逃亡騎士ランスロッテ編03
私たちは砦の上階、倉庫になっている部屋へと移動した。
周囲に人がいないことを念入りに確認し、扉も閉める。
少しだけ緊張が緩み、肩の力が抜ける。けれどもよくよく考えればまだ気を抜くには少し早い。すぐに姿勢を正し、私は訊ねた。
「――なぜ、嘘をついたんだ?」
それが問題だった。
「わかっていたのだろう。私がフラン・ベルジュールではないと」
もしも真にこの子供がフラン・ベルジュールの知り合いであるなら、私はその名を騙る怪しい人間だ。詐欺師だ。あの場で糾弾されてもおかしくはなかった。そうなったら――いや、想像したくもないな。とにかく新たな逃亡の旅を始めることにはなったろう。
「貴方がそう望んでいるようでしたので」
「……何が望みだ?」
「え?」
「とぼけるな。黙っている代わりに何かよこせとか、そういう話なんだろう」
「いえ、別に。僕に望みはありません」
「…………」
「え、なんですか?」
どうも本気で言っているようだったので、私は大きく息を吐いた。
子供相手に疑りすぎたか。情けない。というかまあ、仮に見返りを要求されても、蓄えのない放浪中の身では何も出せはしないのだが。
「……それで結局お前は何者で、なぜこんな危険なところにやってきたんだ?」
「何者か――ううん、そうですね、一番正確な表現をするなら『器』なのでしょうが」
「『器』?」
「ああ、そういう意味じゃないんですね。僕の名前と肩書と、それからフランさんとの関係を知りたいと。個体識別名はニクス。フランさんには神殿学園でお世話になりました」
「騎巫士か」
「そうなりますか」
ラクラシア神殿学園の卒業生、というわけだ。
騎巫士は巫力によって老化が遅い関係上、見た目から年齢を推察することが難しい。このニクスなる騎巫士も、もしかしたら私より年上なのかもしれない。
「あとはなぜここに来たかですが、この辺にとても強い瘴獣がいると聞いたので」
「……騎巫士というのは、みんなそうだな」
狼が出ると聞けば、人は避ける。
瘴獣が出ると聞けば、なお遠ざかる。
当然だ。危ないから。恐ろしいから。危険から遠ざかろうとするのは生物の根源的欲求なのだから。
けれども、騎巫士は違う。
瘴獣がいると聞けばそこに向かう。
そして見も知らぬ人のために戦おうとする。
誰かの故郷のために命がけで戦う。
自分をなげうってでも、危険を顧みずに。
そういう人々が女神に巫力を与えられ、戦うべくして戦う。それが騎巫士。
「でも……私は違う。私はお前たちとは違うんだ」
声が震える。
己の矮小さに吐きそうになって、けれど口から出てきたのは吐瀉物ではなく、腹の中に沈めていたはずの弱音だった。
「瘴気を浴びて力が抜けていく感触が嫌だ。怪我をして痛みを味わうのが嫌だ。腕や足や目を失うかもしれないのが怖い。負けて失敗して責任を負わされ人に責められるのも恐ろしい。私は――戦いたくないんだ。逃げてしまいたい。いつもいつも、ずっとそう思っていた――」
聞き苦しい私の独白を、ニクスは黙って聞いていた。
その表情はさっきまでと変わらず、そこに同意の感情は一片も浮いていなくて、やはり自分が異常なのだと思い知る。
そしてニクスが口を開く。
そこから出てくるのは罵倒か慰めか、それでなければ鼓舞だろうか。
そう思っていたのだが――
「それなら、戦わなくてもいいのではないですか」
「え――」
出てきたのは許容だった。
絶句する私に、平然とニクスは言葉を続ける。
「人間の寿命なんてたかが知れているんですから、したくないことを無理してすることはないですよ。そんなに嫌ならしなくてもいいと思います」
初めてそんなことを言われて、肯定されてしまって、先に困惑が来た。
思わず否定する。
「い、いや、他の仕事ならそうかもしれないが……騎巫士はそういうわけにはいかないだろう。戦わないと、極論世界が滅びてしまうことだってあるだろうし……」
「それは世界の方の責任ですよ。たった一人の救世主が一人で全部やらなければ滅んでしまうなんて歪な世界があるなら、滅んでしまえばいいんです。それは救世主の責任じゃなくて、そういう構造をしている世界の方に問題があるのですから」
「な――」
なんてことを、という言葉が最後まで出てこないほどに絶句した。
子供の論理だとか、そういうレベルじゃない。この子は命よりも心の自由に重きを置いている。どころか、世界すべての命よりも一人の願望の方が優先されてもいいとまで、考えている。結果世界が滅びるならそれも是とするとまで、思っている。
それは人の命をこそ尊ぶ騎巫士の考え方ではなく、どころか人の考え方ですらなく、まるで物語に出てくる魔王のような――
「だから――」
私が二十年近くかけて培ってきた常識が、価値観が、ぐらぐらと揺らぐ。
そうして折れそうな私の心に、
「――貴方は逃げてもいいのですよ」
ニクスの言葉が、突き刺さる。




