24話
「ああ、みんなお帰り」
学園に帰り着くと、ちょうどそこで窓掃除をしていたサーラに出会った。
雨水を受ける窓の外側はどうしても汚れと無縁でいられない。だから定期的な清掃が不可欠なのだが、学園の窓の総数となるとこれはもう数えるのも馬鹿らしいほど多い。必然いつだって手は足りず、こうして奉仕活動として生徒の手を集めることになるわけだ。
途中だった一枚を拭き終わり一段落したところで掃除の手を止めたサーラは、水の入ったバケツに雑巾を置いてニクスに歩み寄る。
「どうだった? 欲しいものはあったか?」
彼女の視線がニクスの抱える本と鉢植えと手提げ袋に向き、ニクスは少しだけ視線を彷徨わせた後答えた。
「みなさんに色々と買ってもらいました」
「そっか。よかったな。今度はあたしも一緒に行くからさ、そのときは案内頼むぞ」
屈託なく笑う彼女の顔を見ると、どうにも居心地が悪い。
ハルカは頬をかき、クレイは明確に視線をそらす。ククルは変わらず無表情だったが、それでも少しだけ目が泳いだ。
そんな空気になったのは初めてで、こんなのは違う、と思った。
やっぱり黙っているのはよくない。
「――あの、サーラさん」
「ん? どうした?」
帰り道のさなか、一行はメガクラトスの情報についてサーラに伝えるかどうか、話し合った。
話す必要はない、と最初にククルが言った。
すでに事態は大人たちの手で収束に向かっているはずで、仮に話したところで自分たちにできることはない。であれば無意味に気を揉むだけになる、というのが彼女の主張だった。
話しておくべきだ、と主張したのはクレイだった。
できることがなくても、逆の立場なら知りたいはずだと。自分ならそれできっと感謝するからと。
ハルカは二人の間に入り、消極的賛成というスタンスを取った。
伝えたとしてもククルの言う通りできることはないし気を揉むだけだろう。でも、言わなければあとで『なぜ言ってくれなかったんだ』ってサーラは絶対に思うだろう。そんなことで友情崩壊するくらいなら、伝えておいたほうがいいんじゃないだろうか、と。
それらの意見を聞いて、ニクスは馬車を降りた後もどうするべきかずっと悩んでいた。今の今まで悩んでいた。
けれども、決めた。
話すべきだ。彼女とは何のわだかまりもなく接していたい。一同がこんな空気になっているのを見るのは忍びない。それぞれがチグハグな方向を向いて、差し障りのない会話をするだけの関係になんて、なりたくない。
「実は――」
だから話した。
メガクラトスに瘴獣が現れてラクラシアに救援要請をしていること。
それはこれまでになかった異例のことで、もしかしたら表沙汰になっていない事情があるかもしれないこと。
そしてサーラの故郷であるサナクラトスにも影響があるかもしれないこと、
それを聞いたサーラの反応は、けれども想定とは違った。
彼女はただ、
「――そうか」
と言っただけだった。
それから二言三言大して意味のない会話をして、彼女は掃除に戻った。
空気は重くなって、一同はそのままそこで解散することになった。
みんな去り際に窓を磨くサーラの背中を一瞥した。
誰かが「痛々しい」とつぶやいた。
それが誰だったかは、覚えていない。
「――サーラ! サーラ・マドラー!」
そんな叱責が飛んだのは、買い物から一週間が経ったある日のことだった。
学園の校庭を使った神与武器の習熟授業。その授業中、巫力の矢をあらぬ方向に飛ばして同級生に当ててしまったのがサーラで、それを叱責したのはツヴァイ教諭だった。あまりの声量に彼女の前髪は少しだけ浮き上がり、普段は隠れている右目がちらりと見えた。
「ここ最近のお前の集中力のなさは目に余るぞ! いくら神与武器が人を傷つけることはないって言ったって、痛みはあるんだからな!」
「すみません……」
神与武器の弓を胸に抱えて小さく縮こまっているサーラ。
その目はツヴァイにも被害者の生徒にも向いておらず、なんというか彼女らしくない。そんなサーラを見たツヴァイは嘆息する。
「まったくどこで小耳に挟んだのか知らないが――いいか、言っておくぞ。どこの国にどんな瘴獣が出ようと今のお前たちは一切関係ない。半人前のお前たちにできることなんか一つもない。故郷を心配するより、現役で活動している騎巫士を信じてやれ」
「先生――どうしてそれを」
事情を知られていることに驚くサーラ。
それには答えずにツヴァイは続ける。
「間違っても『自分にもできることがあるはずだ』なんて考えるなよ。学園長がこの学園を作ったのは第一には世界を救うためだが、それと同じくらいに『未熟な騎巫士が戦場に送られることを防ぐため』なんだ。……学園長の同期は、もうほとんど残っていないからな」
そういえば似たような話を、ニクスはフランから聞いた覚えがある。
そういう時代があったと。師匠を持てる者は幸運で、自力で騎士や巫女に至るしかなく、しかも使い捨て同然だったとか、あの夜、彼女はそういう話をしていた。
「わかったか?」
「……はい」
「ならよし。では、罰として今日の授業用具の片付けをお前に命じる。全部倉庫に運んでおくように」
「――ツヴァイ先生」
