三つ編み少女の戦い。甘酸っぱいは恋の味(後編)
──三日後の朝。
リリーたち四人は、ヴェスタ王国にやって来ていた。エレナに魔法で連れてきてもらったのだ。アストラとユーティスは用事があると言って別行動を取っており、のちほど馴染みのカフェで落ち合う手はずとなっている。
二人はたくさんのギルドが集まる大通りの入口に立ち、にぎやかな人だかりを眺めた。それからエレナは元気よく、服の看板のぶら下がったギルドを指差した。
「よーし!まずはリリーにぴったりの服を探すよ!」
二人の立てた作戦は、リリーの見た目をガラリと変えるというものだった。大人っぽい服装、髪型、化粧をし、アストラに女性らしさをアピールしようという作戦なのだ。
エレナは意気揚々とリリーの手を引き、ギルドを見て回った。美しいドレスやきらびやかな装飾品があちこちに並んでいて、リリーは胸を踊らせる。あらゆる素晴らしい品々を見ていると、自分がこれまでいかに地味な服装をしていたのかと、思い知らされた。
こんな素敵な服を着たら、アストラ兄ちゃん、びっくりしちゃうかも!可愛いよって褒めてくれるかな?
彼の驚く姿を想像したら、自然と笑みが込み上げてくる。リリーはわくわくしながら、エレナと買い物を続けた。
──太陽が一番高いところまで来た。そろそろ待ち合わせの時間だ。
リリーとエレナは、一足先に町の一角にあるおしゃれなカフェへ来ていた。二人は落ち着かなくて、窓の外を眺めたり、入口近くを行ったり来たりしている。
リリーはエレナにきちんと化粧され、髪も下ろしてゆるく巻いてもらっていた。服は袖に透け素材の使われた綺麗めの黒いワンピース。耳とデコルテには小さな青い石が輝いていた。
「ちょいとアンタたち、うろうろするんじゃないよ。気になってしょうがない」
ポロンが二人に呆れ口調で言う。この店には偶然、ポロンと教え子のブレンダ、パティ、ベック、ピートが来ていたのだ。彼らは店の奥のカウンター席に座っている。若い教え子四人は面白そうに口端を持ち上げていた。(出会ってすぐに、リリーはめかしこんでいる理由を聞かれ、計画を吐かされた)
そのうちにカランカランと鐘がなり、カフェのドアが開く。現れたのは、新しい剣と袋を背負ったアストラだ。
「お兄ちゃん!買い物、全部終わった?」
リリーは少し緊張しながら、笑顔でアストラに近づく。目を伏せ考え事をしていた様子のアストラは、ハッとしてリリーに視線をやった。
「ん?ああ!必要な物が多すぎて、いっぱい買いすぎちまったぜ」
そうなんだーとうなずいてから、リリーはじっとアストラを見る。アストラは彼女を見返して、何かに気付いた顔をした。
「リリー。お前、化粧してるのか?服もヒラヒラだし、雰囲気違うじゃん」
「うん!そうなんだ!エレナお姉ちゃんと選んだの!似合う?」
「あー、いいんじゃねぇの?似合ってると思うぜ」
やった!褒めてもらえた!と嬉しくなり、リリーはエレナの方を一瞥する。エレナはにこっと笑ってまばたきした。ポロンたちも優しい瞳でリリーを見守っている。
「けど何か別人みたいだな。化粧なんか全然しなくてもいいんじゃねぇ?いつもの格好の方がお前らしいと思うけど」
別人……?こんな大人っぽい格好、わたしらしくないって言いたいの?お兄ちゃんはこの姿、好きじゃなかった?
