剣雄夜話
俺の昔の話?
前にも言ったろ、竜のお前が聞いて楽しい話なんてなんもないぞ。
わかったよ。
そうだな。
俺の一番古い記憶は、水田だな。
両側にだだっ広い水田が広がった一本道を、知らない爺さんに手を引かれて歩いていた。
でも、俺の故郷にはそんな場所なかったはずだし、俺の家族にそんな爺さんはいなかったんだ。
だから、俺の幻かもしれない。
けれど、その時妙に心細い気持ちだった俺は爺さんの引いてくれる手の温かさだけを信じていたように思う。
多分なんだが、俺の故郷が焼け落ちた後、一人で彷徨っていた俺を拾った人買いか何かだったんだと思う。
まあ、ろくな奴じゃあなかったんだろうけれど、優しくはしてくれたよ。
ん? じゃあ一番古い記憶じゃないって? まあ、そうなんだけれどな。
それでも俺にとってはそれが人生の最初だと思う。
俺が語った、灰色の森、丘、登る朝陽と沈む月。
その光景はもう燃えてなくなってるから。本当にそれがあったのかわからないことになってしまった。
思い出じゃない、地続きの記憶の最初は、そこからだよ。
そうだな。俺の故郷の村が焼け落ちたのは10年くらい前だ。
理由はわからない。人が竜の怒りを買い炎厄に見舞われるのは、確かにあることだが、滅多にないことだ。
村を焼いた竜はもう討伐されてしまったから、理由はわからず仕舞いだ。
いつも通り、朝から言いつけとおつかいをしてたら日が沈んで、飯を食って夜になって寝て、明日になるんだと思っていたある時、村に火の手があがった。
なぜかはわからない。未だにわからないんだよな。
母親に手をひかれて家の外にでたが、火は村中を囲んでいて、逃げようがなかった。
井戸の中に飛び込んだり、火の薄いところから逃げようとしてる人がいたり、思い思いにあたふたしていた。
母は何を思ったのか、家に戻ると、台所に俺を連れて行って、消えた竈の中に放り込んだ。
そこなら、絶対に火が届かないからって。
そして、竈の石蓋を閉めて、そして……。
次の日、焼け落ちた村の中で、俺は家族を探したけれど、結局、どれが母でどれが父かはわからなかったよ。
怒りとか、それどころじゃなかった。
昨日まで、あるはずだったものが、どこにもなくなっているんだ。
それがおかしいことだって、誰かに訊きたかったけれど、教えてくれる人も聞いてくれる人もいない。
昨日までが夢だったんじゃないかって、誰かに訊きたかったけれど、やっぱりな、誰もいないんだ。
そこで、故郷の記憶は終わりだ。
まあ、厳しい土地だった。毎日働いて飯を食ってたら終わるような、そういう毎日は大して思い出もないけれど。
でも、今にして思えば、あれほど幸せだった時もなかったんじゃないかって。いや、覚えてないんだけれどな。
本当に、思い出がないんだよ。
実感湧かなくて。だから、故郷を焼き払った竜に復讐を、って気持ちは結局持てなかった。
そんな俺が冒険者を続けたのは、隊長の影響だろうな。
隊長は、髭の生えたおっさんで、冒険者の一団を率いている凄腕の剣士だった。
当時の冒険者も竜の専門家のことだわな。
竜害の起きた地域に赴いて、竜を追い払ったり、人里に降りてきた獣を狩ったり、人が侵してしまった竜の縄張りの印を修復したり、だ。
そもそも、槍も弓も通らない竜と戦うなんて選択肢はないよ。なんとか、怒りを鎮めて帰ってもらう。俺としてはシャーマンの類だったような気がするな。
だから、冒険者は食い扶持のないならず者がなるってイメージだけれど、その上層部は学者顔負けに竜の生態に詳しかった。
隊長は、竜、それも人語を介する精霊域の上位竜種ともよしみがあって、竜相手に交渉の真似事までできる人だった。
もしかしてお前もあったことあるんじゃないかな? 知らねえか? ちょび髭で、髪を後頭部で束ねた厳つい顔のおっさん。知らんか。
村から人買いに連れられて、王都にある孤児院にぶちこまれた。
そこは冒険者ギルドが出資して作られた施設で、竜害により身寄りを失った子供を引き取って、冒険者としての教育を与えて、次代の冒険者を輩出する。という施設だった。
