27話
黒い車両が鉄のレールに沿って進む。
それなりに進んできたつもりだったが、レールは視界の遥か彼方まで続き、果ては未だ見えない。ということはつまり、終点のさらに先である目的地サナクラトスはまだまだ遠いということだ。
「――もう少し急ぎたいですね」
現地が今どうなっているかは知る由もないが、早く到着した方がいいのは間違いない。だからニクスは注ぎ込む巫力を増やした。呼応して車輪の回転が加速する。
ギャリギャリと鉄の擦れる音が大きくなる。
正面の窓に映る景色がすごい勢いで後方に流れていく。
景色が変わる。
周囲から背の高い建物が消え、素朴な民家が立ち並ぶ郊外に出た。
さらに進むと、もう目につく建物がサイロや風車ばかりになる。
それすらも置き去りにしてさらに進むと、今度は広大な麦畑が広がっている。穀倉地帯か。青々とした若い麦が風に揺られてお辞儀をする。
「広いですね――」
かなりの速度で飛ばしているのに、なかなか麦畑の景色が終わらない。ときおり間に山が挟まったりして、くり抜かれた山のトンネルを車両がくぐったりもするわけだが、それでも外に出るとやはり一面の麦畑が顔を見せる。
これが人間という種族なのだな、とニクスは思った。
食料不足による種族の先細りを考えて個体数を調整するのではなく、環境の方に手を加えてでも版図を広げ、より多くの命を繋ごうとする。環境に適応して進化するのではなく、環境の方を自分たちに合わせて改変する。極めて特異な生物だ。
もしも人類が自然に従い、個々の自意識や一つ一つの命に執着しない生命であったなら、きっとここまで思い入れを抱くことはなかっただろう。今の楽だけを追求し、時間と資源を浪費する生命であったなら、興味を抱くこともなかったかもしれない。
――けれども、人はそうではない。
「あの自信のないサーラさんでさえ、『今の自分には』という表現を使った。未来の自分はそうではないかもしれないという、希望を持っていた」
だから気に入った。
人類は自然や災害に抗おうとする。
失われる命が自分の知らないものであっても思いを馳せる。
今の楽よりも、まだそこにないものに輝きを見出し、そこへ至ろうと努力する。
願望や欲望が、他の生物よりも遥かに大きく強い。
それが素晴らしい。
「もう少し、急ぎましょうか――」
球体に注ぐ巫力を絞り出すように増やす。
そしてレバーを限界まで引く。
加速する。変わらない景色を置き去りにする勢いで進む。
どこかから軋む音も響いてくるが、問題ない。とりあえず終点まで保てばいい。
やがて見えてくる鉄道の終わり。
鉄柱を複雑に組み合わせたような大きな車庫。その先にはもうレールはなく、そこが終点であることを示している。
ニクスは窓から空を見る。
「緑の不動星――なるほど、確かにこの直線上でよさそうです」
だから、ブレーキはかけなかった。
レールの終わりで車両は大きく跳ね上がり、それでも火花を散らしながら車輪は空転し、大きく跳躍したその先には石畳があり――それを砕きながら着地。
そしてそのまま再び走り出す。
ビシリと車体に亀裂が入る。
「ごめんなさい、終点まで保てばいいと思ったのは取り消します。もう少しだけ僕を運んでください」
街を出て舗装された道が終わり、岩石砂漠めいた岩だらけの景色に変わっても、ニクスはただ巫力に任せて車輪を回し、車体を走らせる。凄まじい揺れ。ときに車体は反動で浮かび上がり、回転する。それでも進む。進ませる。
車輪が一つ外れ、残りも変形し、力技で走らせるのも限界に近づいた頃――その先に、気配を感じた。
「ふむ――」
徐々に視界にモヤがかかってくる。
黒いモヤだ。地面に滞留しながら、どこか絡みついてくるような、不自然な動きをするモヤ。
その領域に入った途端、車両を包んでいた桃色の光が徐々に明滅し、車輪が力を失って減速していく。すると速度によって支えられていた車体が、その重量で地面に沈んでいく。
そうして半ば土に埋まる形で、黒塗りの車は停止した。
ニクスは扉を開こうとしたが変形していて開かない。仕方なくヒビの入った窓を割ってそこから外に出る。
周囲には枯死した樹木や枯れ草が大量に積もり、緑がまったくない。地面の感触は砂に近く、最初から砂漠だったようにも思えるがそれにしては枯れ木の量が多すぎる。死んだばかりの土地、という感じだ。そしてそんな枯れ木枯れ草を覆うように広がる黒いモヤ。
「これが瘴気ですか。とすると――あれが瘴獣かな」
遠方に大きな影が見える。そこから重厚な気配を感じる。
だからそこに向かって走り出す。思い切りの全力疾走。推定瘴獣に最短距離で近づいていく。地面に落ちた枯れ枝を踏むたび、バキバキと乾いた音がする。【祝福】を自分にかけられればもっと速いのだろうが、代わりにニクスには無尽蔵のスタミナがある。
