二人の大賢者。終わりなき幸せ
『迷いの森』での宴が終わり、皆はそれぞれの国に帰った。
それから数時間後の夜明け前。エレナはルピスの家で不意に目を覚ました。隣でユーティスは安らかな寝息を立てている。いい夢でも見ているのだろうか。
エレナはユーティスに毛布をかけ直し、寝間着の上からマントを羽織って静かにベランダへ出た。外は満月が輝き、青白い光が森やルピスの村を照らしている。ひんやりした空気の中、エレナは指を組みまぶたを閉じた。
しばらくすると、背中がふわっと温かくなって、エレナはどきりとした。
「だめですよ。こんな薄着で外に出ては、風邪を引いてしまいます」
目を開けると、ユーティスが後ろからエレナを毛布で包んでいた。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いえ、構いませんよ。それより、何をされていたのですか?」
「お祈りです。明日も村のみんなが元気に過ごせますようにって。そう願うことしか、今の私には出来ないから」
「そんな。あなたはいくつもの魔法を習得して、たくさんの人の役に立てているではないですか」
「だけどあの五年前の戦いから、私は一度も新しい魔法を作れてないんです。あれは神様の力で起こせた奇跡だった。私はまだまだ半人前です」
エレナは星空を仰ぎ、きりっと引き締まった表情をした。
「でも、どれだけ時間がかかっても、私は作りたいんです。希望や勇気を生み出す魔法を。傷付いた心を癒す魔法を。それが私の今の夢なんです」
「……あなたらしい、美しい夢ですね。ですがその魔法、私はすでにかかっているようです」
「え?」
どういうことだろうと、振り向いてユーティスの顔を見る。彼は伏し目がちに言葉を続けた。
「妖精と人間の子。そしてレアリア・ド・マキア。私は長い間、他人との違いに悩み、自分の弱さや醜さを否定しながら生きてきた。しかしあなたはいつでもそんな私に寄り添い、全てを受け入れてくれた。だから私はどんな自分も愛せるようになったのです」
たった一人でも、自分を解ろうとしてくれる人が居る。大切に想ってくれる人が居る。それが孤独なユーティスにとってどれほど救いになっただろう。希望となっただろう。
エレナは自分が彼の支えとなっていたと知り、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
ユーティスはエレナを慈しむように見つめて微笑んだ。
「心が満たされていなければ、誰かに優しくなど出来ない。私はあなたにたくさんの幸せをもらいました。だから皆さんにも分けてあげたい。義務などではなく、あなたにもらった優しさを、誰かに渡したいと心から思えるのです」
「私もそうです。みんなのために頑張りたいと思えるのは、ユーティスさんが、私を大切にしてくれるから。大賢者様だって言われてチヤホヤされてるけど、私、本当はそんなに良い人間じゃないんですよ?」
いたずらっぽく笑うと、ユーティスは「私だって同じです」と言って、エレナの肩にもたれかかった。
「エレナさん。一つ、大事なお願いがあります」
「はい。何でしょうか」
「あなたを束縛するようで、口にするのを躊躇っていたのですが。私は皆さんがあなたを必要とするたび、あなたを取られてしまうのではないかと不安でたまらなくなるのです。だから確かな約束が欲しい」
ユーティスはエレナの両肩に手を置いて、情熱的に問いかけた。
「この私の妻となってくれませんか? 正式に契りを結び、私の一族の名を受け継いでもらいたいのです」
「え……!」
突然の申し出に驚き、エレナは頬を紅潮させた。『妻』という響きは『恋人』よりも、さらに親密さを感じられたからだ。
「名前を受け継ぐということは」
「そう。『エレナ=ニュンフェ』となっていただきたい」
「つまり、ユーティスさんの家族になるってことですね?」
「ええ。その通りです。あなたは私と同じく妖精族の一員になる。……答えは決して急ぎません。わがままを言っていることは、重々承知しておりますので。どうか良く考えてから、エレナさんの率直な気持ちをお聞かせください。お願いします」
「いえ。考える必要なんてありません。私の答えはもう出てます」
こんなにも愛しいと思える人。私をこんなに愛してくれる人は、この世界であなた一人だけだから。
ユーティスが緊張の面持ちを浮かべている。エレナは太陽のように眩しい笑顔で返事をした。
「もちろん、いいに決まってます! 大好きなユーティスさんと家族になれるなんて、最高に嬉しいです!!」
「…………ああ、エレナさん。あなたという人は、何の迷いもなく私を受け入れてくださるのですね」
ユーティスはとろんと目尻を下げ、エレナの顔を覗き込み、長い指で彼女の横髪をそろりとかきあげた。
「この命尽きるまで、あなたの笑顔を守ります。そしてあなたを幸せにします。神に誓って」
「私もあなたを幸せにします。神様に誓って」
「嬉しいです。でも私はエレナさんに、十分なほど幸せをもらっているのですが」
「だめです。全然足りません。ユーティスさんにはもっともっと幸せになってもらいます!」
「ふふふ。ありがとう。これからの人生も楽しみです。あなたに会えて、本当に良かった」
ユーティスは破顔してエレナの頭を胸板に押し当てた。ぱさりと床に落ちる毛布。彼の心音がすぐ側に聞こえ、エレナの胸は苦しくなるほど高鳴った。ユーティスの低く甘い声が、鼓膜を優しく震わせる。
「例え年老いて、死が私たちを引き裂いたとしても。この想いだけは絶対に、消えはしない」
ユーティス……と、エレナは愛しさを込めて名を呼んだ。顔を見上げれば、きらめく深緑の瞳に釘付けとなる。ユーティスは泣き出しそうな笑顔だった。
「エレナ。私の最愛の女性。私の心は永遠に、あなただけのものだ」
固く揺るぎない言葉に胸を打たれる。二人は視線を絡ませ、深い口づけを交わした。溢れ出る幸福感がエレナの身体中を満たしていく。愛してると何度も心で唱えながら、エレナは夢中でユーティスを抱き締めた。
──やがて地平線から太陽がゆっくりと顔を出し始めた。空はオレンジと群青と紫に変わり、村や森、草原は、徐々にまばゆい光に照らされ鮮やかに色づいていく。
同刻、ポロンは窓際のベッドの中で、教え子たちの夢を見ていた。
ゼクターは早く起き、すやすや眠る娘の頭を撫でる。
ダミアとルカーヌはそれぞれの部屋の窓から荘厳な日の出を見ていた。
アストラは目をつむるリリーに腕枕をしており、ネルバと子供たちはクラドーにもたれ、穏やかな寝顔を浮かべていた。
そして、エレナとユーティスは神聖な光を浴びながら、おでこを寄せ合い両手を握って、不変の愛を噛み締めた。
太陽の光はどんな者にも平等に降り注ぎ、一日の始まりを告げる。世界に息ずく何よりも尊い幸せは、きらめく朝日だけが知っていた。
──その後。愛し合う二人の大賢者は、信じ合える仲間と民衆に祝福され、結婚式をあげた。
それから数十年の時が経ち、【エレナ=ニュンフェ】は、自らの意志で魔法を作り出して、神に近い所業を成した。
けれど彼女はその生涯を閉じるまで、ささやかな日常に感謝し、夫や子供、そして隣人を愛した。
誰よりも優しく強い魔法使い。彼女の守ったかけがえのない世界は、皆の大切な命を抱きながら、今日も明日も明後日も、幸せに続いていくのだった──。
【おしまい】




