22話
「いやあ、眼福だったねえ」
「興味深かったわ」
「貴方たち、正直やりすぎですわよ。ニクスにあんな辱めを――」
「グレイモア嬢、鼻血が出てるよ」
「……失礼」
純白のハンカチで鼻を拭き、何事もなかったかのようにクレイは続ける。
「で、次は本屋でしたわね」
「この少し先よ」
ということで、最後に一行が向かったのは本屋だった。
実のところ、この本屋という概念もまた、ニクスの常識の中にはないものだった。
本を読むには字が読めなければならない。
本を買うにはその手間に合うだけの資金が必要だ。
ゆえに書物とは資産と教養のある限られた人間のためのものであり、街中で売買するには少々値がはるものだったはず。
それゆえに貴人の書斎や書庫、さもなくば図書館に行くしか大量の本に接する機会はない――そんな感じだった気がするのだが。
というようなことを言ってみたところ、ハルカとクレイは驚き、ククルは額に指をあてて考え込んだ。
「――活版印刷の発明は五百年くらい前だったわね。それによって大量の『女神の言葉』が刷られ、流通したのは四五〇年くらい前。失われたニクスの記憶はそれ以上前のものということ?」
「辺境の田舎に住んでた可能性もあるんじゃないかな? 北の方の小さな村とかさ」
「いいえ。その場合貴人の書斎だとか図書館を知っていることと矛盾するわ」
「ふぅん。謎だね」
あまり興味なさそうなハルカ。
眉根をよせて思考を巡らせるククル。
「確かに前例はないけれど、ニクスほどの巫力なら数百年単位で老化を抑え込んでもおかしくはない。現在地上のどこでも使われていない言語、明らかに対人を想定した戦闘思考、時代錯誤な本に対する認識――」
思考を整理するようにつぶやく。
「数百年前の人間? けれどこれだけの巫力を持つ騎巫士がいたなら記録が残っているはず。男ならなおさら。でも、事実としてその前例を誰も知らない。彼と我々でズレているのは本当に時間? それとも場所? あるいは高さ――」
「高さ? どういう意味だい?」
ハルカが不思議そうに首をひねるが、ククルはそちらを見もしない。
「……ダメね。現状では情報が不足しているわ」
そう言って思索を打ち切る。
同時に立ち止まる。
突然止まったククルに不思議がる一同。しかしその疑問は次の言葉で解消された。
「それと、ここよ。目当ての本屋は」
確かに本屋がそこにあった。
木造一階建ての店で、しかし横幅は大きい。他の店の倍くらい通り沿いのスペースを占領している。大きな木製の扉には窓ガラスがつけられ、店内が覗けるようになっている。
ククルは先陣を切ってドアノブを回し、扉を引く。
ドアにつけられていたベルが鳴り、室内から独特の匂いのする空気が流れてきた。
一行はそのまま店内へ入る。
やはり、広い。
売り場はおそらくジャンルで分けられているのだろう。子供用の絵本、娯楽用の物語、版画をまとめた本、そして誰が読むのかわからないほど難しそうな本。そう書かれた棚にはぎっしりと本が詰まっており、棚の前には寝かせる形でも本が積まれている。
「――わたくし、ちょっと野暮用を済ませて来ますわね」
本屋に入るなり、すっとクレイが団体から離れる。
「野暮用?」
「あっちは物語の売り場ね。彼女の贔屓にしている作家の新刊でも買ってくるんじゃないかしら」
「ふぅん。それならボクも少し画集を見てこようかな」
「どうぞご自由に」
次いでハルカが離れる。
ニクスはどちらについて回るか一瞬迷ったが、三人それぞれと目当ての店で買い物をする、というのが当初の目的だったことを思い出し、その場に留まった。
本屋を選んだのはククルだ。だからこの場合ククルと回るのが正解なはず。
「ククルさんの目当ては?」
「私はこっちね」
彼女が向かったのは、やはりというべきか、難しそうな本のコーナーだった。
背に書かれたタイトルから内容が推測できない。
いや、単語そのものはちゃんと翻訳されて伝わってくるのだが、『巫力の波動的性質とその干渉について』にどんなことが書かれているのか、ニクスにはまったくわからない。
その後もククルはひょいひょいと本をピックアップしていく。
――『巫力の器と羽根の実体化についての考察』
――『巫術と巫力』
――『始まりの巫女ヒミコの記録』
「巫力について調べているんですか?」
「誰かさんが激変させた決闘のバランスを戻せないかと思って」
ククルの挑戦的な目つきで、自分のことを言われているのだと気づく。
「ということは、【祝福】の防ぎ方ですか」