だから走る。走り続ける。
――と、景色に異変があった。
思わずブレーキをかけて立ち止まる。
そこにあったのは倒れ伏す無数の人間だった。老若男女の区別なく、倒れ、苦しそうにもがいている。それぞれ小さいながらもまとめた荷物を背負っていて、集団で逃げていく途中だったことが見て取れた。
そこを瘴気か、あるいは瘴獣にやられたのだ。
幸いにして全員息がある。
ニクスは全員に向けて【回復】をかける。
彼らの顔色が一瞬よくなる――が、すぐに元の苦悶の表情に戻ってしまう。
「ああ――なるほど」
彼らは偶然生き延びたわけではないのだ。
わざと死なない程度に生かされている。そして瘴気に生命力を吸い上げられている。果実に重しを乗せて出てくる果汁を飲むかのごとく――そういう扱いをされているのだ。
「であれば――こうするしかないですかね」
体の中を流れる巫力を周囲に放出する。
薄桃色の光が一帯に拡散していく。それに合わせて瘴気は打ち消されるように霧散していく。
巫術の【浄化】だ。
ニクスはなぜ巫力を垂れ流すだけで【浄化】になるのか、ずっと疑問に思っていた。しかし実際にやってみて理解した。
巫力と瘴気は、向いている方向性が真逆なだけの同じ力だ。だから互いに打ち消しあってしまう。だから瘴気に対抗できるのは騎巫士だけであり、瘴獣を倒すのに巫力を効率よく伝達する神与武器を使うのだ。
瘴獣が巫術を使わないのは単純な知力の問題であって、たとえばヒトの瘴獣が現れたなら、いずれは巫術――いや、瘴術を使ってくるだろう。
などと考えているうちに、一帯の【浄化】が終わった。
改めて倒れている人たちに【回復】をかけようとしたとき、後ろから声がかけられた。
「……やめろ。無駄だ」
振り返ると、そこにはボロボロになって倒れ伏す、一人の騎巫士がいた。金属鎧を着た筋肉質な女性――確か街の神殿でブリギット隊長と呼ばれていた人物だった。
「と、言うと?」
「一帯を覆う瘴気の量は莫大だ。ここだけ浄化してもすぐに……ああ、ほら、こうなる」
言われて気づく。
周囲から黒いモヤが集まってきて、一度はキレイになったこの辺りを、再び瘴気に沈めてしまう。
「君は確か学園の生徒だったな……なぜこんなところにいるのかは知らないが、っく……早く逃げた方がいい……さっきの【浄化】に気づいてヤツが来るぞ」
苦痛に顔をしかめながら、絞り出すように彼女は言った。
それを肯定するように向こうから巨大な影が近づいてくる。
それはまるで丘のようだった。
およそ一個の生物とは思えないほど大きく、その背中には林のように無数の水晶が乱立している。そいつは長い首を振って周囲を見回し、その場で唯一立っているニクスに目をつける。幻獣級の瘴獣だとは聞いていたが、なるほどこの姿は知っている。
図鑑に載っていた鋼鉄竜だ。
「は、早く逃げろ、後輩――」
「でも、状況から見るに、あなたは逃げなかったんですよね」
瘴獣から逃げようとした一団がいた。
それに気づいて彼女は殿を引き受けた。だが破れ、ここにいる。きっとそんな感じだろう。
「さすが先輩です。素晴らしいと思います」
「言ってる場合か……!」
義務感もあっただろう。使命感もあっただろう。仕事だと割り切っていたかもしれないし、同情や哀れみで行動を共にした可能性もある。
しかし、いずれにしても、彼女は見ず知らずの人間のために、己のすべてを投げ出したのだ。そうそうできることではない。殊に自分には。
「だって、僕には願望がない。目的もない。戦う理由もない」
失われた過去の自分にそれらがあったのかどうかさえわからない。
もう一度女神トウガに会うことができれば聞けるかもしれないが、記憶を持っていた自分と今の自分は、本質的には別の個体だ。共感することはあれ、それを自分のものだと感じることはたぶんできないだろう。
「そう、僕には何もない――」
相対する鋼鉄竜が太い腕を振り上げる。
緩慢な動作で、目障りな虫を払う程度のぞんざいさで、攻撃とさえ思っていない攻撃を繰り出そうとしている。そんな鋼鉄竜に背を向けて、ニクスはブリギットを見つめる。
「はっ、早く逃げ――」
焦りを含んだブリギットの言葉がすべて届くよりも早く、鋼鉄竜の腕が振り下ろされた。鈍い激突音が響き、土煙が巻き上がって倒れ伏す人々に覆いかぶさる。
――けれどももちろん、ニクスには傷ひとつない。
青白い光に腕を弾かれて怪訝そうな鋼鉄竜。
驚きに目を見開くブリギット。
ニクスは鋼鉄竜には目も向けず、ブリギットに告げた。
「だから、貴方の――人類の戦う理由を僕に貸してください」
自分は確かに空っぽだ。
だったらそこに何を詰めてもいいだろう。