悪趣味な施設だとは思うけれど、それくらい竜の相手をする仕事なんて、誰もやりたがらなかったからな。
決して、人は竜に勝てない。だから、放っておけばいいのだけれど、竜域を侵す危険を我慢しなければ人の生活はままならない。
騎士からは侮蔑され、狩人は忌み嫌う。
竜の相手とは、そういうものだった。
けれど、それが俺には性にあっていた。
空っぽだった俺は、竜を怖がらなかったからな。
3年孤児院とは名ばかりの訓練施設で基礎訓練を終えたら、隊長に引き合わされて、俺は隊長のグループと一緒に世界中の竜域を廻る旅に出た。
いや、多分結構色んなところを歩いていたはずだし、きっとお前と一緒に回ってきた竜域にも来たことがあると思うんだ。
でも覚えてないよ。
根っこが空っぽだった俺には、どんな山も川も、風も雨も同じに見えた。
ただ、言われた通りに雑用をこなして、罠をこしらえて、木に印をつけて、妙な臭いのする薬剤を混ぜて地面に塗ったりしていた。
時折、隊長に剣の稽古をつけてもらったりな。
隊長はことあるごとに俺に色んなことを教えてくれた。
どんな苦役を押し付けられても、辛くも楽しくもなさそうにこなしちまう子供ってのが、不気味に映ったんだろう。
人並のことを、させてくれようとしてたんだと思う。
よく言われたよ。「靴の手入れを怠るな」って。
俺達は、竜域に這入るのが仕事だ。人様の家に、勝手に押しかけて、謝ることが仕事なんだから、身だしなみは整えなきゃならないって。
それは、こぎれいな服だの、見栄えのする武器だのじゃなくて、心の問題だって。
誠意と礼儀をもって、敵対し、遜る。
それが僻地を冒険する者、竜に出会う者の在り方。
竜だって、そういう奴相手の方が見逃してくれるかもしれねえだろって。
ああ、俺が竜というものを相手にして心を荒ませずにに無暗に済んだのは、隊長の教えの御蔭だろう。
それから、旅は続いた。
短いよ。多分、二年くらいだ。
けれど、その年月が俺の中では一番密度が高かった。
そんな日々が続けばいいと思った。ただ、隊長の言うことを聞いて、喜ばせてあげたかった。
ある日、全てのギルドに所属する冒険者は、王都正規庁へと招集を受けた。
殺竜刻印を持つ12本の聖剣が完成し、その所有者となる適合者を選抜することになったからだ。
その剣は特殊な金属でできていて、帯びた神の力で竜の火の息を遮り、鱗を簡単に裂くとの触れ込みだった。
そんな御伽噺みたいなもの、と隊長や他の冒険者達も鼻白んでいたけれど、1本目の適合者とか言う剣を持った子供が、俺達の目の前で竜を一匹斬り殺すところを見せられた時には、驚いたよ。
竜が死ぬのをみるのは、初めてではなかった。
寿命で死んだ竜の骸を見たこともある。竜特有の熱病にやられてトチ狂ったのを谷に誘い込んで、ふらふらになってるところを30人かかりで矢を雨のように降らせて倒したころもある。
けれど、人が剣を使って、竜と戦って勝つところなんて、初めて見た。
その時の、斬られた竜の断末魔を聞いた時、なんだか、不思議な気分だったよ。
『やめろ、それはお前たちの手に余る』
そういって死んだあの竜は、あれは負け惜しみだと皆もその時の俺も思ったけれど、本当にその通りだったんだなって今ならわかる。
全員が適合試験を受けたがったよ。
試験は簡単で、剣の柄を握るんだ。
相応しい者が握れば、刀身に奇妙な紋様が浮き上がるだとか。
なんだっけ、竜と感受性が似ている者に反応するってことだったのか。
その時の試験では、8人が試験に合格した。
その時に、俺も剣を手にとった。それが、今俺が佩いている剣だ。
なんで、って。そうだな、俺は助手みたいなもんだから、試験なんて受けなくてよかった。
隊長もな、俺が試験を受けることを嫌がったよ。
やっぱ、あれは人間の手にしていいもんじゃないって、思ったらしい。
でも俺は試験を受けたかった。
何度もの冒険の中で、竜の炎にやられてしんだ隊長の部下たちのこと。
その度に泣きそうになる隊長の顔。
俺が竜と戦えるだけの力を持ったら、隊長を笑顔にしてやれるんじゃないかって。
でも、わかってなかったよ。
剣に選ばれ、十二剣聖の末席を埋めることになった俺は正規庁直属になって、隊長の側にいられなくなった。
