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狩り


 深い森の中、草を食んでいた兎の頭を矢が貫く。

 何が起きたかも分からぬまま事切れた兎に駆け寄り、翠は手を合わせて矢を引き抜いた。

 その場で素早く血抜きをして、軽快な足取りで父に借りた手押し車の方へ。

 先に仕留めた獲物を鳥に突かれぬよう一回り大きくなったファイが見張る中、揚々と家路に就いた。

 ファイとの生活が始まって気付けば一ヶ月が過ぎた。

 よく食べるファイの餌代を浮かす為、学舎が休みの度に狩りに出掛けるようになった事で狩猟の腕がグッと上達した。

 実り多く緑深き偉傑華の森には多くの獣がいる。

 大型獣は大人か複数で狩らないと返り討ちに遭うので、翠が狙うのは精々雉や兎、良くて狐くらい。

 けれど、その毛皮や羽根は高く売れて手軽な小遣い稼ぎになった。


「兎を三羽に、雉も二羽!暫くはたくさん食べられるよ!」


 獲れた獲物に満足しつつ、早く処理を済ませようと小走り。

 狩人達の為に設けられた枕木と石を据えだけの粗末な小路を抜け、一休みしようと湧き水の出る沢に辿り着いた時だった。

 深き森には似合わぬ騒ぎ声に、何事かと弓矢を担いで竹林の崖から谷を覗き込む。

 大きな川に架かる橋の両端にて人集りが出来ており、橋のど真ん中では絢爛豪華な牛車が水に濡れて立ち往生していた。

 どうやら川底より姿をチラつかせる巨大な鯰の魔物カワアラシに襲われているらしい。


(あー、お通りを知らせる太鼓の音でカワアラシを怒らせたんだ…)


