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来訪


 狼神竜は成獣になるまで五、六年を要する。

 初めは羽の生えた犬のようだが背丈は次第に馬と同等となり、雌雄で多少の違いはあるが頭には山羊ような立派な角が生える。

 そして、成獣となった暁には身に宿す妖力を使って炎の息吹を吐くことが出来るようになるのだが―――。


「これ、ファイの仕業?」


 父の仕事の遣いから帰った翠は、焼け焦げた苺の畝に頭を抱えた。

 真横では父の竜に頭を踏まれ、手荒い教育指導を受ける相棒の姿があった。

 孵化したファイの面倒を見始めて早三年―――。

 王竜の伴侶とあって特別なのは分かるが、既に炎の息吹を使えるようになったファイは、時折洒落にならない悪戯をするようになった。

 収穫期に入って赤く染まった苺畑は、手加減を知らない炎により滅茶苦茶である。

 どうやら苺を盗み食おうとしたが鳥除けの網が角に絡み、焦って焼き払おうとしたらしい。


「王竜の伴侶って弱いんじゃないんかい!」


 父と共に苺苗を直しつつ、話が違うと叫んだ。

 病弱だというものだから竜の体に良い薬草や新鮮な獣肉を毎日与え、毛並みや翼の手入れも欠かさず、手塩に掛けて育ててきたが想定外に病気一つせず元気に育った。

 気性もそこまで荒くはなかったが、その分好奇心は旺盛である。


「まあ、煮詰め(ジャム)にする手間が省けたんじゃない?」


 前向きに捉える父だが、それにしたって損害は大きい。

 何よりこの苺畑は翠自身が父の仕事を手伝う傍ら、小銭稼ぎに始めたものだ。

 育て易くて実りも多く、形が良ければ高く売れる苺は良い収入になる筈だった。


「ファイ、狩りに行くよ!」


 苺苗を粗方直し終わった直後、翠は損害を取り戻すべく弓矢を担いだ。




 夕暮れ迫る中、今日の獲物をファイの背に担がせ、その背に跨る。

 森の中はまだ日陰に雪の残る季節とあって、大きな良い獲物には恵まれなかった。

 一先ずあまり遅くなると大型の獣が出たり、怪我の危険も高いので家路を急ぐことにした。


(暫くこのくらいの収穫があれば良いんだけど…)


 今後を憂いながら、鞍に括り付けた獲物を確認。

 苺の稼ぎが当てに出来なくなった分、暫くまた頻繁に狩りに入るしか無いと肩を落とした。

 相変わらずよく食べるファイの世話に加え、翠自身も布支度――、花嫁修業を始めねばならない年齢に来ている。

 料理や裁縫の腕は日々の生活で上達したが、花嫁衣装や輿入れ道具に必要な布地や糸を一から作るのは時間的に現実的ではなく、かと言って一式買い揃えるにはまだまだお金が足りない。

 挙げ句、ファイが王竜の伴侶である現実は変わらず、万が一、総領の花嫁などに選ばれようものならば取り揃える品は一級品に限られて、その費用は狂気の沙汰だ。

 裕福ではない翠の家では中々頭の痛い問題である。


(…まあ、家柄的に有り得ないし、傑蓮の里にも花嫁候補はいるって言うし…)


 気休めにそう考えつつ、里へと繋がる道に戻った時だった。

 後方から上等な造りの牛車と護衛と思われる複数人の男がやってくる。

 見るからに雅族の御仁だ。

 ―――何と間の悪い。

 獲物の処理をするに帰りを急ぎたいが相手が特権階級とあっては、道を譲らずいちゃもんを付けられた時、非常に面倒くさい。

 渋々ファイを道の隅に寄せて鞍から降り、片膝を突いて頭を下げつつ牛車が通り過ぎるのを待った。


「お主、羽偉の里の者か?」


 ぴたりと目の前で止まった脚に、げっ!と内心、苦い顔をした。


「はい。芙蓉家第三分家の子、翠と申します」


 冷静に顔は上げずに名乗った。

 繰り返すが、この地の仕来りで身分の低い者は相手に言われない限り、面を上げてはならない。

 特に雅族は伝統や風習を重んじるので失礼のないように徹した。


「おお、芙蓉家の者か。狐を二匹も仕留めるとは大した腕だ」


「恐れ入ります」


 内心では早く行ってくれと思いつつも、褒め言葉に恭しく言葉を返した。


「翠殿と言ったな。すまんがこの辺りに十分な水がある場所はないだろうか?主の具合が優れず、休める場所を探している」


 その本題を早く言えと思った。

 この辺りの水場は山道を登れば近くにあるが、牛車ではとても行ける場所ではないし、具合が悪いとあっては勧められない。


「恐れながら、この辺りは何処も道が険しく、歩いて行けるのは獣も集う水場です。陽も沈みますので、少し先ですが羽偉の里にて休まれるのが最善かと」


 辿り着いた回答はそれだった。

 昼間なら兎も角、今の時間では熊や狼に出会す危険もある。


「そうか…、ならば里長に取り次いでは貰えぬだろうか?これを渡せば話が通じる筈だ」


 その言葉と共に、不意に視界に差し出されたのは懐刀である。

 しかも、その鞘に施された家紋は―――。


「か、榧ノ宮様っ!?」


 思わず声と視線を上げてしまった。

 視界の中では護衛の男達が、困ったように苦笑いしている。


「た、大変失礼しました!直ちに里長に伝えて参ります!!あっ!あと喉を潤すのに良かったら!」


 慌てて頭を直角に下げて、腰袋から自分のおやつ用にブリキの弁当箱に入れて持って来た苺を手早く渡す。

 そうしてファイの手綱を引っ手繰り、脱兎の如く里へと急いだ。

 そんなお転婆な背を見送り、苺を貰い受けた護衛の男は困り笑いながらも牛車の中へ。

 御簾の奥、窮屈そうに身を丸める白銀の狼神竜とその腹に体を横たえ、胸の痛みに脂汗を掻く主人、蘇芳へと年季の入った蓋を外して苺を差し出した。


「…苺か…っ…、有り難い…」


 よく熟れた瑞々しい苺を見るや、その顔が綻んだ。


「王竜様、毒はありませぬか?」


 護衛の問いに王竜の槐は苺へと鼻を寄せ、問題ないとばかりに舌舐めずり。

 背を支えられながら蘇芳は早速、苺を口へと運んだ。

 柔く仄かな甘みが、痛みと長旅に疲れ果てた体に沁みた。


「羽偉の里までもう暫くご辛抱を…」


 気を強く持つようにと護衛は告げ、ブリキの便当箱を握らせるや外へと急いだ。

 間もなく再び揺れ出した牛車の中、もう一つと苺を摘んだ時だった。

 何かに気付いた槐が、クゥクゥと甘えるような声を出しながら苺の匂いを嗅ぎ始める。

 初めは甘い香りに食を唆られたのかと思ったが、その鼻息の荒さと炙られたような苺の痛みで勘が働いた。


(…微かだが、あの時と同じ妖力を感じる…、…まさか……)


 苺に残る微かな気配に、蘇芳は俄に目を剥いた。

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