第1章「陰キャ令嬢、目覚める」 1-3 最初の駒、確保いたしますわ(前編)
昼休み。
教室の片隅で、私は紅茶の入った紙コップを手にしていた。
「……一応、アールグレイだったけど……あんまり美味しくはないかも……」
目の前で落ち着かない様子の山崎が、小さな声で言う。
校内の自販機で買ってきた“なんちゃってティー”を、彼は本気で選んできたらしい。
「心は買いましょう。味は庶民の趣ですけれど」
「え……?」
「その不器用な忠誠、評価に値しますわ」
私は少しだけ微笑んで、ぬるくなった紅茶を口に含んだ。
香りも深みも足りないが、悪くない。なにより、従者が自ら動くようになったのが収穫。
――さて。
今日の目標は“次の駒”の確保。
初動を誤れば、戦線は広がらない。
支配には、従える者と、従わせる力が必要ですわ。
私は教室の空気を静かに読み取る。
見えない壁。誰がどこに座るか決まっていて、決して越えない線。
目を合わせる相手も、話す声の高さも、みな“役割”に縛られている。
なんと退屈な演技ですこと。
だからこそ、私はその枠組みを乱す存在を探す。
少しズレていて、浮いていて、でも“異質”ではなく“予備軍”に見える子。
そして――見つけた。
教室の中段。窓側。
昼食を一人で取っている女子生徒。
小さなパンと野菜ジュース。読みかけの文庫本。
髪は編まず、目立たぬ黒。制服は正しく着ていて、でも流行は無視。
「……あの子、なんて名前?」
「え、えっと……たしか、佐伯ひなた、だったかな。あんまりしゃべらないけど、テストはいつも上位だよ」
「ふむ……」
私は立ち上がる。
「えっ、まさか話しかけに行くの!?」
「まさかではありませんわ。必然です」
「でも……ああ、なんか嫌な予感がする……!」
動揺する山崎を残して、私は静かに歩く。
その子――佐伯ひなたの机の前で止まる。
彼女は顔を上げて、驚いたように私を見た。
「……え?」
「あなた、そこ、空いてます?」
「え……う、うん……」
「では、失礼して」
私は何の遠慮もなく椅子を引き、彼女の正面に腰かけた。
「きょ、今日は……何か、用……?」
「ええ。あなたの能力に興味があって」
「のう、りょく……?」
「観察力。思考力。人目を気にしない胆力。静かなる才、というのは、時に喧騒より尊いものですわ」
彼女はポカンと口を開けた。
当然です。いきなり詩的なスカウトをされたのですから。
だが、こういう“静かな子”は、本質的な言葉に敏感。
上辺の共感より、核心の敬意を求めている。
「私は如月琴音。少々、変わった者ですの」
「しってる……今日、いろいろ、話題に……なってたから」
「ええ。いずれ飽きられるでしょうけれど、面白い期間に乗るのも賢い判断ですわ」
私はパンの包みを指差す。
「もしよろしければ、それを半分いただけるかしら? 代わりに私の紅茶を差し上げますわ」
「……えっ?」
彼女は驚いたように、それでも、ゆっくりとうなずいた。
「……いいよ」
パンを渡し、紅茶を受け取る。
その瞬間――この小さな“等価交換”が、契約の始まり。
「ありがとう。やはり、あなたとは話が合いそうですわ」
私は笑った。
この“静かな駒”は、きっと将来、大きな意味を持つ。
やがてくる、学園を巻き込んだ権力争いにおいて――。