19話
決闘で得たポイントを試しに換金してみたところ、金貨一枚になった。
「はぇー……」
金貨には不敵に笑う女性の顔が彫られている。なんだか既視感があると思ってよくよく観察すると、どうもモデルは学園長らしかった。
「そっか、有名な英雄なんですもんね」
国を代表する生きた偉人――となれば、硬貨のモデルになってもおかしくはない。
感心しながらひっくり返すと、裏面には立派な神殿が彫り込まれていた。しかしそっちには大して興味がないので、再びコインを裏返してフランの顔を見る。
よく再現されている。刃物のような鋭い目も、肉食獣のようにギザギザと尖った歯も、それでいて不思議とどこか知性的な表情も、間違いなくフラン・ベルジュールだ。
そんな風に金貨を眺めるニクスに、換金を担当した若い女性事務員が声をかける。
「ちなみにニクスさんの口座にはまだ千枚ほどありますが、いくらかお引き出しになりますか?」
「せんまい」
思わずオウム返しする。
そこまで来るともはやすごくたくさん、としか認識できない。
「――って、なんでそんなにあるんですか?」
心当たりがない。
浜辺で倒れていたときより前のことは未だ何もわからないし、学園に入ってからもそんなにお金をもらうことをした記憶はないのだが。
というニクスを疑問に、女性事務員が答えてくれた。
「入学テストのときの羽根分ですね。神授の儀で生じた羽根は学園に納めてもらう代わりに、枚数分の金貨を支給する決まりになっているんです」
「それ、大丈夫なんですか? 学校の負担になるのでは……?」
「あはは。そんなことないですよ。羽根は国中の機械を動かすのに使いますからね。いくらあっても足りないし、金貨以上の価値がはっきりあるんです」
「ははあ、機械を――」
「ですです。大型の機械ほど使う巫力も多くなりまして、そのせいで鉄道は気軽には動かせないんですが、ニクスさんの羽根のおかげで国内の物資運搬が捗っているとか――」
「――ニクス」
会話に割り込むように呼びかけられて振り向くと、そこにはクレイが立っていた。
「ああ、クレイさん」
「その金貨の使い道、決まりまして?」
「いえ。ひとまずどんなものかなと思って換金してみただけで。現状アテはありません」
「そう、ですのね」
目を合わせていると、なぜかクレイが視線を泳がせた。
自信に満ち溢れている彼女らしくない。なにかあったのだろうか。
ニクスが首を傾げていると、クレイは再び視線を合わせて、こう提案してきた。
「それなら、わたくしと買い物など、どうでしょう?」
「買い物ですか」
と、再び彼女の目が自信なく泳ぎ、伏せられる。
「その――よければ、ですけれど」
やっぱりらしくない。
が、断る理由もないし、面白そうだと思った。
「ぜひご一緒させてください」
「も、もちろんですわ!」
一転してクレイの表情が明るくなる。
その様子にニクスは再び首を傾げ、女性事務員は何やら楽しげにニヤニヤ笑いながら生暖かい目線を向けてくるのだった。
「――こんなはずでは、こんな――」
学園区画から都市部に向けて北上する馬車の中で、クレイはつぶやいた。
彼女の表情は苦々しく、不本意がありありと表れている。
「まあまあ。旅は道連れ世は情けだよ。グレイモア嬢」
「ふふん。本当なら二人っきりで何をするはずだったのかしらね」
同乗者たちの言葉にキッと強い目線を向けるクレイ。
けれども向けられた二人はそんなものどこ吹く風。まるで気にせずにリラックスして席に腰を下ろしている。
「何って、ただの買い物ですわよ!」
「ならいいじゃない」
「そうそう。何よりニクスくんのご希望なんだからさ」
ハルカ、ククル、クレイの目線が一気にニクスに集まる。
なぜクレイが怒っているのかわからないニクスは、素直に告げる。
「みんなで行ったほうが楽しいかと思いまして」
「~~~~っ! ……はあ、わかりましたわよ、仕方ありませんわね」
何らかの言葉を飲み込み、代わりに大きく息を吐くクレイ。
ため息をつくと幸せが逃げる、というのは誰の言葉だったか。不意にそんなことを思った。
