暗躍の始まり。赤薔薇を添えて
こちらは【いしまほ】本編の読者様リクエストを元に執筆した作品です。不定期更新で、リクエストを消化したら完結する予定。楽しんでもらえたら幸いです。よろしくお願いします。
満月の夜。
暗闇に紛れるようにして、一人の男が息も絶え絶えに森を歩いている。木に右手を添え怒りに震えているのは、黒のローブを着た青年──ウーディニアだ。
波形を描いた黒紫の長髪と、雪華のごとく白い肌が月明かりに照らされ、彼の美しさをより際立たせている。
ウーディニアは赤い目を縁取る長いまつげを伏せ、地面を睨んだ。
「忌々しい……博識の魔法使いめ……!」
濡れた唇を歪め吐き捨てられたのは、激しい憎悪のこもった台詞。
ウーディニアは右の拳で幹を力任せに殴った。本来なら木など簡単にへし折れるのだが、葉を揺らすことすら出来なかった。それほどまでにウーディニアは力を失ってしまったのだ。彼を生み出した魔法使い、ユーティス=ニュンフェとの戦いによって。
奴は心身共に弱り果てていた。少しの抵抗も許さず勝てると思っていたのに。
奴は退けた。完璧であるはずの我の力を。
「これが、屈辱というものか」
誕生後、初めて味わった敗北感。自分こそが最強だと信じて疑わないウーディニアにとって、ユーティスの存在は脅威であり、決して受け入れられぬものだった。
我に恥をかかせたあの男。奴の全てを奪いたい。悲しみに泣き叫び、許しを乞う姿が見たい。二度と生意気な真似が出来んよう、ズタズタに引き裂いてやりたい。
全てを焼き尽くさんばかりの殺意の炎が、胸に渦巻いている。
だが、ユーティスとの戦いで不都合なことが明らかになった。彼が死ねば自分も消えるという事実だ。
「厄介な片割れめ」
自分の生存に気付けば、ユーティスはきっと命を捨てる覚悟で向かってくるだろう。だが同一の存在である以上、抹殺するわけにもいかない。今後どのように対処すればいいのか。ウーディニアは思考を巡らせた。
そうだ。命は取らずにおいてやろう。苦痛を与える方法などいくらでもある。奴の裏をかき、目的を達成するのだ。愚かな人間共に復讐し、世界を破滅させるために。我が唯一の神となるために。
「絶対に力を手に入れる。そして奴をいたぶり、その偽善に満ちた心を壊してやる」
邪悪な欲望をたぎらせ、赤い目はギラギラと光る。
のちに魔王と呼ばれることとなる男の暗躍の日々が、ここに始まりを迎えたのだった。
──ウーディニアはユーティスの力に対抗するため、秘密裏に動き出した。手始めに魔物たちを操り、魔力の強い人間を集めさせ力を奪っていく。また各地の古書を調べ上げ、より強くなる方法を探した。
数ヶ月後の夜。
三日月の下、ウーディニアはとある森で一軒の古びた屋敷を見つけた。家主はもう居ないらしく、外壁につたがぐるぐると巻き付き、不気味な雰囲気を醸し出している。
中に入ると巨大な本棚があり、魔法書が乱雑に並んでいた。杖やマントも転がっていて、ここにはかつて魔法使いが住んでいたのだろうと推察出来た。
「これは……!」
ウーディニアは淡いランプの光を頼りに室内をくまなく調べた。まず出てきたのは魔法使いの日記だ。周りの者たちへの侮蔑と嫌悪。闇魔法の実験結果。呪いをかけた人間たちの末路などが事細かに記されている。日記の表紙には持ち主の名前があった。以前、世界中を震撼させた魔王の名が。
「そうか。この屋敷は、かつてフォボスが暮らしていた場所だったのだな」
ウーディニアは口端をつり上げた。あのユーティスに呪いをかけた張本人。狂うほどに力を欲したあの男なら、恐らく何か役立つ情報を手に入れていたに違いない。
ウーディニアは期待を込め、埃の被った本をあさった。そうして数時間後、案の定、大いなる手がかりを見つけた。
「封印の神殿に力が眠っているのか」
始まりの時代に隠されたという禁忌の力。それを解くためには各種族が守る、三つの石が必要だと、その古書には記されていた。
神に等しき膨大な力。これこそ我にふさわしい。
ほくそ笑みながら、ウーディニアは部屋を出て火を放つ。赤々と燃え上がる屋敷を背に彼は心を決めた。
三つの鍵を手に入れ【禁断の書】を我が物にする、と。
「博識の魔法使いよ。今に見ていろ。圧倒的な恐怖を、貴様に味わわせてやるぞ」
