悩める魔法使いたち。甘いお菓子で一休み
ウーディニアとの戦いから三ヶ月後。
晴天の昼下がりに、藍色のローブを着たエレナは、ルピスの孤児院を訪ねていた。手には大きなカゴが握られている。
エレナは肩下まである赤い髪を煌めかせ、庭で元気に走り回る子供たちへ、明るい声をかけた。
「みんな、ただいまー!お土産買ってきたよ!」
「あ!エレナおねえちゃん、おかえりー!」
「なになに、おみやげ?」
「いいにおいがする!」
エレナは七人の幼い子供たちにすぐさま取り囲まれた。彼女はしゃがみ、カゴの中を自慢気に見せる。
「じゃーーん!チェリーパイだよ!みんな、食べたことないでしょ?今日はヴェスタ王国に行ってきたから、ついでに買ってきたの!」
「わー!おいしそう!」
「ねぇねぇ!早く食べようよー!」
「こら、君たち。少し落ち着きなさい……。エレナ。お土産ありがとう。今日は天気がいいから、皆と一緒に外で食べようか」
遅れてやって来た中年の牧師は、ピョコピョコ跳ね回る子供たちの後ろから、穏やかに言った。
牧師と子供たちは、庭に長方形の机と長椅子を運び、そこへ座った。エレナは紅茶の入ったカップとチェリーパイを、皆へ一つずつ配る。リリーとアストラも呼んで来て、賑やかなお茶会が始まった。
「なにこれ!おいしい!!さいこう~!!」
あちこちでチェリーパイに感動する声が響いている。例に漏れず、三つ編みに茶色のワンピースを着た少女リリーも、パイを片手にとろんと目尻を下げていた。隣に座るエレナもつられて同じ顔をする。
向かいに腰かけているアストラは、黒の短髪を揺らし優しい瞳をしている。赤いチュニック、黒いズボンは彼定番の服装だ。アストラの手元を見ると、彼の分のパイは消え皿はすでに空だった。速すぎである。よく噛んで食べないとお腹壊すよと、エレナは母親みたいなことを思った。
しばらくすると子供たちは食べ終わり、牧師を交えて庭でかくれんぼを始める。可愛らしく無邪気な姿に、エレナはほのぼのしていた。
「そういえば、今日はユーティス様はいっしょじゃないの?」
パイを堪能し、紅茶を半分飲んでから、リリーが聞いてくる。エレナは顔を曇らせた。
「ユーティスさんは、まだヴェスタ王国に居るの。ポロン先生たちと難しい仕事をしてる」
「そっか。それでお姉ちゃんだけ帰ってきたんだね」
「それもあるけど……実はリリーに相談があってきたんだ」
エレナは小声になる。リリーはエレナに顔を近付け、何?と尋ねた。アストラは片眉を跳ね上げて、聞き耳を立てている。
「ごめん。アストラは向こうに行っててくれる?」
「あ?何でだよ?」
「いや、その、恥ずかしいというか」
「男には言いにくいことか?」
「そうじゃないけど」
「分かった!ユーティス様のことでしょ?」
「さすがリリー!よく分かったね!」
「あいつのことなら、別にいいだろ?おれもアドバイスしてやっから、話してみろよ」
アストラは腕組みをして、聞く体勢に入っている。どうやら席を外してくれる気はなさそうだ。エレナは諦めて、暗い面持ちで話し始めた。
「……ユーティスさん、この頃様子がおかしいんだよね」
「様子がおかしい?どういうこと?」
「うーん。何か悩んでるみたい。私に言いたそうにしてるんだけど、話してくれなくて」
「そんなもん、問い詰めて吐かせりゃ済む話だろ?」
「アストラ兄ちゃん、吐かせるはやめて」
リリーが素早く突っ込む。エレナは長いまつげを伏せた。
「でも……もし悪いことだったらどうしようって思ったら聞きづらくて」
「悪いことって?別れ話とか?」
「リリー!考えないようにしてること、ばっちり当てないで!」
「あはは!きっとだいじょうぶだよ!ユーティス様、あんなに好き好きオーラ出してるのに、そんな話するわけないって!」
「そうかなぁ」
「はぁー面倒くせぇな!うじうじしてねぇで白黒はっきりつけてきやがれ!ここであーだこーだ言ったって何も解決しねぇだろ?」
「ううう」
「どうせお前が何かやらかしたんだろうぜ!鈍感だから気付いてねぇんだろうけどよ!」
「空気読まないアストラに、鈍感とか言われたくないんだけど……」
「じゃあ他に何て言うんだ?マイペースか?天然か?アンポンタンか?」
「すごい。どんどん扱いが悪くなっていく」
「アストラ兄ちゃん、それはひどすぎ!お姉ちゃん、困ってるんだから、もっと優しく言ってあげてよ!それに好きな人のことだもの!悩むに決まってるじゃない!」
「そ、そうだよね!ありがとう、リリー!私の天使!」
持つべきものは友達だと、エレナは泣きそうな顔でリリーへ抱きついた。彼女はしょうがないなぁと笑いながら、エレナの頭を撫でた。どっちが年上が分からない絵面である。
──それから片付けを済まし、三人は長い間お喋りをした。するとそこへ白いローブを着た麗しい青年が、栗色の髪をなびかせ颯爽とやって来た。
「エレナさん、迎えに来ました。うちへ帰りましょう」
