒鳴り散らし、袖を振り上げた腕が先程よりも大きな火炎を作り出す。


「…龍刹家の…!私達の悲願なのよ⁉やっと好機が巡ってきたのに!」


 涙ながらに蘭姫は叫び、仇とばかりに翠を睨み付ける。

 しかし直後、まるで頭を冷やせとばかりに多量の水がその頭上に降り注いだ。

 あまりの水圧に蘭姫は地面に叩きつけられ、這い蹲って噎せ返った。


「その愚かさが花嫁になれぬ理由だとまだ分からぬのか?」


 濡れた砂利を鳴らし、冷ややかに蘇芳は言い放つ。

 駆け付けた侍従達に取り押さえられた蘭姫は、訳が分からないとばかりにキッと睨み返した。


「何故、王竜の伴侶の雛が選ばれた者にしか預けられぬか知っているか?伴侶の雛は例え王竜に選ばれずとも、強き仔を次の代に産み落とすのだ。時にはその妖力の高さから、命を賭けてこの偉傑華を護る護衛隊が駆る竜に選ばれる事もある。竜の雛を死なせることは巡り巡って偉傑華の安寧を脅かすことに繋がるのだ。そなたはそんな事も分からぬか?」


 淡々と、しかしながら怒気を纏わせる蘇芳に、蘭姫は反省どころが鼻で笑った。


「たかが獣一匹でしょ?何で、そんな畜生に私の人生が台無しにされなきゃいけないのよ!」


 涙ながらも、その言い草はあまりにも傲慢だった。

 偉傑華の民でありながら―――、狼神竜と生きることを誇りとする民でありながら、そんな事がよく言えると呆れ返った。


「話にならぬな…」


 深い溜息を漏らし、蘇芳の冷徹な視線が蘭姫を貫く。

 彼は総領として決断を下した。


「偉傑華総領、榧ノ宮 蘇芳の名において命を下す。この者、龍刹 蘭を王竜の伴侶を仇なした逆賊として捕らえよ。そして、この者に加担した者と共に竜斬り山への流刑とせよ」


 それはこの地において最も重く、死刑に匹敵する罰だった。

 竜斬り山は偉傑華の北にある極寒の流刑地で、あまりに過酷な環境故に人は一週間と生きられない。

 そして、そこで息絶えた者は凶暴な魔物の餌にされ、無論、弔われることは無い。


「そんな…!お、お考え直しください!私が悪ぅございました!」


 言い渡された最高刑の処分に、途端に蘭姫は必死に縋り付いた。

 しかし、蘇芳は冷ややかに一瞥したきり、切り捨てるように羽織を翻した。


「翠殿、怪我は?」


 背後で泣き喚く蘭姫とそれに加担した不埒者が連行される中、槐に寄り添われ、ファイを抱き締める翠へと駆け足で歩み寄る。


「私は大丈夫です」


 そう毅然と言うが、彼女は震えていた。

 無理もない。

 手塩に掛けて育ててきた生涯の友を殺されかけ、自身も火炙りにされ掛けたのだ。

 突然の襲撃に尚も恐怖する彼女を慰めるように、ファイはその頬を舐めて慰めていた。


「そなた達の事は私が生涯を持って護ろう…、もうこのような想いはさせぬ」


 堪らず翠を抱き締め、蘇芳は誓いを告げた。

 総領の花嫁は何事にも動じず気丈でなくては困る。

 しかし、一人の夫として―――、生涯の伴侶として彼女を迎えるならば、この身を賭してでも護ってやらねばと己を律した。


「…三年後、煌華で待っている。健勝を祈る…」


 そう耳元で囁き、静かに額へと口付ける。

 迫った刻限に紋付きの羽織を翻し、従者達が頭を下げる中、蘇芳は堂々たる歩みで槐と共に牛車へと乗り込んだ。


「必ず会いに行きます!蘇芳様もお元気でっ!」


 里を離れ行く一行に、翠はファイの手綱を引きながら声の限りに叫んだ。

 その姿は目に見えずとも、覚悟を持って暫しの別れの手を振り続けた。 

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