そこでニクスは手を上げた。
「なんだ、ニクス」
「僕にもお手伝いさせてください。責任の一端は僕にあるので」
「ふむ――」
ツヴァイはサーラとニクスを順に見て、うなずく。
「ま、いいだろう。他の者は切り上げて次の授業の準備をするように」
『はい!』
緊張感のある生徒たちの返事が校庭に響き渡り、みんなそれぞれに神与武器をしまい、校庭を後にする。
何人かの生徒はこちらをチラチラと見ていたが、それでも静かな怒りを示した教諭の指示に反してまで何かアクションを起こす気はないようで、やがて人はいなくなる。
「じゃあ、やりますか」
「……悪いな、ニクス」
「いいえ。サーラさんは何も悪くありません」
遠距離武器用の的、斬撃武器用の巻藁、ハードルなどの障害物を一箇所にまとめ、少しずつ掴んで倉庫に運んでいく。
「でもまあ、確かにそうだよな」
「と、言うと?」
「現役の騎巫士を信じろって話。そうだよな。プロがいっぱい派遣されてるんだ。案外向こうではもう全部解決してるかもしれない」
「かもです。神殿で会った先輩さんもなかなか強そうでしたし」
「そっか、そうだな――」
サーラの表情に明るさが戻ってきたそのとき、不意に大声が耳をつんざいた。
「――半年前ェ!? あのタヌキ野郎ッ!!」
思わずサーラと顔を見合わせる。
それから声のした方を見る。
校舎の、それも教員たちの部屋の集まる区画。そして窓とカーテン越しとは言え、聞こえてきた声はよく知っている学園長のものだった。
「……あそこ、学園長室か」
「みたいですね。たぬきがどうかしたんでしょうか」
小声で会話する。
二人は揃ってその場に授業用具を置くと、そっと声がした窓まで近づく。
そして窓の下にしゃがみ込み、聞き耳を立てる。
すると今度は知らない女性の声がした。
「は、はい。改めて説明させていただきます。メガクラトスが瘴獣の出現を感知したのは半年前。出たのは群体型の昆虫級。そのときは自国の騎巫士により討伐に成功した……と、思っていたそうです」
「……思っていた、ということは違ったのですね」
今度はキクリの声。
それに対して報告に来たと思しき女性の声が再び答える。
「はい。それから三ヶ月後、獅子型の瘴獣が出現。以前現れた群体の中に討ち漏らしがいたのだと推測されます。以降メガクラトスは五回、この瘴獣の討滅を狙いますがことごとく失敗。被害は食い止めるも瘴獣は倒せないという膠着状態に。そして先月、六度目の討滅作戦をしかけたところ、対象が幻獣級まで成長していることを確認。出撃した騎巫士は全滅。深刻な瘴気害が出始め、ラクラシアに救援要請を持ちかけてきました」
「バカが――手に負えないとわかった時点でこちらの助力を求めるべきだったのに」
今度の声はシルヴィア。
どうも学園長室によくいる三人にプラスアルファで報告者の女性がいる、という状況らしかった。
ニクスは聞き耳を続ける。
だいたいの経緯はわかった。あとは今の状況だ。
「それで我が国が派遣した騎巫士ですが、幻獣級とわかった段階で正面からの衝突を避け、偵察と避難誘導、現地の騎巫士の治療に従事しています。該当瘴獣は現在ラドクラトスとサナクラトスの中間辺りに陣取っており、その近辺が瘴気に沈みかけているとのことです」
「幻獣級か。やっかいだな」
「なら、私が行くしか――」
「……ダメです」
キクリの冷たい声が制止する。
「……『自分たちの国に手に負えない瘴獣が出たとき、人類最強の騎士フラン・ベルジュールが優先的に派遣される』――その確約の元に、四大大国は神殿学園の存在を認めている。貴方が戦場を離れここに座っていることによって、学園は成り立っているのですよ」
「しかしっ……!」
「ラドクラトスとサナクラトスはメガクラトス領内でもかなり北の僻地だ。信仰の威光も霞むくらいに。敬虔な教徒は少ないだろ。それを幸いだと思うしかねーな」
「シルヴィア!」
感情的になる学園長と、それを冷静に止めるキクリとシルヴィア。
どうも室内はそういう状況になっているらしい。
というか、聞く限り状況はよろしくない。むしろかなり悪い。
「どうしましょう、サーラさ――」
ニクスの言葉は途中で止まってしまった。
改めて目線を向けたとき、サーラの目に涙があったから。
涙の粒はどんどん大きくなり、やがてこらえきれなくなったように落涙する。
目元から頬を伝った後で、音もなく地面に落ちて砂に交じる。
「っ――く――」
サーラは涙をジャージの袖で拭い、ふらふらと力なく立ち上がる。
何かしよう、彼女のために何かをしなければとまとまらない考えのままニクスはサーラに向けて手を伸ばしたが、その手が何かを為す前に彼女の方が動いた。
サーラは背を向けて走り去った。声を噛み殺し、涙を流しながら。
ニクスの手は空を切った。
何もつかめなかった手をそれでもしばらく伸ばしていたが、やがて力が抜け、手のひらが地面に着く。
「――涙」
その現象にそこまで動揺している自分に驚く。
人は泣く生き物だ。常識として、それはわかっていたはずのに。
「――サーラさん、泣いてた」
その事実が、どうしようもないほどに、心に刺さった。