「実戦では何の役にも立たないけどね」
本来の仮想敵である瘴獣が巫術を使ってくるわけもない。
ただ瘴気を介して一帯の生命力を吸い上げ、あるいは元になった生物の特性を活かした攻撃をしてくるくらいだと、そう聞いている。
例えば馬の瘴獣なら足が速く、蜂の瘴獣なら毒針を持っている――といった具合に。
ならば、もしも仮にヒトの瘴獣がいたとしたら、それはやっぱり知能を使って攻撃してくるのだろうか。一時的に敗北しても最終的には勝利する戦術だとか、そういう人間固有の『未来のことを考える』という能力を使って――
「こんなものかしら。ニクスも欲しい本があれば買ってあげるわよ」
「ですか。それなら、ええと――」
顔だけで振り向いたククルに言われ、ニクスは思考を中断して書棚を見渡す。
しかしこのあたりに興味を惹かれる本はない。だから少しずつ棚の間を歩いて本を眺めていく。
と、分厚い本の並ぶ一角があった。
動物、植物、料理、国家――そういったものをまとめ、絵をつけて解説する書物のようだった。
その中の一冊。表紙が見えるように立てられた本の絵がニクスの目を引いた。
「――これは、古龍でしょうか?」
絵からでさえ言いしれない迫力を感じさせる、巨大な竜の絵が描かれていたのだ。鋭く尖った鱗が逆立つように生え、まるで無数の水晶を生やしているようだった。
「古竜? まあ古い竜ではあるわね。鋼鉄竜ラシュタール――かつて北の大国として知られたロゼッタ王国を滅ぼした伝説の邪竜よ」
「ははあ」
本を手に取り、開く。
彼女の言う通り、その竜はラシュタールと書かれていた。
鉱物を好んで喰らう竜であり、食べた金属を粒子状にして吐き出すブレスは、石造りの城を容易く削って砂に変えたとある。どんなに硬い鎧でも、どんなに堅牢な砦でも、ラシュタールが超高速で金属粒子を吹きかけると、あっという間に削り取られてなくなってしまうのだそうだ。
「こんな強い竜、誰が倒したんですか?」
「倒せるわけないでしょう、そんな怪物」
「え、じゃあ――」
まだどこかで生きているのですか、と聞こうとしたところ、ククルに機先を制される。
「周辺国が協力してね、ロゼッタ王国に残っていた金物を少しずつ運び出したの。その上で、散発的に攻撃をしかけてブレスを使わせ続けた。結果栄養失調になって動きも鈍くなり、最終的には餓死したそうよ」
「餓死――ですか」
なるほど、それはいかにも人間らしい倒し方だ。
まっすぐに相対するばかりが困難の解決法ではない。時には迂回も最良の選択肢になりうる。だが己が強いと自負する優れた種族ほどに、そういう搦手を取らない。それを驕りと取るか誇りと取るかは主観によるのだろうけれども。
「で、その本が欲しいの?」
「はい。よければお願いします」
「精算してくるわ」
ひょいっと本を拾い上げてククルがカウンターに向かう。
その背中について歩く。
「少し、安心したわ。ニクスにも見た目相応なところがあったのね」
「何がですか?」
「男の子って竜が好きでしょ? 理屈はわからないけれど」
見ればカウンターの前には竜を模した小さな土産物が売られている。そしてククルの前に並んでいた家族連れが、それを一つ買い上げ、小さな男の子に与えていた。彼は喜んでそれを振り回す。
あれと一緒にされているのか、とむっとなる気持ちと、でも竜の姿に何か惹かれるものを感じたのは確かだ、と納得する気持ち。
二つはしばしせめぎ合い、結局は折り合いをつけた。
「……まあ、そうかもしれません」
「素直でよろしい」
精算が終わると、カウンターの近くにいたクレイと合流し、それから延々と画集を眺めているハルカを引きずって店を出る。
「――少し時間が余ってしまったわね」
「ですわね。このまま帰るのは少しもったいないですわ」
「じゃあやはり国立劇場を――」
「「却下」」
「つれないなぁ、二人とも……」
「そういうことなら、駅まで少し遠回りして帰りませんか」
ニクスは提案してみる。
「ああ、いいと思いますわ。外から眺めるだけでも観光になる建物だってありますし」
「時間の調整もしやすいしね。ここから国立劇場に向かうよりは万倍効率的な提案だわ」
「はいはいボクが悪うございました。ま、そういうことならさ、あっちの路地を通るのがいいかもしれないね」
ハルカが指さした方を見る。
その先では、高く連なった建物が街を貫くように縦断している。
まるで街にとっての背骨のように。
「なにしろここは神殿都市だ。神殿を避けては通れないだろう?」