でも、それでいいんじゃないかって。その時は思った。
そうして、十二剣聖が揃って、全竜域掃討戦が始まった。
後のことは、そうだな。
そこで俺の記憶は終わりだ。
言われた場所へ行って、言われた竜と戦って、斬る。
それだけだ。
俺はどこまで行っても空っぽだった。隊長が頑張って俺の中に詰め込んでくれた誠意と礼儀は、人竜戦争で必要とされることはなかった。
人の軍勢が竜域に攻め込む、通用せず返り討ちに合う。逆襲にあい、人の領域を攻めた竜のところに行き、斬り殺す。
それだけだった。
救国の剣雄ともてはやされ、竜すら殺せる恐ろしい者として気味悪がられて。
仲間たちのように、これからの国家について論じることも、落とした竜の首の数で競う気もなかった。
ただ、言われたことをやってれば、喜んでくれると思って。
旅をしてると、どうやら俺の故郷らしいところにも行ったけれど、何の感動もなかった。
思い出の中にあった、灰色の森は焼けて無くなっていた。
朝陽と月が同時に見える時間を待ったけれど、俺が滞在できる時間の間にその瞬間はこなかった。
水を汲みに行ったはずの川も、竜が死んだことで水の出方が変わってしまって、干上がっていた。
俺の思い出は、本当に思い出の中にしかなくなっていた。
どれくらいの期間、そうしていたのかな。目ぼしい竜を全部殺して、ただの人間でも竜と戦うことができるくらいに勢力が逆転したくらいのころ。
俺は剣雄を辞めて、旅に出た。剣なんて突き返すべきだと思ったけれど、もしこの剣が別の、もっと竜を狩ることを愉しむような奴に渡されたらと思ったら、怖くて、逃げるように、正規庁の追手を振り切った。
そうして、一人で旅をして、俺は何にも持ってないことばっかり思い知らされながら、旅をして。
俺は隊長と再会した。
俺の顔みて、泣き出してさ。
なんて顔をしてやがるって、叱られた。
それから、隊長の話を色々聞いた。
今でも冒険者をしているらしかったけれど、昔のように竜を畏れる仕事は消えてしまったそうだ。
昔の仲間は、冒険者を辞めてしまい、今の部下は竜狩りが始まってからやってきたようなならず者ばかり。
今では、殺された竜の死骸を解体したり、竜の縄張りを壊すことが務めだと。
そういった隊長の靴は、全然手入れされていなかった。
俺の思い出の中にあったあの2年もまた、思い出の中だけだった。
その隊長が、竜の討伐に出向くのだと言った。
近くにある、良質な石の取れる谷が、どこからか流れてきた竜の住処になってしまったらしく、領主から討伐の依頼が出たという。人を襲う邪竜と認定されたそれを、一刻も早く排除することを望まれた。ただ、他領と隣接する宙ぶらりんになった石切り場の利権を取り戻したかっただけだと思うがね。
殺竜刻印がなくても、殺せるような弱い竜しか生き残っていない当時なら、隊長だけでも討伐はできるだろうということで、本当は隊長は嫌だったけれど、依頼を受けたそうだった。
「部下を、くわせにゃならんからな」
なんだか、あれだけ頼りになった、親父みたいな存在だった隊長が、随分年をとって見えたよ。
一緒に来てくれと頼まれた。
今更、竜と戦うことなんて、できないと思ったけれど、俺だってもう大人だ。少しでも、重荷を一緒に背負ってやりたかった。
確かに谷間に竜はいたよ。
でも、それは追い立てられ、逃げ込んだ弱弱しい竜などではなかった。
ただ、その強さを今更に世に放つ気もなく、隠遁することを選んだ強者だった。
その吼え声で、部下のならず者共は、一目散に逃げだした。
かつての隊長の部下だったら、そんなことはなかったのに、そう思ったけれど。
隊長も一緒に逃げ出すのをみて、面食らった。
この人も、俺の知ってる隊長ではなくなったのだと。
俺が大切にしているものは、俺の思い出の中にしか存在しなくなったのだと。勝手な言い分だけれどな。竜に面と向かって戦うなってのは、隊長第一の教えだった。と思うけど
だから、俺は一人で竜と戦うことにした。
隊長に、逃げろと伝えて、ちゃんと逃げてくれたのを見て、安心して剣を抜いて。
お前に斬りかかったんだよ。