執務室での攻防
改めて身分差を感じさせられる食事が、終わった。
最後に出されたのは、甘いお菓子と果物で、とっても美味しかった。
甘いものと言えば、野イチゴとか花の蜜とか、極たまにおこぼれに貰う傷んだ果物ぐらいだった。
だけど、そのどれとも比べものにならないくらい、甘くて美味しかった。
見た目も本当に綺麗で、食べるのが勿体なく感じた。
すっかりお腹が膨れたけど、誰も立ち上がらないので、そのまま待つ。
どうやら、あの男が立ち上がらないと、皆退席出来ないらしい。
早く帰りたいのに、あの男は、ゆっくりと、何だか黒くて苦そうな液体を飲み干した。
あの男、どうやら甘いもの食べなかったようだ。
勿体ない。
あんなに美味しかったのに。
暇なので、とりとめなく考えながら、表面上は澄まし顔で頑張って背筋を伸ばして座り続ける。
お腹一杯で、怒濤の1日だったから、これが精一杯。
本当は、周りの観察をしとくべきなんだろうけど、ね。
五歳児の体は、残念ながらそんなに体力ないから、許して。
と、やっとあの男が飲み終えて、カップを置く。
よし、これで帰れる!と、思った。
だが、あの男、私に書斎まで来るように声を掛けてから、退席しやがった。
え~、めんどくさい。
絶対にろくでもないことだ。
早く寝たいのに。
ちろりっと、左側を見れば、ディールが私を睨んでいる。
そうだよね。
この食事中、あの男が話しかけたのは、執事長にのみ。
実の子供であるディールには、一言も声を掛けてなかった。
なのに、今日突然現れたばかりの私に声を掛けるんだから、不満も溜まるよね。
でも、ごめんなさい。
行かないって選択肢はないの!
ものすごくめんどくさいけど、これがチャンスだってのも分かってる。
あと、当主の言葉に初日から逆らうとか、無理だから!
睨んでくるディールも、心配そうに見てくるお母様にも頭を下げる。
案内に従って辿り着いたのは、重厚な木の扉。
細かな細工が施してあって、とっても綺麗。
重そうな扉だったけど、良く手入れされてるのか、とても滑らかに動いた。
中に入れば、正面には大きな机。
まだまだ子供の私よりも、天板の位置は高くて、そこに置いてある書類を覗き見るのは、無理っぽい。
このお屋敷は、どこもかしこも広くて、清潔だ。
すきま風が吹き込む場所もないし、風で家がガタガタ揺れることもない。
これは、早く覚えないと確実に迷子になる。
「失礼します、ルーリェンです」
頭を下げれば、机の向こうから、あの男が見下ろしているのが分かる。
あの男の許可が出るまで頭を上げられないので、じっと柔らかな絨毯を見つめる。
この絨毯、いくらするんだろう。
この絨毯があれば、寝る時、固い床の上に薄い布を敷いて眠ってる仲間達が、快適に過ごせるかも。
徒然と考えていると、ようやくあの男から許可が出たので、頭を上げる。
「ルーリェン、明日からお前には、家庭教師を付ける。勉学に励み、私の役に立つように。お前は、特別な子だからな。何かあれば、すぐにリンデスかカーニャに言え」
「はい」
まさかあの男から、特別な子と言われるとは、驚きである。
しかし、笑顔一つなく、見下されながら特別な子と言われても、正直馬鹿にされてるようだ。
いや、されてるようではなく、しているのか。
「ここは、どうだ? お前がちゃんと私の望み通りにしている限り、好きにしていい。ただし、私に逆らうなら、この家から追放する。また、あの寒さで震え、空腹に泣く日々を過ごしたくなければ、私に手間を掛けさせるな」
「はい」
殊勝に頷きながら、私は内心納得していた。
成る程、私を見つけてからの2年。
私が、孤児院に置かれぱなっしになっていたのは、恐らくそれが理由の一つ。
辛い生活から一転、優雅に暮らしを味わわせて、逆らう気を無くさせるつもりだったのか。
元の生活に戻りたくない一心で、お前の言いなりにさせるのが狙い。
そういえば、私の様子を見るためか、孤児院には似つかわしくない質のいい服を着た男が定期的に来ていたが、あれはこの男の手の者か。
なら、孤児院ての暮らしがどんなものだったか、この男はある程度把握しているのだろう。
確かに、孤児院での生活は、辛かった。
でもね、あそこには大切な仲間がいるの。
仲間がいればこそ、乗り越えられた日々だった。
あぁ、なら、お前の企みのお陰で、仲間達と過ごす日々が貰えた事に、感謝しよう。
見つけられてすぐに仲間達から切り離されたなら、きっと私はこんなに自分を保つことは出来ず、お前の言いなりになっていた。
仲間達と過ごした日々が、私に強さをくれる。
「それから、ディールにもラウディにも、必要な時以外は近付くな。あぁ、あの女にもだ」
あの女。
ディールとラウディは、分かる。元々、女性不信な男だから、近付けさせたくはないのだろう。
では、あの女とは?
