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行路は続く

 王都一番の大通り。




 人ごみの中で剣士とその男が出会ったのは、偶然だった。


 口ひげの白い、後頭部で髪を束ねた、いかめしい男は、目の前の剣士を見て、固まった。


「お前……、生きていたのか」


「よ、隊長。偶然だな」


 背の高い、厚着の剣士は、にこやかに挨拶を交わした。


 隊長と呼ばれた初老の男は、驚いた。


 かつて、共に冒険者として旅をした教え子。


 最後には、竜から逃げるために捨て石にした。


「一体、どうやって」


「どうやっても何も、俺だって剣雄の端くれだぜ。でも、心配してたんだ。ちゃんと逃げ切ってくれたかなって」


 生きていたことも驚いたが、それよりもそんな風に笑うことが、一番の。


 いつも空っぽな顔をして、何のために生きているのか、それを考えることさえできなくなってしまったような若者だったのに。


 まるで、幸せそうに。


「お前、一体あの後どうしたんだ。今、何を」


「前みたいに、旅をしてるよ。隊長こそ、その見た目、もしかして冒険者やめたのか? もう年だもんな」


「王都には、一体、どうして」


「ああ、実は俺な、結婚したんだ」


「結婚?!」


「うん」


「結婚って、お前、一体どこの誰と」


「ああ、それは話すと長くなるんだが」


 人ごみの向こうから、声が聞こえる。


「旦那様、順番来たぞ! なんじゃこの行列、新妻に並ばせとらんで、さっさと来んか! マカロニグラタン食うぞ!」


「わかってる! 今行く! 実は、あれがそれだ。どうしても俺が隊長と入った店に寄ってみたかったらしくてな。しかしあんなに人気店になってるんだな。俺らが行った時は、寂れて仕方無かったのになあ」


「な……」


「本当は、あいつにも俺の親代わりに挨拶させたかったんだけれど、多分、脱走者の俺と関わったってバレたらやばいから、行くわ」


 立ち去ろうとする剣士に、かつての我が子同然のそれに、声をかけられない。呼び止められない。


「あ……」


 本当は、言いたいことがたくさんあったし、一番言わなければならないこともあったのに。


 それを言う資格が自分にはないと思っているから。


「あのさ、隊長。俺を置いて逃げたこと、悔やまなくていいから。俺が逃げろって言って、その言葉を聞いてくれたんだろ、俺を一人の冒険者として、扱ってくれたって、信用してくれたってことだと思う。だから、それであんたの命を救えたなら、俺はもう十分なんだ」


 こちらも見ずに、そう言った。


「あ、あ、」


「あんたと一緒にいた時、ちゃんと笑えなくてごめんな。でもあんたがいてくれたから、あんたが教えてくれたことが、今、俺を笑わせてくれてるんだ。ありがとう。もう、会うこともないと思うけれど、さ。元気でいてくれよ」