──そこから長い時が流れる。ある日ウーディニアは、イスト王国で面白い噂を耳にした。王国魔法団に所属する魔法使いが、連続殺人事件を起こしたというのだ。城の近くを探索すると、誰かを呪う女の声が聞こえてくる。ウーディニアは人間の内側に潜む悪意を感知することが出来るのだ。
彼は魔法を使って影から影へと移動し、地下へ潜入した。
『許さない。皆みんな、殺してやる……!!』
声を頼りに行き着いたのは、薄暗く頑丈な牢獄。
中にはウエーブのかかった金髪を胸下まで垂らした女──ティシフォネが、石壁に打ち付けられた錠に、両手足を拘束されていた。
身体の凹凸が目立つ赤い膝丈のワンピースは、彼女のなまめかしさをさらに強調していた。
「……誰?」
うなだれていたティシフォネは、気配を察知したようで、わずかに頭を動かした。
鬱陶しそうな前髪越しにウーディニアを見つめている。大きな紫の瞳は絶望と憎しみに染まっていた。
「貴方、何者?女王の手下かしら?」
「いや、そうではない。我は興味があって来たのだ。貴様が噂の殺人犯なのだろう?」
「ああ、酷い男!この憐れな女を笑いに来たのね?あたしはもうすぐ死刑になるのよ!この牢獄でその時を待ってる!愛する彼を葬った、憎い女を殺すことも叶わずにね!!」
なるほど。強烈な悪意の正体はこれか。
この薔薇のような女の復讐心が、自分をここへ呼び寄せたのだと、ウーディニアは理解した。
都合の良いことに、女の心はすでに闇へ堕ちている。魔力もなかなかに強い。道具として利用する価値は十分にありそうだ。
ウーディニアはティシフォネにゆっくりと尋ねた。
「一つ問おう。貴様、そこから出たいと思わんか?」
「え?どういうこと?」
「我に絶対の忠誠を誓うなら、この冷たき牢から解き放ってやってもいい」
「……ふん!それは無理ね!この牢はあたしのために魔法団の奴らが作った最高の品なのよ?呪文を無効化する結界が何重にも張られていて、貴方一人に壊せるはずがないわ!」
「ほう、面白い。ならば我が力を見せてやろう」
ウーディニアは赤い目を見開き、牢獄に両手をかざして呪文を囁いた。
牢獄は黒い闇に包まれる。結界はけたたましい音を出して破られ、格子に大穴が空いた。
「嘘……。そんな馬鹿な」
驚愕しおののくティシフォネに、ウーディニアは近付く。彼は女の顎を曲げた人差し指の側面で押し上げ、その瞳を覗き込んだ。
「さあ、これで我の強さを思い知っただろう?分かったら今すぐ我の物になれ。身も心も捧げるなら、貴様の復讐に協力してやろう」
「復讐に、協力?」
「ああ。我は貴様が気に入ったのだ。美しき女よ。何でも欲しい物を言うがいい」
慈愛の笑みを浮かべ、低く甘い声で誘惑した。ティシフォネはすっかり魅了されたようで、頬を染め悩ましげなため息を漏らした。
「……分かりましたわ。あたしは今日から貴方様の物でございます。どうか、あいつらを殺せるだけの力を、あたしにください」
「いいだろう。強大なる闇の力を受け取れ!」
ウーディニアは手のひらから闇を生み出し、ティシフォネの胸へ浴びせた。彼女は身体を反らし、苦し気な悲鳴を上げる。黒い霧が消えた時、ティシフォネは手足の錠を壁から引きちぎった。彼女は不気味な笑い声をこぼしている。瞳の色は紫から赤に変わっていた。
「うふ、うふふふふふ!なんて素晴らしいの!これがご主人様の力なのね!!」
「では女よ。改めて聞こう。貴様の願いは何だ?」
「イスト王国の滅亡と魔法団の犬共、および女王スコルディーの殺害でございますわ」
「そうか。ではその願い、必ず成就させてやろう。我に付いてくるがいい」
「お待ちください。あたしはティシフォネといいます。貴方様のお名前は?」
ティシフォネがうっとりした表情で聞く。ウーディニアは自信に満ちあふれた顔で答えた。
「我が名はウーディニア。新たなる世界の神となる者だ」
ウーディニアはティシフォネに魔法をかける。彼女の手足にはまった錠が割れ、鈍い音を立てて床に落ちた。
女の細い手首を取り、ウーディニアは闇を呼び出して共に地下牢から姿を消した。イスト王国魔法団の者たちは、それからティシフォネの行方を追うこととなる。
──憎しみという悪意の闇が、ウーディニアとティシフォネを引き合わせた。
彼らは息を潜め、水面下で着々と計画を進めていった。
いずれ二人の野望は世界を揺るがし、破滅へと導いていく。
──語り継がれる歴史には決して残らぬ、恐ろしくも甘美な裏の一幕である。