2話
「――ささ、かけたまえよ」
部屋の最奥。
おそらくは一番偉い人間が座るであろう立派な椅子に腰掛けた少女が、そう告げた。
少女。そう少女だ。明らかにサーラよりも若く、それでもニクスよりは背が高い。刃物のようにつり上がった目に、開いた口から覗く尖った歯並びが印象的だった。一見して小型の肉食獣のように見えるが、瞳の奥にあるのは野生よりも強い理性だ。
ニクスは言われるまま、入り口から一番近い椅子を引いて腰掛けた。
椅子に座ると足が床につかない。自分が小さく、おそらくは年若い個体であることを自覚する。
「まずは自己紹介と行こうか。私は学園長のフラン。そして君から見て左に座っているのが信仰科のシルヴィア、右に座っているのが教導科のキクリだ」
順に視線を向ける。
シルヴィアと呼ばれた女性はやはり若く、サーラと同じくらい。銀髪紅眼の美少女だが、視線は鋭く厳しく、文字通り刺すような視線を向けてきている。動きやすさのために衣装の各部には切れ込みが入っていて、荒事にも慣れた攻撃的な気配がする。
一方のキクリはこの中ではやや年上だろう。女性らしい丸みを帯びた肉体を窮屈な服に無理やり詰め込んで、伸ばした黒髪は束ねて肩から胸元に垂らしている。目の下には濃いクマがあり、受ける印象をやや暗いものにしている。
そんな三人と視線を合わせた後、自分も名乗る。
「僕はニクスです」
「ではニクスくん。大まかな話は先程聞き取りを行った職員に聞いているのだが、改めて確認したいことがいくつかあってね」
そう。
この部屋に来る前に別室で試験会場にいた女性と話をしていた。
ニクスはてっきりあの女性がここで一番偉い人間なのだろうと思っていたのだが、再度連れられ入ったこの部屋を見て、それが勘違いだったことに気づかされた。
明らかにここの彼女たちの持つオーラの方が重厚で、部屋の造りも上等だった。
「代わりにそちらからの質問があれば何でも答えよう。いいかな?」
「構いません」
「結構。ではまずはこちらから。受験者の書類を全部ひっくり返して確認してみたんだが、君のものが見つからなくてね。事前試験をどこの神殿で受けたのか教えて欲しい」
「ええと――それは、わかりません」
「わからない、とは?」
「僕の記憶は試験の少し前、この土地の浜辺に倒れていたところからしかないのです」
特に隠し立てする理由もない。素直に事情を話した。
「記憶喪失ということかな。ううむ――」
「……身元の確認できそうな持ち物はありませんか?」
そこでキクリが口を挟んだ。
言われてニクスもなるほどと思い、自分の体をまさぐる。
そうして唯一見つけたのは腰から下がっている革製のホルダーと、そこに収まっていた金属製の道具だった。それを机の上に出す。三人の女性の視線がそこに集まる。
「なんだろう、見たことがない道具だね」
「装飾がやたら豪華だし、そこから出処くらいは探れそうだな」
「……機械科ならわかるかもしれませんね」
「なるほど。ニクスくん、一度こちらで預かってもいいかな?」
「はい。お任せします」
「ありがとう。代わりにそちらからは何かあるかい? 質問とか」
「そうですね――」
ふむ、と改めて三人の顔を見回す。
「なんだかみなさん若くないですか? なんというか、僕はもう少し大人の人たちが出てくるものだと思っていたのですが」
このような大きな施設を運営するのに、人間はもっと経験を積んだ個体を用いるのではなかったか。具体的な記録は想起できないが、なんとなくそういうものだったという認識は自分の中に残っている。
「それは巫力のせいだな。女神に愛された人間は肉体の全盛期から年を取るのが遅くなる。そのせいで私は数十年ずっとこんなナリでね。シルヴィアとキクリも私ほどじゃないが、見た目よりは歳を重ねている。プライバシーに関わるから具体的な言及は避けるけどね」
「巫力――」