ほわほわと舞い上がっていた気持ちが、突如、地に叩き落とされたみたいに感じた。
空気が凍り、皆の顔がひきつっている。泣きたくなったリリーが下を向くと、アストラはきょとんとして聞いた。
「あれ?リリー?どうした?」
「……ふんだ!お兄ちゃんなんて知らない!大っ嫌い!」
「あ!おい!」
アストラは呼び止めようとするが、リリーはカフェを飛び出してしまった。エレナは急いでその後を追う。
アストラは状況が飲み込めなくて、ドアを見つめたまま、眉根を寄せた。
「何だよ、あいつ……」
「あーあ。リリーちゃん可哀想」
「ほんっと、鈍感」
「この大馬鹿野郎め」
「アストラはいつまで経ってもガキんちょね」
ピート、パティ、ベック、ブレンダが、じとっとした目で次々にアストラを非難する。
「おい!お前ら、何だってんだよ!」
アストラは言い返すが、皆から無言でにらみ返されてしまった。お前が悪いんだろと言いたげな顔である。
「アストラ。アンタ女心をまるで解っちゃいないねぇ。頭冷やして良く考えな」
「ポロン先生まで……。おれが一体、何したって言うんだよ」
アストラは肩を落とし、店員がくんでくれた水を一人で飲んだ。歩いて喉が渇いていたはずなのに、さっきのリリーの泣きそうな顔が頭をよぎって、ちっとも美味しくなかった。
──その後。リリーはアストラにアプローチするのをやめてしまった。
自分ばかり好きでいるのがしんどくなってしまったのだ。
努力してもアストラは好意に気付いてくれない。だからといってストレートに伝えるのも怖い。無理だと断られたら、今の関係も変わってしまうかもしれないからだ。
気安く話せなくなるくらいなら、もうこのままずっと妹扱いでいいやと、リリーは投げやりになった。
しかし村で彼を見かけると切なくなり、ぎこちなく避けてしまう日々が続く。
──そうこうしている間に、数日が過ぎた。
時刻は昼すぎ。
リリーはアストラの家へ向かって全速力で走っていた。つい五分前。孤児院で、牧師カルヴァンから衝撃の事実を聞かされたからだ。
『アストラは竜や妖精の方たちと旅に出るそうだよ。だから近いうち、この村を出ていくんだ』
晴れた空は広く、憎らしいくらいに青い。手の届かぬ場所へと羽ばたく鳥が、彼の姿に重なって、リリーは必死に地面を蹴った。
アストラは自分の家の側で剣の素振りをしていた。リリーはぜえぜえと息を切らし、大声で尋ねる。
「アストラ兄ちゃん!村を出ていくってほんと!?」
「リリー!牧師様から聞いたのか?」
「うん」
アストラは剣を木に立てかけ、枝に引っかけていた布で汗を拭く。それを首にかけてから、彼は真顔で話し始めた。
「なら理由はもう知ってるよな?おれは世界を巡ってあいつらの生き残りを探しに行く。あさってにはここを発つ予定なんだ」
「そうなの」
「村や孤児院のことはユーティスに頼んでおいた。だから何も心配いらねぇ。達者で暮らせよ。あと、この前言ってた好きな男もちゃんと捕まえるんだぞ?おれも兄貴として、応援してるからよ」
「何、勝手なこと言ってるの?」
「あ?」
「応援なんていらないよ……わたしはもう振られてるもん!」
達者でなんて言ってほしくなかった。応援してるなんて言葉、聞きたくなかった。
わたしはアストラ兄ちゃんの側に居たい。例え妹としてでも、近くに居られたらいいと、思っていたのに。
どうしてそれすら叶わないの?
