28話
状況に優先順位をつけよう。
まず第一に優先すべきは今倒れている人間たちの安全。
その次が巨大な竜の姿をした瘴獣の討滅だ。
瘴獣を倒すことを優先すれば結果的に人間たちも守れるかもしれないが、かと言って強行すれば犠牲が出る可能性は捨てきれない。
自分が今ここにいるのはサーラの故郷を守りたいという願いを聞いたからだ。
自分が今ここに立つのはブリギットの人を守りたいという思いを汲んだからだ。
条件一が常に優先される。
だからまずは周囲の環境から変えなくてはならない。
「ふぅ――」
深呼吸をして、息を吐くのと同時に周囲に巫力を放出する。
そうして瘴気を中和する。
「いや、君、だからそれは無駄だと――」
ブリギットは言いかけた言葉を、けれども途中で飲み込んだ。
瘴気の波がやってこない。周囲が完全に瘴気の空白地帯になっている。その理由は単純で、ニクスが巫力を放ち続けているからだ。
鋼鉄竜が開いていた口を閉じ、不快そうに身を震わせる。そしてニクスに向けて太い尻尾を鞭のように振るう。
ニクスはそれを掲げた右手で無造作に受ける。飛び散る白光。弾かれる尻尾。重量の違いからすれば不自然極まりない現象だが、もはやそこに疑問はない。この身はそういうルールの元に成立している。巫力を放ちながら、一帯に【浄化】と【回復】をかけながらニクスは鋼鉄竜に向き直る。
「まさか……そのまま戦うつもりか?」
「そのつもりです」
「馬鹿な、巫力が保つわけがない……!」
「ですかね。とりあえず動けるようになったら周りの人を頼みます、先輩」
「いや……それはもちろんだが……君は」
「やれるだけやってみます。僕の巫力は人よりだいぶ多いらしいですから」
振るわれる鋼鉄竜の腕。あるいは尻尾による襲撃。そのいずれも体で受け止めながら、足元まで肉薄する。そして己の神与武器たる指輪に巫力を込めてそこから糸を伸ばし、大木のように太い鋼鉄竜の足に絡ませる。
そして、思い切り巫力を流す。薄桃色の光が黒い糸の中をロスなく伝わっていく。
「――あれ?」
しかし、鋼鉄竜の様子に別段変化はない。
糸の絡まった足を覆う竜鱗にわずかに光のさざなみが立っただけで、血が出たりもしなければ苦悶の声をあげる様子もない。
反撃が来る。
思い切り振りかぶられた鋼鉄竜の腕が迫る。
ニクスは避けない。当然の結果として、両者は激突する。
だがそれも、青白い光を放って弾かれ、ニクスは微動だにしない。
とはいえ、表情に先程までの余裕はない。
「あの、先輩」
「もう少し待ってくれ。動けそうだ」
「ではなく――瘴獣というのはどうやって倒すのでしょうか?」
確かにニクスには物理攻撃を拒絶する肉体のルールと、他の騎巫士を超越した莫大な巫力がある。
しかし一方で、瘴獣と戦うための知識と経験は圧倒的に不足していた。
「そうか、君の神与武器は武器ではないんだな……本来は神与武器を瘴獣の核が埋まっている胸部に突き刺し、そこに巫力を流し込むことで討滅する」
「なるほど。僕のはちょっと刺さらないみたいです」
「……のようだな」
気まずい沈黙が両者の間に訪れる。
それを破壊したのは瘴獣は尻尾叩きつけ攻撃だった。ニクスは手を上げてそれを防ぐ。その状態のまま、困り顔でブリギットを見る。
「えーと、先輩の神与武器を借りたりとか」
「残念ながら私も例外組なんだ。私の神与武器はこの鎧だからな。だが、手がないではない」
「と言うと?」
ブリギットは震えながらに上半身を起こして鋼鉄竜の体の一部を指す。その指に従って目線を動かすと、鋼鉄竜の背と腹には水晶状の突起に混じって剣と槍が刺さっている。
「先駆者の爪痕だ。この国の騎巫士たちがヤツと戦った名残――あれのどちらか一本でも、まだ生きている武器があって、それを心臓部に突き刺すことができれば――」
生きている武器、という言い回しにニクスは一瞬疑問を抱き、しかしすぐに答えに思い至った。授業で言っていた。神与武器は通常壊れることはないが、持ち主が死んだ場合だけは例外的に壊れることがある、と。
「やってみます」
「私もそろそろ動けそうだ。残った巫力は少ないが、少しの間なら【浄化】と【回復】を代われる。その間に決めてくれ」
「助かります」
ブリギットが立ち上がり、巫力の光を広げる。
その光はニクスに比べると弱々しいながらも、確かに倒れ伏した人々を包み、吸いつくされかけた生命力を懸命に維持する。
ニクスは駆け出す。
最初の目標は腹部に刺さった槍。場所的にも武器的にも、心臓を突くのに最も適している。鋼鉄竜の噛みつきを避け、腹下に潜り込んで槍の柄を掴む。
「――――」
だが、掴んだ瞬間に、感触でわかってしまった。
この武器はもう死んでいる。おそらくは持ち主とともに。
どういう女性だったのだろう。
最後に何を思ったのだろう。わからない。ただ、彼女がこの巨大な鋼鉄竜に立ち向かったという事実だけが、ここに残っている。
ならばせめて、その事実をより深くに――
「――刻め」
思い切り巫力を流す。
生きた神与武器とは違う。抵抗がある。死んだ槍はすでに本来の性質を失っている。だが、それでも強引に押し通す。女神から与えられる莫大な巫力を、槍を通して体内に炸裂させる。
『グギャアアアアアアアアアアアアア!!』
絶叫が響いた。
鋼鉄竜の腹部から黒い粘性の液体が吹き出した。
その隙を逃さず、背中の水晶柱の一つに糸を伸ばし、巻き付け、縮めると同時に飛ぶ。
鋼鉄竜は顔を振りニクスを探している。だが、当のニクスはすでに背中にいる。そこで突き刺さったままの剣に手をかける。
「――――」
これもダメだ。
すでに死んでいる。
なぜだか無性に苦しくなった。知らない国の、知らない人間なのに。それが永遠に失われているという事実が、ただ重苦しく。
そして、腹立たしい。
だから――再び思い切り巫力を流す。
『グルウウウウゥゥゥゥゥウウウウウウゥゥ!』
鋼鉄竜が吼える。
背中から黒い液体を撒き散らしながら、首を己の後ろに向ける。
気づかれた。
すぐさま糸を解いて跳躍し、絡みつこうとした尻尾を避ける。噛みつきや絡みつきは、ダメージがなくても拘束されてしまう。普通の攻撃は通じないと相手も学習しているのだ。避けなくてはならない。でも――
――避けたあとでどうする?
