黒髪剣士の進む道。特効薬と二つの病(前編)
大戦から一年ほど経ったある日。
辺境の村ルピスの教会に、アストラとエレナは居た。
白い服を着て横並びに立つ二人の目の前には、日の光を受けた美しいステンドグラス。そして金髪に藍色の瞳を持つ中年の牧師──カルヴァンが立っている。
「恵み多き大地に感謝を。隣人に愛と憐れみを。汝らに光と神の祝福を」
カルヴァンが教典を読み上げれば、アストラとエレナは、目を閉じ祈りを捧げる。
ユーティスやリリー、それに孤児院の子供たちが見守る中、式は滞りなく終わりを告げた。
──「二人とも、おめでとう!」
夕刻。教会の庭に長机とごちそうが並べられ、集まった村人たちが乾杯する。本日の主役であるアストラとエレナも、果実酒が七分ほど入ったコップを手にしていた。
「これでおれたちも、大人の仲間入りだな!」
上機嫌のアストラは横に座るエレナに話しかける。彼女は、そうだね!と嬉しそうに笑った。
今日、エレナとアストラは晴れて成人と認められた。(この世界では十八歳から大人とみなされる)
二人は孤児院に併設されている教会で、その儀式を受けていたのだ。
後に開かれた祝いの会には村人たちも参加して、現在にぎやかなお喋りが繰り広げられている。
「これ、ジュースみたいで美味しいですね」
エレナは恐る恐る果実酒を口にしてから、右隣に座るユーティスへ言った。
「エレナさん。初めて飲むのですから、少しだけにしておいてくださいね。たくさん飲むと具合が悪くなってしまうかもしれませんから」
白いローブを着たユーティスが、エレナを優しく気遣う。彼女は頬をピンク色にし、「はい!気を付けます!」と破顔した。村の者たちは仲睦まじい二人を微笑ましく見守っている。
……ただ一人の男を除いては。
「ふーん、具合悪くなんのか。ま、おれは何杯でも余裕で飲めるけど!」
こいつら目障りだな、と、少々苛ついたアストラは、手にしていた果実酒をあおる。さらに麦酒をたっぷりコップに注いで、一口飲んだ。
「にがっ!何だこれ!いつも親方がぐいぐい飲んでるから、もっとうめぇもんかと思ってたぜ!」
「がっはっは!アストラよぉ!この旨さが分からねぇようじゃ、お前もまだまだ子供だな!」
アストラの近くに座っていた鍛冶職人の親方は、豪快に笑って麦酒を一気に飲み干した。
「くっそー!おれだって負けねぇからな!」
アストラも親方に習い、麦酒をぐびぐびと飲む。
「ああ!だめですよ、アストラさん!そんないっぺんに飲んでは!」
ユーティスが止めるも手遅れで、アストラのコップは空になった。
「どうだ!見たか!」
「全部、飲んじゃった……」
「アストラさん、大丈夫ですか?」
「ああ!平気だぞ!おれはもう大人だからな!」
「おっ!お前、なかなか強いじゃねぇか!今日は祝いだ!たっぷり飲めよ!」
「おうよ!皆にもいっぱいくんでやるぜ!」
アストラはすっかり気分が良くなって、村の大人たちに酒を注いで回った。
それから、皆で楽器を鳴らしたり、躍りを踊ったりした。陽気な音楽に胸がわくわくして、身体が熱くなり、普段よりだいぶはしゃいでしまった。
「……ん?」
数分後、突然ぴたりとアストラの動きが止まった。何やら神妙な面持ちをしている。そこへユーティスが近づき不思議そうに尋ねた。
「アストラさん、どうされましたか?」
「何か胃の辺りが、すっげえ、むかむかする」
「え」
「う゛っ……」
真っ赤だったアストラの顔色が、みるみるうちに青くなっていく。
「げっ!やべぇぞ、アストラ!早くこっちへ来いっ!!」
親方は叫んで、アストラを庭の外へ引っ張って行く。その後どうなったかといえば──とにかく、悲惨な状況となった。アストラは大人になって初めて、酒の楽しさと恐ろしさの両方を味わったのであった。
──「あー、気持ちわりぃ。まじ死ぬかと思ったぜ……」
親方に担がれ、孤児院の自室へ戻ってきたアストラは、ベッドに仰向けになっていた。心なしか、さっきより少し痩せたように見える。
「全く。君はいくつになっても世話が焼けるね」
付き添う牧師カルヴァンは、固く絞った布をアストラのおでこに乗せ、苦笑する。育ての親としての実感がこもった言葉だ。アストラは唇を尖らせ力なく言った。
「しょうがねぇだろ?あんな風になるなんて思わなかったんだから」
「まあ、何はともあれ無事で良かった。失敗も経験のうちだ。これからは気を付けなさい」
「おう。もう二度と一気飲みはやんねぇ」
「あと飲んでから踊るのもやめた方がいい。酔いが回るから」
「うん。気を付けるわ。こんなきついの、もうこりごりだし」
アストラは反論せず素直にうなずく。カルヴァンは目を細めてうなずき、穏やかに話し始めた。
「……君が孤児院に来てから、もう十七年が経つんだね」
「そっか。もうそんなに経つのか」
「ここに来た当時、君はまだ一才だった。その頃は歩くのも危なっかしくて、いつ転ぶかとひやひやしたものだ」
「そんな昔のこと、忘れちまったよ。親の顔だって覚えちゃいねぇんだ」
アストラはかすかに切ない表情をする。彼は亡くなった両親のことをほとんど知らない。周りからどんな人物だったかを聞かされてはいたが、共に過ごした記憶が一つもないのだ。
でも、淋しいなんて思ったこと、全然ねぇんだよな。親父とお袋、おれのこと薄情な奴だって、文句言ってるかも。
天井を眺め、そんなことをぼんやり考えていると、カルヴァンがアストラの側に椅子を置き、そこへ腰かけた。
「なぁ、アストラ。君はこれからどうするつもりだ?孤児院を出て、一人立ちして、このままずっと村で暮らしていくのか?」
静かにカルヴァンが問いかけると、アストラは真面目な口調で返した。
「いや。おれ、まだ先のこと、何も決めてねぇんだ。剣士としてユーティスを越えてやりたいとは思うけど、エレナみてぇに夢があるわけじゃねぇから」
「そうか。ならこの機会にちゃんと考えた方がいい。君が今、一番やりたいことを。将来、自分がどうなりたいかを」
おれの一番やりたいこと……?