悲しい現実に震えるリリー。彼女の様子を見て、アストラは血相を変えた。
「何だと?そいつお前を振ったのか?どこのどいつなんだ、そのくそ野郎は!?おれがそいつのとこに行って、ぶっ飛ばしてやる!」
「やめてよ!そんなことしてほしくない!もう、わたしのことなんて、ほっといてよ!」
「何、怒ってんだよお前。わけ分かんねぇよ」
「アストラ兄ちゃんが、鈍いからでしょ!私の気持ちなんて、アストラ兄ちゃんに一生分かるはずない!勝手にどこへでも行っちゃえばいいんだ!」
リリーはまくし立て、泣きながら走り去ろうとする。もうどうにでもなれという想いでアストラから逃げた。
「待てよっ!!」
突然、腕を掴まれて振り返る。目一杯の力で走っていたはずなのに、すぐ近くにアストラの顔があった。追い付かれてしまったのだ。
「はっ、離して!!」
「だめだ。離さねぇ」
「何でよ!ほっといてって言ったじゃん!わたしのことなんて、どうだっていいでしょ!」
「んなわけねぇだろ!!お前はおれの家族だ!!いつでも大事に思ってんだぞ!!」
「家族……」
やっぱり、そうだよね。
胸の奥に悲しみと絶望感が広がる。自分とアストラの気持ちは違うと、はっきり自覚したリリーは、大粒の涙をこぼした。興奮した頭が急速に冷えていく。
辛くて苦しくて、何も言葉が出なかった。
振り払うのをやめた腕を下ろすと、アストラは手のひらに込めていた力を緩め、手を離した。それから落ち着いた口振りで、リリーに話しかけた。
「おれは難しいことは良く分かんねぇ。女心なんて知らねぇし、他の奴に比べたら鈍感なのかもしれねぇ。けど、こんな状態でお前とさよならすんのは嫌だからよ。何でそんなに怒ってるのか、ちゃんと言ってくれよ。おれは何でも受け止めるから」
アストラの最後の言葉は、リリーの中に温かく響いた。自分の気持ちに向き合おうとしてくれたのが、心から嬉しい。
ずるいよ。どうしてそんなに優しいの。わたしはこんなにわがままなのに。
アストラが自分を恋愛対象として見ていないとは解っている。でも、例え傷付いても伝えたいと思った。この胸にこだまする強い想いを。
リリーは涙を服の袖で拭き、絞り出すように告げた。
「好きなの」
「え?」
「わたし、アストラ兄ちゃんより五歳も年下だし、妹みたいにしか思われてないのかもしれないけど!でも、好きなの!!だから子供扱いされたら悲しいの!どこにも行かないでほしいの!ずっとわたしの側に居てほしいの!!」
言葉にしたら、せき止めていたものが、あっけなく流れ出していた。なんて自分勝手な言い分だろう。アストラに呆れられても仕方がないと、全てを暴露してから、リリーは覚悟した。
「……まじかよ」
ぽつりとアストラが口にする。『信じられない』という文字が、顔に書いてあるみたいだった。
「こんな時に嘘つくわけないでしょ」
冷たく言ってリリーはうつむいた。アストラに見られたくない。きっと今の自分は酷い顔をしているだろうから。
数分間の沈黙があってから、アストラは太眉と頭を少し下げた。
「リリー。その……悪かった。これまで気付いてやれなくてよ」
「いいよ、別に。お兄ちゃんが女心に鈍感なのは、今に始まったことじゃないから」
強がろうとして、きつい言葉が口をつく。普段ならそれに反論するアストラだが、今日は大人しく黙り込んでいた。
本当に悪いと思ってくれてるんだろうなと、リリーは申し訳なさでいっぱいになる。
「……それにわたしも、はっきり伝えてなかったから、悪かったんだ。離れたくない、なんて。わがままばっかり言って、困らせちゃってごめん」
あさってには、アストラ兄ちゃんはここを出ていく。だからもう諦めなきゃ。
自分に言い聞かせると、リリーの目からまた涙が流れる。下を向けば、乾いた土に丸い跡がたくさん生まれていた。心が強く反抗している。嫌だ、諦めたくないと、追いすがろうとしている。
「そんなに泣くんじゃねぇよ。お前に泣かれると、おれ、どうしていいか分かんねぇよ」
アストラは困った声で言う。リリーは彼の顔をなるべく見ないようにした。
「ごめんなさい」
「お前にはわりぃけど、おれは行く。決めたんだ。おれはクラドーたちの力になりてぇ。それに自分の知らない世界をもっと見てぇんだ」
「うん」
リリーが懸命に相づちだけ打つと、その茶色い頭にぽんと何かが乗せられた。温かい、アストラの手だ。
「でもよ。もしお前がそんなにおれから離れたくねぇって言うんならさ。一緒に付いてこいよ。おれの旅に」
え?アストラ兄ちゃんの旅に、わたしが?