「ア、アルテミス!」


 呼び止めた。


 剣士は、振り返る。


「結婚、おめでとう」


 それだけ言うので精一杯で、それを聞けて十分だった。




「ふう、旨かったのお。あんな熱々な喰いもんがこの世にあったとはの」


「焼き栗とか、炙り料理は結構食ってきただろ」


「あんな風に皿そのものにまで熱を籠らせる工夫は、人間特有のそれじゃ。いやあ、うまかった」


「満足してくれてよかった。どころで、ラゴラディバリウスは?」


「兄様なら、物陰でこっそり見よるわい。はん、もし我らで収集が付けられんかった時には、自分も飛び出すつもりなんじゃろうて。どこまで過保護なのやら」


「ありがたいことじゃねえか。あんなにまで、俺達のことを見守ってくれるなんて、お前がどんだけ今まで心配かけてきたのかよくわかる」


「むむむ。そんなことないぞ、いっつも我のすることに文句ばかり言ってきての。我の言葉遣いにまで口を挟んできおって」


「まあ、変わった喋り方、なのかもな」


「だが、これは誇り高きアレクサンドリアの真似っ子じゃ」


「じゃあ、仕方ないか」


「そういうことじゃ」


「そろそろかな」


「そろそろじゃの」


「じゃあ、打ち合わせ通りに」




 大通りのごったがえ。


 道を譲ったり譲られたりなんて余裕のない活気溢れる人混みが、有無を言わさず割られていく。


 腰に剣を佩いた、顔中傷だらけの男と、彼に従う兵団が列を作って歩む。


 この国で最も尊ばれ、恐れられる竜殺しの一人。


 剣雄アシュラスの一行。


 彼らに守られるように、一人の背の低い女が歩いている。


 ただの小女ではない。


 その両手両足は、炭か泥で塗りたくったように真っ黒だが、それは自前の色である。


 変身に失敗した黒竜の、両腕と両脚。


 そして、首枷をつけていた。


 かつて鎧竜ズィリーンとして畏れられていた女は、体中が傷だらけになり、襤褸布一枚をまとって歩く。


 時折見える胸元には、古傷と思われる縦に切り裂かれた傷跡がある。


 痛みをこらえて、のそのそと歩く女を、脇に避けた民衆が、気味悪げに指差し、こそこそと話す。


 そういった扱いには、慣れていたはずなのに、心が苛まれていた。


 女は思う。かつてのあの町で、姐御姐御と持て囃されて随分といい気になっていたものだと。


 あの日、丘を登って歩いてきた剣雄とその兵団。


 案内をした町民も、何故自分が炭焼き小屋の場所を訊かれたのかわかっていなかっただろう。


 いや、もしかしたら、あの町の人々は、薄々わかっていて、あえてそれに気づかないふりをしていたのかもしれない。どこかで誰から奇妙な女の話が漏れ伝わったのか。わからない。ただ、運命が彼女に追い付いた。そういうことと諦め、目を伏せた。


最後に見たのは、この瑕面の男に切り刻まれて動けなくなった自分の名前を呼ぶ、あの若者の声。


 涙と鼻水でぐずぐずになった顔で、棒切れを振り回し自分を助けようとした青年が取り押さえられるところ。


 無事だろうか。


ぼんやりとしていると


「きびきび歩けや」


 女を捕らえた男、殺竜刻印を所有する剣士が、彼女に声をかける。


「悪いね、傷が痛むんだ」


「誰が口答えしろと言ったよ」


 蹴りつけられた。


 防御も回避もできずに、小女はその脚を思い切り受けて倒れ込む。


 民衆から、あ、という声が湧いた。


「け、お前のその貧相な見た目が同情を買ってるみたいだな、小汚ねえ真似しやがって。さっさと、本性見せろや」


 とても、剣の英雄と呼ばれる者らしくない言葉遣い。


「そうしたいのは山々だが、もうオレは竜に変身する力が残っていない」


「死にぞこないが」


 よろよろと立ち上がる。


「ならば、あの場でオレを殺せばよかったのに。わざわざ王都にまで連れて見せしめに殺す意味など何がある。最早、人はそこまで竜を畏れていないのだろうに」


「てめえの命なんざ興味ねえ。俺らの狙いはな。こうやって大げさにすれば、わざわざおびき出されてくれる奴の方だからな」


「……あいつらか。お前達正規庁は、どこまで知っている」


「素性はとっくに割れてるんだよ、ったく、竜殺しの癖に邪竜なんぞ庇って逃げ回るとか、何を考えてるんだか」


「彼女らをどうする気だ」


「まあ、仕方ねえだろ。腕の一本も切り落として引退させるしか。まあ、竜の方は殺し甲斐がありそうだ。久しぶりの竜狩りを愉しむだけだ」


「何故、今更竜に固執する。何のために」


「てめえらが俺の姉貴と義理の兄貴を麦畑ごと焼き払ったからに決まってんだろ。炭化して骨さえ見つけられなかった」


「……」


「最後の一匹まで、根絶やしにするまで終わらねえんだよ。わかったらてめえは死ね」


「頼みがある。オレの持っていた煙管入れ。あれは、村にいた最後までつっかかってきた若造に、渡してもらえないか」


「ぶち折って捨てたわ。竜が口をつけたような汚らしいもの、この世に残しておけるか」


「……」


「何泣いてやがる、死ぬのが怖いなんて言うんじゃねえだろうな」


「怖いわ。あなたのような心が悲鳴をあげている人を、そのままにして勝手に死ぬことなんて、したくないもの」


「……あ?」


「やっぱり、私は死ねない。運命に追い付かれたのだと諦めていたけれど。私も生き汚くあるべきだと、今わかったわ」


「何口調変えてんだ? あ? 今更助かるとでも思ってんのか?」


「もし、彼女達が来たら、逃げてと言うつもりだった。けれど、今はちゃんと言うわ。助けてって」


「やっぱいいわ、お前は、ここで殺す。処刑なんていらねえ。てめえの首きっちり落とす」


「その前に、さっきからそこであの人待ってるわよ」




 瑕面が、列の正面を見た。




 いた。


 いつの間にか。それはいた。




「アシュラス、相変わらずオラついてるな」


「……てめえ、どう不意を打ってくるのかと待ってたが、まさか正面からくるとはな」


 背の高い、爽やかな風を纏った剣士が、立っている。


「今はお前と交わす言葉は持ち合わせていない。その人を返してもらうぞ」


「……あんた何やってんだ。竜殺しが今更殺すのが可哀想になったってか。ふざけるな、俺に竜の殺し方のイロハを仕込んでくれた、剣聖第二席ともあろう方が、何を言ってやがる」