そんな一行を乗せて馬車は進む。
街道は整備され決して悪路ではないが、それでもときおり馬車は揺れる。けれどもそれを気にする者はいない。みなそれなりに旅慣れているようだった。
「ところでグレイモア嬢。そのバスケットの中身は? ボクの空腹を刺激するいい匂いがするんだけど」
言われてクレイは膝上のバスケットを守るように腕を回す。
けれどもその腕すらも貫通して見通すように、ククルが言った。
「手作りサンドイッチね。具材はトマトとレタスとチーズ。個人的には肉も欲しいところなのだけれど」
「開ける前からそこまでわかってしまうのか。聞きしに勝る慧眼だね。ええと――」
「ククルでいいわよ。リンデンカンは言いにくいでしょう?」
「ご推察痛み入る。ではククル。あれには四人分入ってるかな?」
「いいとこ三人前ね。私たちが来ることは想定してなかったみたい。まったく、見通しの甘いこと」
「それなら安心してくれ。ボクは少食だからね。ニクスくんと二人で分けるさ。本格的な食事は街についてからでいいだろう」
「あ、貴方たち――」
勝手にバスケットの中身の配分を相談し始める二人に、我慢しきれず口を挟む。
「貴方たちの辞書に遠慮という文字はありませんの!?」
「ないねえ。落丁かな?」
「あら。なら交換してもらったほうがいいわよ」
「でも気に入っているからなぁ。なにしろ十七年かけて育てた辞書だからね」
やいのやいのと会話を交わす三人。
一方ニクスは窓の外を眺めながらサーラのことを考えていた。
本当はサーラも誘ったのだ。しかし彼女は学園での奉仕活動を率先して消化しているということで、断られてしまった。
トイレ掃除をして回る彼女に「手伝いましょうか?」と言うと、彼女は真剣な面持ちで首を振った。
『あたしはキミのことを友達だと思ってる。もしもキミもそう思ってくれているなら、あまりあたしを甘やかさないでくれ。あたしはキミと対等でいたいんだ』
決闘では勝てそうにない分、奉仕活動でポイントを稼いで故郷に仕送りしたいのだという彼女の願いを、ニクスは尊重することにした。
だから彼女とは次の機会に一緒に行く約束をして別れた。
「少しさみしいですが、仕方ないですよね……」
と、馬車が一層大きく揺れる。
「あうっ!?」
「あら」
「おっと」
馬車の壁面に頭をぶつけたクレイが苦悶の声をあげ。
何かに気づいたククルが視線を窓に移し。
揺れたニクスの体をハルカがとっさに支えた。
「すみません」
「構わないよ。それよりも、これは――」
クレイもハルカもニクスも、ククルの目線を追って窓の外を見る。
――大きな車が並走していた。
馬車よりも大きく、頑丈そうな黒い車が、何両もつながって走っている。
車輪の下には先の先まで鋼鉄製のレールが敷かれている。それがなければあの巨大な車両は自重で地面に沈んでいってしまうのだろう。
よくよく観察すると、車輪には巫力の活性を示す薄桃色の光が宿っている。
「もしかして――」
「そう。あれが鉄道よ。馬車よりも速く、馬車とは比較できなくらいに積載能力に優れた車両。陸上最高の運搬手段。そしてラクラシア各所と、ごくごく一部の大国とだけつながった、特別な移動手段」
「ですわね。平時は物資の運搬に使われ、有事には――本当に差し迫ったときには、ラクラシアの騎巫士を大量に乗せて他国に派遣する移動手段になるのですわ」
「ははあ」
窓に貼りつくようにして鉄道と呼ばれた車両を見る。
それは大きな音と揺れをこちらに伝えながら、すぐに馬車を追い越し、どんどん小さくなって行き――
「ああ、見えてきたね」
いつの間にか、周囲の景色が変わっていた。
学園区画と都市部の間にある隔離領域を抜けて、目に見えて緑が減り、人工物が増え、その先に街が見えてきた。
「女神の都、ラクラシアは咲く花の、匂うが如く今盛りなり――ってね」
都市を讃える詩をハルカが諳んじる。
なるほど、花ですか――とニクスは行き先を見る。
女神への信仰心と機械の技術によって絢爛を極める神殿都市に飲み込まれるように、馬車は入ってゆくのだった。