リリーは目をぱちくりさせてから涙を拭い、アストラを見た。
「でも私、エレナお姉ちゃんみたいに魔法も使えないし、アストラ兄ちゃんに迷惑かけちゃうよ?」
「はんっ!心配すんなって!お前一人ぐらいおれが余裕で守ってやるよ。おれの強さ知ってんだろ?三国一だぞ?」
「ほんとに、いいの?」
「おうよ!来たかったら付いて来やがれ!おれから牧師様やクラドーにきっちり話つけてやるからよ!」
「……嬉しい。ありがとう、お兄ちゃん!」
リリーは瞳をうるうるさせ、アストラに抱き付く。彼はじたばたして早口で抗議した。
「わ!バカ!引っつくんじゃねぇ!」
「アストラ兄ちゃん、大好き!」
「っ!分かった!分かったから離れろよ!」
アストラはリリーをの両肩を掴み、ひっぺがして一メートルほど距離を取った。顔をみると酷く動揺しているのがうかがえる。
アストラ兄ちゃん、もしかして今、わたしを意識してくれた?
淡い期待が生まれ、しぼんだ心の奥底から、力がむくむくと湧いてくる。リリーは自分でも信じられないくらい、前向きな気持ちになった。
「わたし、守ってもらってばっかりなんて嫌だから。足手まといにならないように頑張る」
リリーはアストラを指差し、挑戦的な目で見上げた。
「それと、わたし、まだ諦めないよ!今はわたしのこと、何とも思ってないかもしれないけど、これから絶対アストラ兄ちゃんを振り向かせてみせる!だから覚悟しててよね!」
リリーは歯を見せ元気よく笑う。アストラは目を丸くして頬を赤らめた。
アストラは視線を斜め下にやり、しばらく複雑な表情を浮かべ、言いにくそうに口を開いた。
「この前ガキだって言ったこと、撤回するわ。お前、いい女になったよ」
アストラはリリーの人指し指を掴んで下ろし、前かがみになってリリーと目線を合わせた。
「お前の方こそ覚悟しろ。おれを本気にさせちまったらもう、止めらんねぇぞ?」
囁くように発せられる、低くて艶っぽい声。海の色をした瞳は真剣そのものだ。ごつごつした手のひらから熱を感じて、リリーは顔を火照らせた。
うるさい心臓の音と、ふぇえええええええええ!!!というおかしな悲鳴が脳内に響いている。彼の男らしい魅力に心が全部持っていかれてしまった。
「あ、アストラ兄ちゃん」
「何だ?」
「かっこいい……」
「おま!何言ってんだよ!!くだらねぇこと言ってねぇで牧師様の仕事手伝ってこい!!」
耳まで真っ赤になったアストラは、リリーを置いてずんずんと歩き出した。
照れてるアストラ兄ちゃんも素敵!可愛い!
リリーはとろんと目尻を下げ、飛び跳ねながら彼を追いかけた。そのたくましい二の腕をぎゅっと捕まえると、アストラは慌てて振り払う。しかし何度もチャレンジしていると、彼は諦めたのかされるがままとなった。
本日の勝負はリリーの勝ちのようだ。
──二日後。アストラとリリーは辺境の村ルピスを旅立った。
二人は旅を続けるうちに関係を深め、いつしか愛し合うようになった。のちに彼らの馴れ初めは、子孫に長く長く語り継がれることとなる。自由を愛した黒髪剣士の仲間たちによって。




