第1章「陰キャ令嬢、目覚める」 1-3 最初の駒、確保いたしますわ(後編)
パンを半分にちぎって渡し、紅茶を受け取る。
誰にとっても何気ない動作。けれど私にとって、それは小さな契約の成立だった。
「……この紅茶、あったかい。……ありがとう」
佐伯ひなたはそう言って、口をつけた。
その仕草に、私は確信を持つ。
――この子は、動く。
大きな声を出さずとも、芯の強さを持っている。
「あなたは、今のこの教室をどう思いますの?」
「え……」
「居心地とか、雰囲気とか。率直な感想を聞きたいのです」
しばらく黙った後、ひなたは静かに言葉を紡いだ。
「……静か。でも、閉じてる」
「閉じている、ですか」
「……誰かが笑えば、それに合わせて笑う人。誰かが沈黙すれば、それを真似して沈む人。……誰も、先に動こうとしない」
「なるほど。ならば、私のような者が現れたら?」
「……異物扱いされる。けど……」
ひなたはそこで一度言葉を止めてから、こちらを見つめた。
「……ちょっと、面白いと思う」
私は小さく笑った。
それは、戦場で槍の穂先を交わす前に、互いの技量を認め合った瞬間のようだった。
「貴女、観察眼がありますわ。加えて、率直で、自分の言葉を持っている」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん。“私の側に立つ者”の条件を、すべて満たしてますもの」
「……私、スカウトされてる?」
「いえ、違いますわ」
私は静かに首を振る。
「スカウトではなく、招待ですのよ」
「…………」
ひなたは再び黙りこむ。
だけど今度は、迷いというより、“言葉を吟味する”沈黙だった。
「……私、人とつるむの苦手だけど」
「ならば、無理に“つるまなくて”よくってよ。私が横に立つ。それだけで、十分ですわ」
「……変な人」
「よく言われますわ」
そうしてふたりで、くすっと笑った。
一瞬の交差。
それはまるで、剣の鍔と鍔が触れ合う音のような――高潔で鋭い“共鳴”。
「……わかった。じゃあ……私、“招待”受ける」
「よろしい」
私はすっと手を差し出した。
ひなたは一瞬戸惑い、しかし確かにその手を握り返す。
それは、最初の“契約の握手”。
クラリッサ・ド・アルブレヒトとして。
そして、如月琴音として。
新しい時代の、最初の同盟者を得た瞬間だった。
──ふと、背後から気配がした。
「……やばい、すごい……! いつの間に如月さん、佐伯さん口説いたの……」
「……山崎、隠れてるなら最後まで黙ってなさい」
「ご、ごめんなさいっ!」
影の従者の情けない声に、私は軽くため息をついた。
だが、笑ってしまう自分がいた。
「ふふ……これで三名。まだまだ“王国”には足りませんわね」
「王国……?」
ひなたが首をかしげる。
「いずれ教えて差し上げますわ。あなたも、十分“貴族の資質”をお持ちですもの」
「また変なこと言ってる……」
そう言いながらも、ひなたの口元には小さな笑みがあった。
静かな教室の片隅。
まだ誰も気づかぬまま、確実に“体制”は動き始めていた。