暗転
そこから先は全て言いなりだった。通りから少し離れた場所まで歩かされた。次第にビルやファストフード店が見えなくなり、木造の小屋がまばらに現れるようになった。古ぼけた空き家の前で一行は止まり、中に入っていった。ぼくは突き飛ばされ、和室と思われる部屋で転がった。埃がひどく、激しく咳き込んだ。
「どういうつもりだ、おまえ?」
新野がぼくの前で座り込み、威圧的に問いかけてくる。ぼくは息が苦しくて何も言えなかった。
「こいつ、大学でいろいろ聞いて回ってたらしいですよ」
新野の左側にいた男が口を開いた。薄紫色に髪を染めており、軽薄な印象を受ける。
「みてえだな」
新野は腕を組み、束の間思案した。
「おい、誰に頼まれた?」
「え――」
まともに言葉が出ない。
「おまえみたいな気の弱そうなガキが、一人でどうこうできるわけねえだろ」
全てその通りだった。
ぼくは殺される――なんとなくそう思った。その直感は確かなものだった。新野はナイフを舐め回し、他の二人はしきりにバットで素振りをしている。
ぼくはポケットを触ってみた。折りたたみ式ナイフ――取り出して、こいつらを刺して逃げる。そんなことが出来るとは思えなかった。人を刺すのも怖いし、刺されるのも当然怖かった。
「誰に頼まれた? 何が目的なんだよ? 女子高生孕ませて不登校にしたことの恨みか? よく考えたら、おまえと同じぐらいの年じゃん。恋人だったか? もしかして」
「え」
「違うのか。じゃあ何だ?社会人薬漬けにして廃人にした話か? それとも同学年の女自殺させたことか? くだらね。全部親父に頼んで、握りつぶさせたからな」
「義隆さんとこの親父さん、めっちゃ偉い人で警察関係にも顔が利くんでしたよね」
「クズだけどな。だから利用しても罰とか当たんねえだろ」
新野はおかしそうに唇を歪めた。同学年の女の自殺――秀樹の姉。だが、それだけではなかった。新野は想像以上に人を壊していた。途端に全身が痺れだした。自分の身体が震えているのだということに気づいた。ぼくは怒りよりも恐怖に支配されていた。こんな人間と関わってはいけなかったんだ――関わってしまったら最後、精神も肉体も完全に壊される。
「今の二人のどっちかだな。誰に言われた」
新野の顔から表情が消えた。全身を鳥肌が埋め尽くす。言葉を発することもままならないほどの、心臓を押しつぶす恐怖。秀樹の顔が浮かんでは消える。
「ぼくひとりでやりました。ごめんなさい」
ぼくは震える声を出した。
「嘘つくなよ」
新野がぼくに顔を近づける。酒臭かった。ぼくは泣きそうになっていた。
「本当です」
「嘘つくなって」
「本当に一人なんです」
「ふざけんな‼」
耳が聞こえなくなるかと思うほどの大声。ぼくは目を閉じ、肩をすくめた。頬を張られた。ぼくは頬を押さえて転がった。
「新井」
新野が呼びかける。無造作に伸びた髪をかき上げ、長髪男――新井が近寄ってくる。ぼくは逃げようと身体を捩った。直後、左手――焼けるような鋭い痛み。ぼくは悲鳴を上げた。頭の中で閃光が弾ける。左手の甲がひりひりと痛む。焼け跡が着いていた。新井がへらへらと笑った。手に握られた細い棒――煙草。痛みに支配され瞬間的に失われていた意識が舞い戻る。煙草を手の甲に押しつけられた――遅れて理解する。全身が痛みに緊張し、汗ばむ。
「痛い目に遭いたくないだろ。誰なんだよ。誰に命令されたんだ、おい」
新野の声が低くなる。恐怖が隅々まで染み渡ってゆく。
「されてません」
「ざけんな!」
罵声を浴びせられた。ぼくは目を閉じ、歯を食いしばる。腹を蹴り飛ばされた。息が詰まった。背中を硬い床に打ち付けた。土だらけの床に吐瀉物をぼくは撒き散らかした。