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11話




 ――深夜。

 空には分厚い雲がかかり、星一つ見えない夜空の下を、ニクスは歩く。

 辺りは暗い。それでも歩くのに難儀しないのは、校舎の各所に設置された外灯が敷地内をうっすらと照らしているからだ。まるで星の代わりの如くに。


「この辺でいいかな」


 ニクスは視線を上に向ける。

 その先は校舎二階、もっと言えばその外壁についた白い外灯だった。

 彼は指輪から黒い糸を伸ばし、外灯に絡める。

 強度を確かめるようにそのまま何度か引っぱり、

 

「ていっ――」


 気合を入れると糸が縮んでニクスの体が持ち上げられる。

 そのまま外灯近くまで来ると、左手でそれをつかみ、右手を三階の外灯に向ける。


「よっとこしょっ――」


 再びすーっと音もなく体が運ばれる。

 それを繰り返して屋根まで登ったニクスはそこで一息つき、それから自分の指輪を眺めてうなずいた。


「なるほど、だいたいわかってきました」


 それはつまり、この指輪の特徴と限界のことだった。

 指輪から伸びる糸は自分の思う通りに動き、やろうと思えば糸の先を空中で止めたりもできる。自分は寝そべったまま糸でペンを握り、壁に文字を書いたりなんてことも可能だ。


 一方で限界もある。

 まず伸ばせる長さは自分の身長の三倍くらい。

 それから糸の力はほとんど自分の腕力と等しい。自分が持ち上げられない重い岩を糸で持ち上げたりはできない。糸と自分とで腕相撲をすればおそらく千日手になるだろう。

 しかし、それも悪いことばかりでもない。自分と同じくらいの力しかないのだから、人間相手に使っても問題ないのだ。どうやったって人を傷つけることはない。


「のちのち決闘とかあるらしいですからね。大事です。女性に傷はつけたくないですし」


 うんうんと一人うなずく。

 それを聞くものはいない。見るものもいない。

 月も星も姿を隠し、鳥も虫も寝静まって声をあげない。

 そんな静寂の世界を、ニクスは一人歩く。

 建物の屋根を道のごとくに進んでいく。

 それはさながら、夜の世界を独占しているみたいだった。


「なんだか不思議です。本当にみんな寝ているんですね」


 人間は夜には眠るものである。

 そういう常識は自分の中にも確かにあった。だから最初の数日は眠る努力をしてみた。しかし残念ながらその努力が実を結んだとは言い難い。

 ニクスは浜辺で目覚めて以降、ただの一度も寝ていない。

 眠気という概念すらもよくわからない。

 人間が夜には眠るものであるとするなら――


「――やはり僕は人間ではない、と考えるべきなのでしょうね」


 うすうす感づいていたことではあるが、改めて自覚すると少し寂しい。

 自分は群れの中に混じってしまった、たった一匹の別種なのだ。


「けどまあ、別にいいか。大したことじゃないし」


 それに関しては深く考えても仕方がない。今から人間に生まれ直すことはおそらくできないだろうし、現状でそれほど不便を感じていない。みんなも優しくしてくれる。

 どちらかというと己の出自に近づくための手がかりとして喜ぶべきなのだろう。


「それも現状進展ないですけど――」


 ぼやきながら歩いていると、進行方向に小さな人影が見えた。

 向こうもすぐにこちらに気づいたようで、屋根の上を走って近づいてくる。素早いのに音はなく、天性のそれをさらに努力で磨いた一級品の身のこなしだった。


「や。誰かと思えばニクスくんじゃないか」


 小さな影の正体は学園長、フラン・ベルジュールだった。


「どうしたんだい、こんな夜更けに」

「いえ。実は眠れなくて」


 ストレートに告げる。

 と、それを聞いたフランはうんうんとうなずく。


「なるほどねえ、まあそういうこともあるだろうさ。あまり気負わないことだよ。君たちはあくまでまだ学生だ。一人前の騎巫士になるまではね」

「はあ」


 なんとなく話が通じているようで通じていない気もしたが、それとは別に聞きたいこともあったのでニクスはそちらを優先した。


「学園長はどうしてこんなところに?」

「見回り兼息抜きだよ。ここから星空を見るのが好きでね」

「星空――今日は見えないみたいですが」

「ああ、残念だ。君にも見せたかった」


 星空。概念は知っている。

 夜の空に光の粒が不規則に並ぶ状態。

 だがそれを見ることを好む人間がいることは、知らなかった。


「この辺は昔から私の息抜きスポットだったんだが、最近は雲が出ることが多くなってきたね。瘴気のせいだとか機械のせいだとか色々言われてるけど、どうなんだろう。百年とか千年のスパンで見たら単なる偏りなのかもしれないし」