「なんだ、まだ俺の席残ってるのか。どうせ第一席あたりが無理言って俺の除名を拒んでいるんだろうな」


「どっちにしろ、殺すなとしか言われてねえ。あんたには、もう剣を握れなくなるようになってもらうだけだ」


「おっと、随分な自信だな。俺に剣で勝ったことないだろう」


「あんたも、随分と自信じゃねえか。さんざん逃げ回っていたあんたと、その間も竜相手に腕を磨いていた俺の差が、わかんねえのか」


「逃げる竜を追いかけまわして殺しただけの剣が、俺に比肩しうると」


「やってみるかよ……」


 両者が剣を抜く。


「ズィリーンさん、ちょっと待っててください」


 剣士は、囚われの小女に声をかけた。


同時に、瑕面の剣士も部下に指示を飛ばす。


「おい、お前らぁ! 周囲、特に空を見張れ! こいつには連れの竜がいるはずだ。俺の隙をついて、どこからか飛んできた竜がこの鎧竜を攫うって寸法に違いねえ、いいか、逃がしそうなら構わねえこの小女を殺せ。俺はこの『裏切卿』の相手をする」


「俺、今そんなあだ名なのかよ」


「当り前だろ、竜の嫁をもらうなんざ、人間への裏切りだ。と言うか、なんだよ嫁って」


「別にいいだろ。世の中色んな夫婦の形があるんだから」


「じゃああんたが夫ってのか? なあ、物好きな旦那様よお! はんっ」


 剣先に、意識を集中しあおうとした時。


 誰かが自分の肩をつつく感触があった。あまりに、自然に、だから、思わず向いてしまった。


 思わず、観た。


 そこに娘がいた。


 妙に薄着で、灰色の髪を流す。美しい娘。


 右目が金色で、左目が銀色の、不思議な妖眼をした。


 皆が飛来するはずの竜に気をやり空を眺めており、人ごみの中からこっそり現れたそれに気づかなかった。


 剣雄の側にまで、近寄らせてしまった。それが、異物であると理解するよりも先に。


「お前、我の旦那様を旦那様って呼んでいいのは我だけじゃ」


 娘の拳で、剣雄が吹き飛んだ。


 剣士は、剣を鞘に納めながら近づく。


「竜が人化しても力は竜形態のままってあんまり知られてないよな。ズィリーンさんは怪我で力がもともと落ちてるだけなんだが」


「普通戦う時は竜形態になるからのお」


 娘が突然のできごとに硬直している兵士達に吼えた。竜の吼え声は、震え上がらせ、兵達も周りの民衆たちも皆一目散になってその場から逃げ出した。


 喧噪。その間に、首枷を破壊する。


「ズィリーンさん、逃げましょう」


「あなた達、どうやってここに? 来てくれるとは思ってたけれど、こんなに早くどうやって?」


「雷竜が助けてくれたんです」


「よくあの心配性が快く送り出してくれたわね」


「いや、一緒に来てます。全速力で飛んでくれて。多分、そこの物陰から俺達を見てます」


「まったく、過保護なんだから」


「逃げましょう」


「ええ、でも、今あの町に戻ることは」


「あてはあります。南空!」


 伴侶に呼ばれた竜は「よしきた!」と来ていた服を二秒で脱ぎ散らかす。


 拾う方の身になってもっと丁寧に脱げ! と剣士が怒鳴るのと、巨大な灰色の竜が現れるのは、同時だった。


 かつて、生きていいのだと告げてくれたその怪物の背に、小女を担いで乗り込む。




「待てや!」


 瑕面が頭を押さえながら、起き上がる。


「てめえ、ら、このまま逃がすとでも」


 剣士は、吼える。


もう一人の剣士が応える。


「アシュラス、お前をそんな風にしてしまったのは俺だ! だから落とし前は必ずつけにくる。だから、お前もそれまで元気でいろ、風邪ひくなよ」


 竜が、舞う。


「待て、待てや、お前まで、俺を置いて行くんじゃねえ、よ」


 最後の言葉は、聞こえなかった。




 物陰から、その光景を見やる二つの影。


 巨躯に遊牧民族の衣装を纏った褐色肌の男。


 若い癖に、どこか年寄りめいた陰気な貌の男。その腰には、また剣が吊るされる。


「行ってしまったな。では、吾輩も帰るとしよう」


「行ってしまうのかい、雷竜ラゴラディバリウス。もっと我々も話をすべきではないかな」