アストラは思考を巡らせようとするが、頭が上手く働かず、曖昧にうなずいた。
するとカルヴァンはにこりと笑って、付け加えた。
「アストラ。君はまだ若い。だから焦らず、ゆっくり道を考えるといい。迷ったら、僕はいつでも相談に乗るからね」
──次の日。灰色の雲が空に広がる朝。
村の田畑で変わらぬ日常を営むアストラに、突然、悪い知らせが届けられた。
「牧師様が倒れた?」
農作業の手伝いに駆り出されていたアストラは、赤いチュニックに汗を滲ませ、驚きの声を上げる。水色のワンピースを着た三つ編みの少女リリーは、血の気の引いた顔で息を切らしていた。
「うん。勉強を教えてくれてる時、急に具合が悪くなったの。お医者様に来てもらったんだけど、珍しい病気なんだって。早く処置しないと、手遅れになるかもしれないって」
手遅れ?牧師様が?昨日まであんなに元気だったのに?
アストラは一瞬、頭を強く殴られたような感覚がした。酔っていないのに、気分が悪くなるほど脈が速くなってくる。節くれだった両手が小刻みに震えていた。
「冗談、だろ?」
かすれた声で思わず呟く。アストラの脳裏に昨日のカルヴァンの微笑みが、はっきりと浮かんでいた。
もしかして、あれが、最期になっちまうのか?
彼との別れを強く意識したアストラは、言い様のない恐怖にかられた。
「お兄ちゃん。牧師様、とっても苦しそうなの。このまま牧師様が死んじゃったら、どうしようっ……!」
うつむいたリリーが目にいっぱいの涙を溜めている。不安に押し潰されそうなのを、必死にこらえているようだ。唖然としていたアストラは、ハッと我に返った。
そうだ。孤児院で一番年上のおれが、しっかりしなくてどうする。ぼーっとしてる場合じゃねぇ。何とかしねぇと。
アストラは表情を引き締め、冷静に尋ねた。
「その病気は、魔法じゃ治せねぇのか?エレナとユーティスはどうした?」
「それが……仕事でどこかに出かけちゃってて、連絡が取れないの」
「そうか。ならあいつら抜きで、何とかするしかねぇな。お医者様は何て言ってた?」
「うん。お医者様の話によると、病気を治すためには、特別な薬草が必要なんだって」
「それはどこにある?」
「解らない。どんな薬草か見せてもらったけど、生えてる場所まではお医者様も知らないんだって」
「……解った。ならおれは、その資料を借りてきて、詳しそうな奴に聞いてくるぜ!迷いの森の奴らなら、何か知ってるかもしんねぇ!」
アストラは村の仲間に断りをいれ、全力で走り出そうとする。その時、リリーが彼の服の裾を両手で掴んで、ぐいっと引っ張った。
「待って!わたしもアストラ兄ちゃんと一緒に行く!」
「だめだ!数は減ったとはいえ、森には魔物が出る!リリーはここで待ってろ!」
「いやだもん!絶対に待たない!」
「何だと?」
「牧師様が大変な時に、ここでじっとしてられるわけないでしょ!アストラ兄ちゃんが何と言おうと、わたし、絶対に行くから!」
リリーが眉を吊り上げ思い切り睨んでくる。アストラは少しびっくりしてから、顔をしかめた。
「……お前この頃、エレナに似てきたな」
「え?可愛いくなったってこと?」
「違うわ、バカ!分からず屋の頑固頭ってことだよ!」
「なっ!エレナお姉ちゃんのこと、悪く言わないでよね!後でユーティス様に言いつけてやるんだから!」
「おい!それはやめろ!あいつエレナのことになると、性格変わるんだぞ!?」
「ふん!知らないもん!アストラ兄ちゃんがひどいこと言うから悪いんだもん!」
リリーは服を握り締めたまま、頬をぷうっと膨らませた。気迫負けしたアストラは、舌打ちを一つしてから頭を乱暴に掻いた。
「……ああ、もう!解ったよ!勝手にしろ!けがしても知らねぇからな!」
そうしてアストラは、リリーと共に医者から資料を借り、【言語変換】の腕輪をはめ、愛用の剣を背負って迷いの森へと急いだのだった。