龍を口説いた話
人と竜が決別の時を迎えた戦争の終結。
その次は、竜狩りの時代。
駆け出しだった頃に世話になった人に頼まれて、邪竜討伐隊のメンバーに加わることになった。
乗り気ではなかったが、故郷を失って冒険者になるしかなかった俺には、人の縁しか生きる理由がないのだ。
その人が、厄災を振りまく竜を止めたいというのなら、死んでもいいと思った。
それだけの理由だった。
竜は強く、討伐隊は返り討ちにあい、敗走した。
俺は世話になった人を逃がすために殿を引き受け、一人で竜を足止めした。
この天地に、今、俺と邪竜が向かい合う。
それ以外の全てが失われた静寂の中で、声が響いた。
『強き剣士よ、残す言葉はあるか』
それが竜のしゃがれ声だと気づいた時、なんとも優しい声色だと思った。
目が合う。金色の右目と、銀色の左目。灰色がかった鱗の、大いなる存在。なんと、雄大か。
ふと、笑ってしまった。
『なぜ、笑う』
「……南の空だ」
『どのような意味だ』
「子供の頃は、夜明けと共に水を汲みに丘を二つ越えにゃならんかった。冬はとてもきつかったが、丘を越える途中に南の空を眺めると、灰色がかった森が広がって、左に朝陽が、右に消えかけた白い月が見えた。夜が朝に変わっていく瞬間、それが、ただ綺麗で。それだけを楽しみにしていた。今でも覚えている。お前さんの瞳と肌が、あの頃の美しい南の空とおんなじで、さ」
『故郷は、どこだ』
「もうない。竜と人の戦争で、燃えて消えちまった」
『ならばこれは、敵討、か?』
「そんなもんじゃねえ。そんなもんじゃねえんだ。美しい南の空よ、俺の思い出をそんな言葉で汚さないでくれ」
『美しい言葉を弄ぶ者よ、何を望む。我の死か』
「何も望まない。お前が邪竜との話だったが、やはり違った。お前はただこの谷に住んでいるだけのただの、美しい竜だった。人がお前の土地を奪うために流した噂だった。それが確かめられただけでいい。だから、非礼はどうか俺の命で贖わせてほしい」
『なぜに死を望む』
「生きる理由は、とうにない。ただ縁に生かされた。だから、俺を殺すその瞬間まで、どうかお前の姿を見せていてくれ。俺はきっと、この瞬間のために生きてきたのだから」
己の言葉に充足を得て、けれど、次にかけられた言葉は
「たわけ。死にたければ勝手に死ね。我に引導を渡す役割を押し付けるでないわ」
目の前には、女が一人。金色と銀色の瞳をした、灰色の髪を流した、美しい女。
「……な、お前。人化できるのか? というか、女だったのか」
「雌、と言わなかっただけ、まあ分別があるようじゃな」
女はコロコロと笑った。そして、口を結び、背を伸ばす。
「たった今、縁が結ばれた。最早、名を持つことなどないと思っておったが、貴様が我に結わえたのだ。我が名は南空。貴様の生涯を見届ける者ぞ。さあ、我が伴侶よ、名を名乗れ」
「……お前、何を。今の時代に、人と竜が縁なんぞ結べるわけが」
「何を言うておる。口説いてきたのは貴様じゃろうに」
「いや、口説いたって」
「我に面と向かって美しいなぞと真顔で宣うドアホウはついぞおらんかったからな」
「いや、確かに言ったけれど」
「貴様、これからは我のために生きろ。生きる理由もないが、死ぬ理由もなかろう? なら、お前は、生きていい」
「俺に、そんな資格が……」
「しゃきっとせんか。我の花婿として、生き残る全ての龍にお披露目をせねばならんのだぞ」
「何物騒なことを言い出してるんだお前」
「元気が出てきおったな。なら、ほれ」
まるで、童女のような悪戯顔で
「我が伴侶よ名を名乗れ。我が惚れてしまうくらい、恰好よくだぞ」
人と竜が再び共に歩く物語の、はじまり。