「最早語ることはないぞ。剣雄第一席。貴様があの子の縁を切り、名を忘れさせたことは理解している。もちろん、礼を言うつもりもない」


「私だって、そんなことを貸しにするつもりはないよ。ただ、これからの人と竜の在り方について話す余地はあるのではないかな」


「それは、我々のような終わった者達ではなく、今を変えようとする者達が話すことだ」


「南空、彼女こそこの世で最も終わった竜ではないかな。竜であることを諦めた存在、君たちは許容できるのかい?」


「吾輩の尺度で言えば、吾輩や貴様こそが、役目を終えた存在であろうよ」


「おや、私はまだ剣雄としてこの国のために働く所存だ」


「世界が変わろうという時に、己の役割にしがみつく者が、どうして今からを切り開く者に勝ろうか」


「随分と、彼女達を高く買っているのだね」


「そういう貴様こそ、何故あの子に手を貸した」


「あの子の答えに希望を見たから。どうあるべきかと問うた時、その答えが竜殺しである我が剣に、竜を救う道を選ばせる程に」


「あの子は、なんと?」


「教えてあげない」


「帰る」


「おやおや。でも、まだ我々の出番はあるかもしれないよ。あの二人の行路がまだ続くのなら」


「かもしれん。だが、帰る」


「私と話をすることで、心が満たされるのが不満かな」


「……帰る!」


空の上を、竜が飛ぶ。何処かに向かって。














「と言うわけでの、やはり、困った時に頼りになるのは大紅蓮公という訳じゃ」


『何がという訳だ』


 遠い遠い、岩山の中腹にある、暗い昏い、闇の洞窟の奥。


 赤い竜が寝そべり、小さな竜をあやしているところに、傷だらけの小女が差し出された。


『ズィリーン、まあ、無事なのはよかったが、しかし、お前』


「ごめんなさいね、ヴァルシャモン。まさか、この子の言うあてがあなたのところだったなんて。ごめんなさい、迷惑なら」


『出ていけなんて言える空気か、まったく。リック、カイ、クーン、湯を沸かしてくれ。こいつの手当てだ』


「「「合点で」」」


 娘が笑う。


「おお、あのずっこけ三兄弟、大分に丁稚奉公が板についてきたの。あ、そうそうこれ土産な」


 袋を取り出す。


「ラゴラディバリウスからじゃ、あっちの山菫の根を煎じて摺り潰した粉。お主は好かんだろうが人間の手下は好むじゃろうからやってくれと預かってきたわい」


『……ということは、雷竜まで一枚かんでいるということか、あいつ、お前がここにズィリーンを連れてくることを見越していたというわけだな』


「ヴァルシャモン、やっぱり私ここを出ていった方が」


『気を遣うな。まったくどいつもこいつも。わかったよ、全員この大紅蓮公が面倒みてやる』


 わいわいと騒がしい光景をみていた剣士は、こっそり洞窟を抜け出す。




 暗い闇を抜けると、光がまぶしかった。


「旦那様、どうした?」


 行動に気付いた娘が、追いかけてきた。


「いや、なんとなく。なんだかあの三人? 三人でいいのか? 大紅蓮公と、湖の竜の雛と、ズィリーンさん。なんだか家族みたいで、いいなって」


「そうじゃのう。我は仲間はようけおったが、家族というのは、な。初めてかもしれん」


「俺は……」


 家族と呼べる人がいた。


「さっきさ、俺が世話になった、父親みたいに世話になった人がいて、言ってくれたんだ。結婚おめでとうって。嬉しかった」


「ちょ、なんで我を紹介してくれなんだ」


「いや、マカロニグラタン急いで食べたそうだったから」


「ちょ、我そこまで食い意地張っておらんわ。早く王都に戻って挨拶に伺わねば!」


「流石に指名手配中の俺らが忍び込むのは早すぎるだろ。まあ、ぼちぼち行こう」


「何言ってるんじゃ! 人の寿命は短い、思い立ったが吉日、早く旅に出るぞ!」


「……ああ、ああ。そうだな」




 そうして、早くも山を降りようとする娘を見やり。


 その華やいだ笑顔を見て。




「南空」


「なんじゃ?」


「お前は、美しいな」




 それが、赤面していく様を楽しんだ。



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