「そう。巫力。女神様からの愛がカタチになったものだね」
そういえばそんな言葉をサーラも口にしていた。
自分の中にあるエネルギーではなく、女神と呼ばれるものから供給される力。
「そして、君の巫力は素晴らしい。神授の儀で部屋を埋めるほどの羽根を生み出した者など、歴史上例がない。だから、できることならぜひ我が校に入って世界を救う手助けをして欲しいのだが、どうだろう?」
「自分で言うのもなんですけど、僕は素性もわからないだいぶ怪しい存在ですが」
ニクスは未だ自分がどんなイキモノなのか確証を得ていない。
己の中に本当に善性があるのかさえ不確かな状態だ。
だというのに、フランの方には躊躇がなかった。
「全然問題ないよ。それだけ女神様に愛されているということ自体が、君の善性を証明している。女神様は、純粋で清廉で愛の深い者をこそ愛するからね。だから私からの最後の質問は、君が今後どうしたいのか――だ。個人的な希望としてはさっき言った通り、うちに入学して欲しいんだけどさ」
「そうしてほしいと望まれるのなら。記憶のない今の僕には、目的も何もありませんから」
「即断即決だね。ありがたい。こちらとしても最大限便宜を図らせてもらうよ。困ったことがあったら何でも言ってくれ」
「ですか。ありがとうございます」
「こちらこそだよ。他に、今聞いておきたいことはあるかな?」
「僕からは特には。――けど、シルヴィアさんは、何か僕に聞きたいことがあるのではないですか?」
「――――」
押し黙っていたシルヴィアの視線が強く鋭く、ニクスに突き刺さる。
そして同時にフランとキクリから興味深そうな色の目線が向けられた。
「なぜそう思った?」
「いえ。ただ、そう感じたので」
「ふん。まあいい。質問は一つだ。――お前は、女神様の名前を知っているか?」
「? いいえ」
「じゃあ用はない。アタシからの質問も以上だ」
シルヴィアはそれだけ告げて視線を壁際へと逸らし、口をつぐむ。
質問の意図がわからずニクスは首をかしげたが、それは残る二人も同じだったようで、視線がシルヴィアとニクスの間を何度も往復していた。
けれどもシルヴィアが知らんぷりを続けたため、フランは嘆息してまとめに入った。
「キクリの方からは何かあるかい?」
「……ありません」
「じゃあ今度こそ、私たちからの質問は以上だ。不便なこと、変わったこと、記憶が戻ったりとか、何かあったらすぐ言ってくれ。責任を持って対処するからね」
「ありがとうございます、フランさん」
「どういたしまして。それじゃ、これが今日から君の部屋になる場所の鍵と案内図だ。明日までゆっくり休んでくれたまえよ」
笑顔で手を振るフランにニクスは頭を下げて部屋を出る。
その背中を、三つの視線が見送った。
「……どう思いますか」
「怪しすぎる。記憶喪失で偶然ラクラシアの敷地内に倒れていて、偶然流れで試験を受けて、史上最高の記録を打ち立てて――百歩譲ってそこまでを良しとしたとしても、あの落ち着き方はありえない」
「見たところ十歳くらいだもんねえ。それが記憶喪失になって、知らない場所で知らない人間に囲まれて、あんな理性的な判断できるとは思えないよね」
「ですよね。アタシもそう思って――」
「彼女が見た目通りの年齢なら、ね」
「――!」
「曲りなりにもついさっきまでレコードホルダーだった私でも、神授の儀での最高記録は三十六枚だ。彼女が私とは桁違いの巫力を持っていると想定した場合、年齢の方もそう――例えば七百歳だとか七千歳だとか、七万歳だって言われても、それを否定できる要素はないと思うよ」
「……まさか」
「そう、飽くまでまさかだけどねえ。いずれにしろ、個人的には問題ないと見たよ。最低限の警戒はするつもりだけど、杞憂に終わると思うなあ」
両手を天に向けて伸びをして、椅子の背もたれに頭を預けたフランは、改めて言った。
「素直に受け取ろうよ。女神様からの贈り物をさ」