「あ、ユーティスさん!お仕事お疲れ様です!リリー!アストラ!相談のってくれてありがとうね!私、頑張る!」
リリーとアストラは微笑み、頑張れと目で合図を送ってきた。ユーティスはエレナの横顔を切なそうに見ている。二人は孤児院を後にした。
エレナとユーティスは村の西側にある一軒家を目指し、横並びで歩いた。二人は現在、そこで一緒に暮らしているのだ。
夕方になり、オレンジ色に移り変わる空。
無人の坂道を上りながら、元気のないユーティスに、エレナは思いきって話しかけた。
「ユーティスさん。この頃、何か悩んでませんか?」
「え?どうしてそのようなことを?」
「様子が変だって、見てたら分かります。私に言いたいことがあるんでしょう?遠慮せず話してください」
エレナは不安を隠して強く促した。受け止める覚悟は出来てるぞと言わんばかりの顔をする。ユーティスは立ち止まり、複雑な表情で彼女と対面した。
「ここ最近、ずっとモヤモヤしていました。自分でも、こんな嫌な気持ちになるとは思っていなかったのです。エレナさんに呆れられたらどうしようかと、伝えるのを躊躇していたのですが……。お恥ずかしい話、私はひそかに嫉妬していたのです。大切な友人であるアストラさんに」
「アストラに?どうしてですか?」
「……それが原因です」
「え?」
「アストラさんは呼びすてなのに、どうして私は『さん』付けなのですか?」
「へ?呼び方、ですか?」
エレナの目は点になる。もっと重大なことを切り出されると予想していたので、えらく拍子抜けした。
「えっと、それは、アストラは長い付き合いで家族みたいなものですし。それにユーティスさんを呼びすてするなんて、失礼な気がしますから」
「しかし私たちは恋人同士になったのですよね?私もアストラさんのように、あなたに気安く呼ばれたいのです。わがままと思われるかもしれませんが、どうぞお願いします」
甘えるようにエレナを見つめるユーティスは、真剣である。彼女はドキドキするのを必死で抑え、うなずいた。
「分かりました。じゃあ、言いますよ?」
ユーティスは期待に満ちた表情をした。謎の緊張感が二人の間に生まれる。意を決してエレナは彼を見上げた。
「ゆ、ユーティ……」
「はい!エレナさん!」
ユーティスはキラキラ輝く笑顔で返事をした。
はううっ!!眩しい!!可愛すぎる!!
エレナは耐えきれず、両手のひらで真っ赤に染まった顔を隠した。
「無理です無理むり!やっぱり出来ません!!」
「そうですか。思った以上に難しいのですね……」
ユーティスは肩を落とし、見るからにしょんぼりしている。エレナは慌てて弁解した。
「ごめんなさい!せっかく話してくれたのに、ちゃんと言えなくて!でもユーティスさんがそうして欲しいのなら、ゆっくり慣れていきますから!だからそれまで待っててください!」
エレナが熱いほっぺを両手に挟み、一生懸命に告げる。ユーティスは目を丸くした後、彼女をいとおしそうに眺めた。
「ありがとうございます。お気持ち、とても嬉しいです」
「でも、いつになるか分かりませんよ?」
「構いません。時間はたっぷりありますので。それに私は、エレナさんのそういう初なところも、大好きですから」
「ちょ、だから何でそんな恥ずかしいこと、サラッと言うんですかー!」
「本当のことだからです」
「私の心臓がもちませんよ」
「大丈夫です。具合が悪い箇所があるなら、私の魔法で治して差し上げます」
「いや、そういう問題じゃなくて!」
「……思ったことを、エレナさんにそのまま伝えてはいけませんか?」
ユーティスは眉を下げ、深緑の瞳を潤ませた。そんなに悲しい顔をされては胸が痛む。だめだとは口が裂けても言えない。この人には敵わないなぁと、エレナは心の奥で白旗を振った。
「いいです。何でも言ってください。私もあなたの素直なところが、だっ、大好きです」
彼女がはにかんで言うと、ユーティスは頬を赤らめ破顔した。
「というか、ユーティスさんだって、私のこと『さん』付けしてるじゃないですか!」
「あ、本当ですね」
ユーティスはにこりと笑い、右手でエレナの横髪を掻き上げると、頬にそっと口づけをした。それから赤くなる彼女を真顔で見つめ、色気のある声で囁いた。
「愛していますよ、エレナ」
「ひゃああああ!ふふふふふ不意討ちは卑怯です!ユーティスさん!!」
「ああ。この調子だと、名前呼びはずいぶん先になりそうですね。ですが楽しみに待っていますよ?」
ちょっと意地悪な顔をしてユーティスはエレナの手を取った。ぬくもりが重なり、心が喜びと安心感でいっぱいになる。エレナは心臓をばくばくさせながらも、彼の大きな手をぎゅっと握った。愛する人との幸せを、決して離さぬように。
──【博識の魔法使い】と【意志の魔法使い】。
伝説に名を残す二人は、いつも互いを想い、寄り添っていた。
愛し合い、支え合う彼らの尊い日々は、平和な世界の歩みと共に、まだ始まったばかりである。