仲間たちの今。受け継がれる想い
平和記念祭当日。
夕刻、クラドーと子供たち、そしてネルバは『迷いの森』で過ごしていた。彼らの周りには小人族がおり、いそいそと給仕をしている。
ネルバは木の椅子に腰掛け、藍色に移りゆく空を見上げて独り言を漏らした。
「人間たちの平和記念祭とやらは、もう終わっただろうか」
クラドーは彼女の隣に座り、曖昧に答えた。
「さあ、どうであろうな。アストラは夜には戻ると言っておったが」
「あやつのことだ。どうせ時間など気にしておるまい」
「えー。お祭りの話、早く聞きたいのになー」
青い竜の子、ドリーはむくれる。
「アストラたちだけずるいよ! 留守番なんてつまんない!」
赤い竜の子、コドルは不機嫌そうに羽をバタつかせた。
「あの。皆様は祭りに参加しなくても良かったのですか?人間の王たちに招かれていたのでしょう?」
ミョルニは彼らにひざまずき、遠慮がちに聞いた。ネルバは首を小さく横に振る。
「行けるはずがなかろう。祭りには各国から人間共が大勢集まる。三国の王が歓迎しても、奴らは我らを畏れ、共に過ごすことを拒絶するだろう。そのような目に遭うくらいなら、ここに居る方が良い」
「そうですか」
諦めに満ちた瞳でうつむくネルバを、ミョルニは切なげに見つめた。本当はアストラたちと一緒に行きたかったのだろうと、察したからだ。
クラドーが心配そうにネルバを見下ろしている。と、そこへ賑やかな声が近付いてきた。
「おーい! 帰ってきたぜ!」
皆が振り向くと、そこには小綺麗な身なりをしたアストラとリリーが居た。ネルバの顔つきが一転して和やかになる。
「帰ったか。思ったより早かったな」
「みんな、ただいま~!」
「へっへっへ! うまいもん、たらふく食ってきたぜ!」
アストラとリリーが笑顔で言う。彼らの後ろから、エレナとユーティスが手を振った。二人して、白地に金の刺繍がなされた美しいローブを身に付けている。
「お久しぶりです!」
「おばあ様もみなさんも、お変わりありませんか?」
「おお! エレナとユーティスではないか! 久しいな」
クラドーが明るく声をかけ、四人に近付いていく。エレナはにこにこしながら、クラドーの前足に触れた。
「私たちだけじゃありません。他にも来てるんです」
「ぬ? 誰が来ておるのだ?」
クラドーがエレナたちの後方に注目する。そこには正装をしたポロン、ゼクター、ダミア、ルカーヌが居た。
「お主ら、何故ここに?」
「今日はめでたい日だからさ、アンタたちともお祝いしたいと思ってね!」
ポロンは元気よく歩いてくる。その横でゼクターはにこやかに言った。
「アストラ殿から皆さんがここに居ると聞き、会いにきてしまいました」
「おくつろぎのところ恐縮ですが、ご一緒して構いませぬか?」
ルカーヌが渋い声を響かせ礼儀正しく尋ねた。ネルバとクラドーは顔を見合わせ目で合図する。
「ふむ……。我らの憩いのひとときを邪魔されたくはないが、お主らがどうしてもと言うなら考えてやらんでもない。旨い酒は用意してあるのか?」
ネルバはちらっとポロンたちを見てから、腕組みをする。そっけない態度だったが、口元がわずかに緩んでいた。
「もちろん。宴に必要な物は商人に用意させました。今宵は楽しく語り明かしましょうぞ」
ダミアはニィと口角を上げ、手を二回叩く。すると馬車に乗ったヘルメが木陰から現れた。エレナの魔法陣を使ってやってきていたのだ。荷台には各国のごちそうと飲み物が入っている。
小人たちは喜び、クラドーたちを囲うように椅子を並べた。それから皆に酒を配って、ドリーやコドル、リリーには果実水を渡す。皆は乾杯し、気安いお喋りが始まった。
エレナは久しぶりに集まった仲間を、にこにこ見つめた。皆、変わりなく元気そうだ。
最初、皆はそれぞれ五年前の想い出を語って盛り上がり、次にクラドーたちの冒険の話を聞いた。それが終わると、本日の平和記念祭のことに話題が移る。年寄りたちの苦労話(愚痴)が始まると、空気を読まないアストラがその流れを遮った。
「そういや、おれ、今日初めて知ったんだけど、ダミア様はもう王様じゃなくなったんだな。式典に見たことねぇ若い王様が出てて、びっくりしたわ」
それを聞き、ダミアは酒を片手にゆるりとうなずいた。
「ああ、そうだ。ついでに言うとルカーヌも宰相を辞めておる。半年ほど前、若く知恵のある者たちに地位を譲って引退したのだ。わしらはもう墓穴に片足を突っ込みかけておるのでな」
「ダミア様。悪い冗談はおやめください。王位を退かれたとはいえ、あなた様は我らノースの民にとって、高貴な存在に変わりないのですから」
「はっはっは! 馬鹿を申すな! わしはもはやただの年寄りだ。これからは自由にやるぞ。残りの人生も存分に楽しまねば。ルカーヌよ。一緒に笛でも練習するか?」
「それがしは楽器は好きではありませぬので」
「むう。つれない奴め。ならばお主は踊りを練習せよ。わしの笛と合わせられるように」
「……踊りですか」
ルカーヌは難しい顔をして真面目に考え始めた。本気で練習するつもりだろうか。見た目からは判断しにくいが、意外と乗り気なのかもしれない。
ほろ酔い状態のエレナはだんだん愉快になってきて、横に座るポロンに引っ付いて質問した。
