13話
「はい。なんやかんやとありましたけどぉ、次は【祝福】の授業ですよぉ」
「アレをなんやかんやでまとめていいんですの、先生……まだ少し目がぐるぐるしているようですけれども……」
「先生、問題は先送りにする主義なんですぅ」
「でもそれって根本的な解決になりませんわよね……?」
そんな問答をしているユニ先生とクレイを、ニクスはまるで他人事のように見ていた。
もちろん自分のせいで教室に混乱を引き起こしてしまったことは理解しているのだが、だからと言って自分にできることはない。
だから生徒を教導する役目を持つ『先生』に対応を丸投げすることにした。
その結果が今の状態だ。
「正直ニクスさんについては前例がないことが多すぎるのでぇ、今考えてもたぶん何もわかんないんですよぉ。だったらキクリさんに報告してえらい人たちにぶん投げたほうがいいと思うんですぅ」
「はあ……」
「それにぃ、ニクスさん一人のために他の子の授業が遅れちゃっても困りますからねぇ」
「それはまあ、確かに」
というわけで、一同はユニ先生に連れられて体育館に来ていた。
校舎とは長い廊下でつながった別の建物で、天井が非常に高く、あらゆる運動に対応するため床には滑りにくい木材が使用されている。換気のための窓が多く、また身体能力を計測する器具が各所に設置されているのも特徴的だ。
「すみませんが今回もニクスさんは最後にやってもらいますよぉ」
「ですか。では見学していますね」
「うんうん、腐らず勉強熱心でえらいですぅ」
満足そうにうなずき、それから生徒たちを見回すユニ先生。
「それじゃあまずは説明からしていきますねぇ。すごーく簡単に言えば肉体を強化する術が【祝福】なんですぅ。足にかければ速くなるしぃ、目に使うと遠くまで見えるようになりますぅ。それで信仰心の低い人は【強化】なんて呼ぶんですねぇ」
なるほど、とニクスは納得する。
【祝福】と言われてもピンと来ないが、【強化】と言われればどんな巫術なのかわかりやすい。しかし信心深い学園関係者にとって、それはあくまでも女神様から授かる【祝福】なのだろう。
「それで肝心の使い方ですけどぉ、まず巫力をぐぐーっと圧縮して濃くしてくださいぃ」
ユニ先生は右手を突き出し、むむっと頬を膨らませ力を高める。
ほどなく手のひらから薄桃色の淡い輝きが生まれる。
それを見た生徒たちも「圧縮ですか」「濃くする、濃くする……」などとつぶやきながら実践していく。
体育館の中に次々と薄桃色の光が生じる。
「みんな上手ですよぉ。そうしたら次は濃くなった巫力に渦を作るんですぅ」
先生の手の輝きが増し、あわせて人差し指を曲げて親指で抑える。
人差し指が小さく震えているのは力を込めているせいか。
そして、
「ていやっ!」
という掛け声とともに指先を弾くと、ぶわっと風が巻き起こる。
指に弾かれた空気が体育館に広がり、窓の端にまとめられていた暗幕が揺れ、生徒たちの髪もまた大きく風になびいた。
たったの指一本で、広い体育館の端まで風を届けてしまった。
「――成功すればこうなるわけですねぇ。さあさあ、やってみましょう」
と言われたものの、即成功する生徒はやはり少ない。
一番最初に成功したのは優等生のクレイで、続いてククル、次いでサーラだった。他の生徒たちは巫力に渦を作ることに苦戦しているようで、ニクスの見たところ単純な【回復】として発動させてしまっている者が多い。
しかしそれも、ユニ先生が一人ひとりに根気よく指導していくうち、徐々に成功率が上がってくる。
「そうですそうです、渦がうまくイメージできないならバネでもいいですよぉ。要はぐるぐると巻いている力が【祝福】になるんですぅ」
巫力の渦を作り出し、その渦がゆっくり元の形に戻って収まると【祝福】が切れる――そういう感じのようだった。思ったより効果時間は短いし、他人にかけるのはコツが要りそうだ。
「もうみんな大丈夫そうですねぇ。それじゃあ次は二人組を作って、お互いに【祝福】をかけてみましょうかぁ」
二人組。