もはやこの場に竜の心臓に突き立てるべき神与武器はない。もしもこの場にいたのがフラン・ベルジュールなら、己の武器でこの巨竜を狩れたのかもしれない。だが自分にはそれがない。巫力なんていう他人の力をアテにしてこんなところまでやってきて、けれども瘴獣に挑んで死んでいった誰かたちの、無念を晴らしてやることができない。
「――は」
気が抜けた瞬間、鋼鉄竜の手がニクスの体を上から抑えた。その巨躯の全体重を持って砂地に押し付けられる。鋼鉄竜は押さえつけたニクスに向けて口を開く。喉奥からザリザリという金属音が響く。
「――はは」
爆音と共に超音速の金属粒子が、ニクスの小さな体に吹き付けられる。ヤスリで削るように石でも鉄でも山でも削り取って砂に変える強力なブレス攻撃。
だがそれも、別にニクスに効きはしない。音と光と煙とが、ただ撒き散らされる。
吐き出し続けてそれを無意味と悟ったのか、鋼鉄竜がブレスをやめる。そしてニクスを抑える手に瘴気を滲ませた。突然の脱力感。生命力を奪われる感覚。ニクスは巫力を放出して中和しようとするも、出てくる瘴気の量が膨大で、まるで追いつかない。
体の中を流れる巫力が減っていく。
生命力が奪われる。
「――なるほど、そうか」
ニクスは確かに女神から深く愛され、その分だけ力をもらっている。それはどうも他の人間の数百倍にもなるらしい。
だが、相手の総量は桁が違う。これまでに吸ってきた数万人の人間の命、数十万の動植物の命をすべて己の力としている。お互いの力が相殺するなら、出力比べで勝てるはずがない。だから瘴獣の討伐は核を狙うのだろう。物量作戦では敵わないから。
自分の中から巫力がなくなっていく。
反面、中身が減れば減るほど、己の中の何かがクリアになっていく。自分の中にいる誰か、自分の中に流れる何かをひどく近くに感じる。
「――女神様、ですか?」
自分の中の女神トウガをひどく近くに感じる。混じり合ってしまうほどに。失われていた記憶の一部が、彼女の視点と知識から補完される。
――知らない知識が流れ出す。
女神トウガの器たるこの身は、まったく同質の力による攻撃か、他の女神の力による攻撃以外では破壊されない。
巫力と呼ばれる力は女神シアの力を分割譲渡されたものである。それは瘴気と逆向きながら、本質的には同じ力である。
瘴気と瘴獣というシステムは周囲から生命力を集めて神の器を作り出す儀式である。
ゆえに瘴獣に物理攻撃は効かず、女神シアの巫力を以って討滅するか、さもなければこの身を破壊する条件のように他の女神の力を使った攻撃をするしかなく――
「ああ――それなら――」
押さえつけられながら、生命力を奪われながら、ニクスは腰のホルダーから魔法銃を引き抜く。そこに流すのは朽ちかけの巫力なんかではない。最初から自分の中に流れていた力。女神トウガの血の力。
記憶の彼方、ここではないどこかで『魔力』と呼ばれていた力。
「――フルードマキナ、フルバースト」
銃口から水が放たれた。
それは物理攻撃を一切通さない鋼鉄竜の胸部をたやすく貫通し、音を超えた速度で未だ誰も到達したことのない天空にまで達し、そこにあった雲を粉々に蹴散らした。
もしも仰向けではなく起き上がって撃っていたなら、その先にあった大山を穿ち、跡形もなく消し飛ばしていたことだろう。
撃たれた鋼鉄竜は声をあげなかった。その暇さえなかった。
一瞬で胸部に大穴を空けられ核を消し飛ばされた瘴獣は、自身の敗北すら自覚することなく、白い煙を吹きながらボロボロと崩れていった。
少し遅れて、魔法銃から空に放たれた水が無数に散って降ってくる。
魔力を含む雨は、生命力の失われた大地に吸い込まれるように染み込んでゆく。
とはいえ一度生命が失われた土地が、すぐに元に戻ることはない。
果たしてこれでサーラの願いを叶えたと言えるのか、ニクスは考える。
「お、おい。後輩、今のは――」
「ああ、先輩。すみませんが、後はお願いします」
「お願いしますって――君は何をする気だ?」
「帰る前に、もう少し掃除をしていこうかと」
そして、そう決めたのだった。
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