「先生はこれからどうされるんですか? まだまだ教師を続けられるんですか?」
「もちろん。アタシは死ぬまで現役さ。軟弱な若い子たちをビシバシ鍛えなきゃならないからね。でも魔法道具の注文が最近増えてるから、授業の数は減らしてもらってるんだ。議会にも顔を出さなきゃならないし」
「議会?」
「今ヴェスタの国を仕切ってるのは町の有力者たちでね。月に何回か集まって政策を決めるんだけど、その場にアタシが呼び出されるのさ。年長者の意見をぜひ聞かせて欲しいって」
「先生、あちこちで引っ張りだこじゃん。すげぇな」
「ポロン先生がついてるなら、ヴェスタ王国の人たちも安心ですね!」
「本当に。イスト王国にも出向いて助言をいただきたいですよ。こちらは皆の意見をまとめるのに苦労してまして」
ゼクターは困り顔をして小さく溜め息をつく。ユーティスはさりげなく甘い果物を彼の前に差し出し言った。
「ゼクター殿は女王陛下の相談役になられたのですよね。町の方たちの要望や意見を彼女に伝え話し合われているとか」
「ええ。わたくしだけでなく魔法団の者全員で、陛下の公務をお支えしております。女王になられた当初、ガイラ陛下は『お母様の代わりなど出来ない。やりたくない』と駄々をこねておいででしたが、近年では自ら城下へ赴き、民の言葉に耳を傾けておられます」
「へえ! あの胸くそぶりっ子王女も変わったもんだな! 近いうち天変地異でも起こんじゃねぇの?」
「だめ! お兄ちゃん! その発言は不敬罪!」
「捕まって処分されちゃうよ!」
リリーとエレナが血の気の引いた顔で制止する。その後、皆はゼクターに恐る恐る注目した。
「ゴホンッ! 今、何かおっしゃいましたか? わたくしには聞こえておりませんでしたが」
眉間にシワを寄せ、彼は大きな咳払いをしてから目を逸らした。アストラの言ったことを不問にしてくれるようだ。
リリーは「お兄ちゃん、いい大人なんだから、口にはほんと気を付けてよね!」とアストラを叱り、謝らせた。完全に立場が逆転している。皆はそれを生温かい目で見つめ、半笑いを浮かべた。
──ごちそうも無くなり、夜も遅くなってきて、そろそろお開きにしようかという雰囲気になってきた頃。
エレナがおもむろにクラドーとネルバに視線を送った。
「そういえば、私、クラドーさんとネルバさんに伝言があったんです」
「ぬ? 何だ?」
「今日のお祭りに兵士の人がたくさん来てたんです。その人たち、五年前のお礼を言いそびれたからって。『あの時、命を救ってくれて、本当にありがとう』って、二人に伝えてほしいって言ってました」
「……そうか」
クラドーとネルバは目を細め、同時につぶやいた。嬉しさを声へ滲ませている。エレナは微笑んで話を続けた。
「平和記念祭、これから五年ごとに開催することが決定したんです。だから、クラドーさんやネルバさんがいつか人間と歩み寄りたいと思えたら、お祭りに遊びに来てください」
エレナが控えめにお願いすると、彼らは黙ってしまった。どう返事すればいいかと迷っている様子だ。それを見たダミアが真剣な眼差しを向け、口を開いた。
「種族間の差別の根はまだ深い。わしらはそれを断ち切るために動き出したばかりだ。人々の偏見をすぐには変えられない。だがわしらは皆へ伝え続ける。あなた方が心温かい者たちであると。決して邪悪な者ではなく、恐れる必要のない存在であると。『誰もが等しく笑顔で居られる世界を作る』。この大いなる夢は、必ずわしらの後の世代へと繋いでゆきます。そして、いずれ必ずこの夢を実現させると、あなた方に約束します」
意志のこもった力強い言葉に、エレナたちは自然とうなずく。国も立場も違うが、この場に集まった人間たちは、同じ世界に住む竜と妖精が安心して暮らせるよう、心から願っていた。
静まる森。ネルバとクラドーは皆の顔をぐるりと眺めた。
「どうしてだろうな。人間の言うことなど何の価値もない。偽りばかりで、信用出来んと思っていたのに。ダミア殿の言葉には、何故か心を動かされてしまう」
数秒後、ぽつりと言ってから、ネルバは柔らかく笑った。
「エレナよ。長きに渡って我らが受けた傷。それを癒すのには相応の時間がかかる。過去の人間たちの罪を許せるその日まで、信じて待っていてくれるか?」
「はい、待ってます。みんなと一緒に、いつまでもずっと」
「そうか。……ありがとう」
つぶやいた瞬間、ネルバの瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。彼女は恥ずかしかったのか、すぐさまクラドーの背に隠れる。クラドーは優しい瞳をして、皆に頭を下げた。
「今夜は楽しい宴であった。まことに良き時間を過ごすことが出来たと思う。姿形が違おうとも、我らは心を通わせた友だ。古き良き時代のように、また三種族で仲良く暮らせる日を、吾輩も心待ちにしている」
エレナたちは同意し、またこうして飲もうと約束して、笑顔で森を後にした。
──夢も理想も、願うばかりでは叶わない。
のちに全ての種族が手を取り合えたのは、彼ら一人一人の努力で想いを繋いだからに他ならなかった。
皆の壮大な夢が現実となるまで、あと、数百年。