さて困ったなとニクスが組む相手を探そうと思った瞬間、即座に近づいてきた生徒が三名。これまたやっぱりクレイ、ククル、サーラだった。
「わたくしと組んでいただきますわ」
「私と組みましょう」
「あたしと組まないか?」
三人は同時にそう口にし、そしてお互いに目線をぶつけ合う。
「この中で一番巫力が近いのはわたくしですわ」
「あらおかしい。数百枚のニクスの前では十五枚も七枚も大して変わらないでしょうに。それより私ならさっき教室で起こったナイフの謎も解き明かせるかもしれないわよ」
「ああ、えっと……あたしはその、組む相手がいなかったら、でいいんだけど……」
一歩ずつ踏み込むクレイとククルに、一歩引くサーラ。
さて自分はどうするべきかと考えていると、そこにユニ先生が割って入った。
「そこまでですぅ、ニクスさんの相手は先生がしますよぉ」
「なんでですの?」
「さっきも言いましたけどぉ、何が起きるかわからないからですぅ。先生として生徒をリスクには晒せませんからぁ」
「……そう言われては言い返せないわね」
「それでぇ、二十六人に先生が入ると必然一人余っちゃいますからぁ、そこの余った三人で組んでくださいねぇ」
「余ったは言い方が悪くありませんこと!?」
「仕方ないわね」
「うん。じゃあ、よろしくな」
三人組含め、生徒たちは次々に組んだ相手への【祝福】の練習をし始める。
そこでニクスは改めてユニ先生に頭を下げる。
「すみません、ご迷惑をおかけします」
「全然大丈夫ですよぉ、実際のところ問題が起きるとは思ってませんしぃ」
「でしょうか。人に巫力を流すのはまだちょっと怖いんですが」
爆発しそうで、というとユニ先生は笑う。
「巫力には生き物を傷つける力はないので大丈夫だと思いますしぃ、万が一爆発しても先生は【回復】が得意だからやっぱり大丈夫ですよぉ。まあでもぉ、そんなに心配ならまずは自分の体に【祝福】をかけるところからやりましょうかぁ。練習ですねぇ」
また【回復】のときみたいに余波で他の生徒に【祝福】がかかってしまう可能性もありますしねぇ、と言われ、確かにとニクスは納得した。
「ええと、巫力を圧縮して、渦を作るんでしたね」
「ですですぅ」
さっき先生がしていたように右手を突き出してそこに巫力を集約し、圧縮する。桃色の強い光が眩しいほどに迸り出す。
そしてそこに渦を作って自分の肉体と反応させ――ようとしたところで、桃色の光は何かに弾かれるように散ってしまった。
その何かというのは――自分の中にある力の流れだ。
「どうかしたんですかぁ?」
「――ええと、僕の体って物理攻撃が効かないじゃないですか」
「ナイフを弾いてましたねぇ」
「それで、多分なんですけど、【祝福】も同じような理屈で弾いてしまうみたいです」
「弾く――ってどういうことですかぁ?」
「巫力を流すのは大丈夫なんです。それを圧縮するのも。でも、渦を作って、自分の状態に干渉させようとすると失敗します。体が、その中に流れているものが変化を受けつけないのです」
「うーん。状態が固定されていて、バフもデバフも無効になるってことでしょうかぁ」
「バフ?」
「先生、テーブルトークゲームが好きでしてぇ。それの用語なんですけどぉ」
「はあ」
よくわからないが、なにかの遊戯の用語らしい。
「物理攻撃が効かなくてぇ、バフデバフも効かなくてぇ、これで仮に睡眠とか毒とかの状態異常も無効だったら――完全に無敵キャラですねぇ」
「どうでしょうか。毒は試したことがないのでわかりません。なにか用意してもらえれば飲んでみますけど」
「毒を飲んでもらうかはわかりませんけどぉ、ナイフの件も含めて診察や検査をしてもらう必要はありそうですねぇ。まあ、それはおいおい後々でぇ。まずは先生に【祝福】をかけられるかやってみましょうかぁ。ただ純粋に失敗しただけかもしれませんからねぇ」
「……やってみます」
細心の注意を払い、針に糸を通すような繊細さでニクスはユニ先生に【祝福】をかけた。
そうして劇的に強化された先生が体育館を破壊してしまうのは、この直後のことだった。