 橋の上に散乱する楽器や衣、荷車の数々で大体の事情を理解した。

 遠方より羽偉の里に来訪した雅族の御一行らしく、この時期のカワアラシは産卵の為に気が立っている為、川を渡る時は静かに渡らないといけないことを知らなかったらしい。


「だ、誰か妖術に長けたものは居らんか⁉」

蘇芳(すおう)様!蘇芳様ぁ‼」

「は、早くお助けしろ‼」


 従者と思われる髷の男達が半泣きで駆け回るも、騒げば騒ぐほどにカワアラシは跳ね回り、牛車を川底へと引きずり込まんと尾鰭を揺らす。

 見兼ねた翠は矢筒から鏑矢を手に取り、弓を構えた。

 羽偉の狩人達の礼儀作法で、狩りをする時は必ず鏑矢を持ち歩くことになっている。

 本来は予期せず熊や狼など大型の獣に遭遇した時に周囲に危険を知らせる為のものだ。


「天地遍く水を司りし精霊よ、今ぞ我が願いを雷と転じ、災いを退け給え…!」


 そう(まじな)いの言葉を唱えながら、怒り暴れるカワアラシへと狙いを定める。

 刹那、甲高い音を立てて射られた鏑矢は真っ直ぐにカワアラシの背へと向かい、その分厚い皮に当たった瞬間、爆ぜるように雷撃が炸裂。

 魂消たカワアラシは体を捩らせ、水飛沫を上げながら川底へと逃げて行った。


「ごめんね。死んじゃったらちゃんと食べてあげるから…」


 そんな詫びを漏らしつつ、お役御免と弓を担ぐ。

 この時期のカワアラシは身に脂が乗って蒲焼にすると美味しい。

 死んでしまって鳥や魚の餌にするのも勿体無いし、巨体故に残った死骸が腐ってしまうと川を汚して皆に迷惑を掛ける。

 後で様子を見に来ようと考えつつ踵を返した。


「待たせたね、ファイ。帰ろっか」


 沢に戻って、獲った獲物を見張っていたファイと合流。

 一休みに沢の水で喉を潤し、手押し車の持ち手を掴んで家路に就かんとした時だった。

 大きな羽音と共に行く手を阻むように、白銀が舞い降りる。

 それは神々しいまでに美しい立派な体躯の狼神竜だった。

 若い雄らしく頭にはまだ小振りな角が生えている。

 鬣の整い方や毛並みの良さからして、恐らく雅族の狼神竜だろう。


「なんて綺麗な狼神竜…」


 あまりの美しさに目を奪われていると、白銀の狼神竜がそっと歩み寄り、咥えていた包みを寄せた。

 何だろうかと受け取り、中を確認してみれば、上等な砂糖菓子とカワアラシを退けた事を感謝する一筆箋が入っていた。


「えっ…、頂いて良いんですか?」


 確かめるように訊ねると狼神竜はコクリと頷いた。

 そして徐にファイへと鼻を寄せ、何やら愛おしそうに毛繕い。

 抜けた生成りの羽根を一枚貰い受けると、満足したように飛び去って行った。


「お礼して貰っちゃったね」


 恐縮だと肩を竦めつつ、頂いた砂糖菓子を手押し車に乗せ、翠は飛び去った狼神竜を名残惜しそうに見つめるファイを撫でた。

 今日は良い事の連続であった。




 大きな翼を羽撃かせて舞い戻った白銀に、後始末に追われる従者達は頭を垂れる。

 嬉しそうに相棒が咥えて来た小さな羽を受け取ったそのお方は、森の中、人知れず窮地を救ってくれた命の恩人に胸の内で感謝を告げた。


「蘇芳様、準備が整いました」


 侍従の声に振り返り、安全確認の終わった牛車へと相棒と共に乗り込んだ。


「総領様のおなーりー!」


 侍従の号令と共に、仰々しい音色のお通りの知らせが轟く。

 すれ違う人々は立ち止まり、この偉傑華を統治する見目麗しき若き総領、榧ノ宮 蘇芳のお出ましに一様に頭を垂れた。

 彼等が目指すは羽偉の里、里長一族である龍刹家の屋敷である。

 先月になるが、龍刹家の娘に預けた王竜の伴侶の卵が、孵ってからたったの三日で天に召されたとの知らせが届いた。

 娘の嘆きの深さに父である次期里長が文を寄越し、今一度の機会(チャンス)として新たな卵を頂戴出来ぬかとの願いから、見舞いを兼ねて遠路遥々訪ねて来た次第である。

 本来ならば問答無用だが、孵ってからの雛の死があまりに早く、卵そのものに先天的な疾患があったとも考えられた為の救済措置だった。

 ―――しかし。


「蘇芳様、ご機嫌麗しゅうございます」


 龍刹家本邸の広間にて、恭しく現れた死んだ雛の主、蘭姫の姿に蘇芳は怪訝に顔を顰めた。

 金糸銀糸の絢爛豪華な着物を纏い、頬を桃色に染める様はまるで己が花嫁に決まったかのようだった。


「何だ、その姿は?」


 出された茶呑みを怒りのままに放り、冷たく言い放った。

 明らかな怒気を纏う総領に、蘭姫は途端に青褪めた。


「伴侶の雛を亡くし、涙に暮れていると聞いた故に見舞いに参ったが、何のつもりだと訊いているっ?」


「え、あの…っ…」


 あまりの剣幕に蘭姫は涙目で後退った。


「す、蘇芳様、蘭姫に着飾るよう命じたのは私めにございます。この一月、雛の死に胸を痛めて食事も喉に通らず、酷く痩せこけた故、そんな見苦しい姿を総領たる蘇芳様にお見せすることは出来ぬからと…!」


 見兼ねた次期里長の蘭姫の父が駆け寄り、言い訳を連ねたが聴くに耐えなかった。

 姫の頬の張りは健全で、化粧で目元の隈を描いているくらい簡単に見破れた。


「黙れ!我が花嫁は王竜の伴侶を育て上げるだけの裁量を持つ娘だ…!喪に服しているなら兎も角、毳毳しく己を飾り立てるとは勘違いも甚だしい…!伴侶の卵に限らず狼神竜の卵は希少であると言うに貴様等に任せては、また死なせるのが目に見えている!」


 話にならんと吐き捨て、腰を上げながら新たな卵を抱えて待っていた侍従に下がるように指示。

 控えの従者達も蘭姫の様に呆れ返っていた。


「す、蘇芳様!」

「お待ちを!」


 呼び止める声にも耳を貸さず、あまりの心的疲労(ストレス)に痛み出した胸を擦りながら、待たせていた牛車へと引き戻る。

 一晩世話になる予定であったが、こんな所には一瞬でも居たくないと号令を放った。


「蘇芳様…」


 牛車の手前、現里長である蘭姫の祖父が現れ、面目ないと頭を下げる。

 どうやら息子と孫娘のゴリ押しに根負けしての茶番であったらしい。


「龍刹家も落ちたものだな。先の戦で滅んだ葛之葉家に代わり羽偉の里を任せたと言うに…」


「面目次第もございません…。全ては私めの不徳の致す所にございます」


「この不始末は追って処罰を下す。もう一人の娘もみすみす雛を死なせるようならば…、分かっているな?」


「御意にございます…」


 その返事を告げる間にも、蘇芳は苛立ちながら御簾を乱暴に押し開けて牛車の内へ。

 中で待っていた相棒――、王竜は尚も生成りの羽根を大切そうに咥えていた。


「…(えんじゅ)、宮に帰るぞ」


 溜息混じりに告げながら、ドサリと腰を下ろす。

 次第に胸がズキズキと痛み出し、乱れる呼吸に柔い白銀の腹を枕に体を横たえた。


「…この心臓にも困ったものだ…っ…、早くお前の伴侶を見つけねばならんと言うに…」


 心配そうに相棒が鼻を寄せる中、懐から印籠を取り出し、黒い丸薬を口へと放り込む。

 あまりの苦みと臭みに顔を歪めながら、蘇芳は抱える苦痛に耐え忍んだ。

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