「昔――学園長が学生だった頃ですか?」

「私が子供の頃にはまだ学園はなかったよ。騎士も巫女も数が少なくてね、ハードな時代だった」


 フランはそう言って屋根にぺたんと腰を下ろし、隣をぺちぺち叩いて示す。

 ニクスは示されるままに隣に座る。

 フランは満足そうに笑って、それから雲のかかった夜空を見上げた。


「あの頃はね、神殿で巫力を計測して、ある程度あったらそのまま瘴気に汚染された土地に連れて行かれる――なんて国もあった。そこでひたすらに巫力を吐き出して浄化させられるんだ。精根尽き果てるまでね」

「それは――ひどい話ですね」

「だろう。師匠を持てる者は運がいい方で、たいていの場合は自力で騎士や巫女に至るしかなかった。だから犠牲者も多かったし、士気も決して高くはなかった」


 なかなかに壮絶な話だ。

 こんな話を聞いたら学園を辞めたくなる子もいるのではないだろうか。

 それともそんなことはみんな承知の上でここにいるのだろうか。


「そこで私は考えた。世界中の騎巫士を全員集めたより強くなろう――ってね。そうしたら極論、戦うのは世界で私だけでよくなるはずだ。もうがむしゃらにやったよ。強くなるためなら何でも使ったし、何でもやった。でも、全然足りなかった」

「確か三つの国を瘴気から救ったと聞きましたが――」

「三つしか救えなかったんだ。私は世界全部を救いたかったのに。それで思い知ったのさ。私一人でできることには限度がある。世界を救うには私が百人要るってね。それで関係各所を這いずり回って作ったのが、この神殿学園というわけさ」

「あなたがこの学校を作ったのですか」

「の一人、というだけだよ。実際にはたくさんの人の協力と思惑で、ここは成り立っている」

「それでも、すごいです。偉大です。クレイさんの気持ちがわかりました」


 世界全てを己の肩に載せてしまおうとしたかつてのフランも。

 それを失敗したあとで自分を百人育てようと駆けずり回ったフランも。

 たったひとりで数え切れないほどの願いを集めて背負って、まるで器のごとくに自分の願望であると断言できてしまうその強さ。

 まるで自分の求めていた■■のような――


「――っ」

「ん? どうしたんだい、ニクスくん。急に頭を押さえて」

「いえ。ちょっと頭痛が――」


 ■■?

 ■■とはなんだ?

 とても重要なことの気がするのに、よりにもよってなぜそこが欠落している?

 それを考えれば考えるほど、頭の痛みは増していく。


「っく――ぅ――!」


 さすがにこれ以上は無理というところまで来て、ニクスは思索を打ち切った。

 意識せず停まっていた呼吸を再開する。

 大きく深く息をするニクスの頭を、フランが撫でた。


「すまない。深夜だというのに長話に付き合わせてしまったね。しかも暗くて後味の悪い話だ」

「そんなことはありません。聞けてよかった。本当です。もっと聞きたいくらいです」

「ありがとう。でも今日はもう休みなさい。健康は何より大事だからね」

「……はい」

「聞きたいならいつでも話してあげるとも。その気になったら学園長室に来たまえ。お菓子を用意して待っているよ」

「じゃあ、そのときはよろしくお願いします」

「ああ」


 静かな夜の密談は終わり、二人はどちらからともなく空を見上げる。

 そこにはやはり分厚い雲があり、夜空の漆黒さえも目にできなかったが――たったひとつ、雲の切れ間から輝く星がかすかに見えた。



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