おそらく、流れからして、お母様の事では?
何らかの悪影響を懸念してだろうが、それは困る。
だって、母親という存在に、憧れを抱いているのだ、私は。
私は、孤児で、両親の記憶なんてない。
だから、義理とは言え、両親が出来て嬉しかったのだ。
残念ながら、父親はこの男なので、憧れも希望も殴り捨てた。
けど、お母様に関しては、違うのだ。
お母様がどんな女性かなんて、今日初めて会ったばかりで、僅かな知識しかなくて、ほとんど知らない。
でも、私を迎え入れてくれた時の笑顔も、食事の後心配そうに見送ってくれたことも知っている。
強行突破してもいいけど、お母様に迷惑を掛けたい訳ではないのだ。
なら、ここでお母様に会う許可を貰うしかない。
あぁ、さっき、初日から当主の言葉に逆らうとかあり得ないと思ったのに、早速反対の事をしようとしてる。
呆れるしかない。
でも、お母様に会うな、なんて言葉に、頷く訳には行かない。
「嫌です」
「………なんだと?」
さっきまで順丈に従っていた私の言葉に、あの男からの圧力が強くなる。
後ろにいるリンデスからも、驚き不快に思っている様子が分かる。
けれど、これに負けるくらいなら、最初から反対なんてしない。
「嫌です。なんで、お母様に会っちゃ行けないの?」
首を傾げて、あえて無邪気な顔で尋ねる。
「あの女は、君に悪影響しか与えない。会っても、君が傷つくだけだ! 母親なんて、ろくなものじゃない」
そうか。
あなたは、本当に母親という存在が嫌いなのね。
でもね、私は、会いたいの。
美形の睨み付けって、怖いなと思いつつ、私にだって、譲れないものはあるのだ。
だから、更に無邪気な笑顔のままに、言葉を続ける。
「でも、会いたい。お母様とは、ちょっとしか会ったことないし、あなたの言葉だけで、判断なんて、嫌。私は、自分の目でちゃんと判断するの!」
そう言い放つと、あの男は、なぜか虚をつかれたかのような驚きを見せた。
何に驚いたのだろう?
私が、あの男の言葉に更に逆らったから?
でも、それなら苛立つんじゃなくて?
しかも、その後、何故かあっさりとお母様に会う許可を出したことも、腑に落ちない。
しかし、まぁ、これでなんとかお母様に会う許可は貰えたので、良しとしよう。
あの男の執務室から、無事自分の部屋に戻る。
待ち構えていたチェルシーに、お風呂に入れてもらい、寝間着に着替える。
そして、やっとベッドに横たわれた。
疲れた。
本当に、怒濤の1日だった。
急にこの屋敷に連れて来られ、知識が甦って、チェルシーに会って、あの男との対決。
思い出すだけで、疲労が増す。
やるべきことは沢山あって、時間もないけど、今日だけは休ませてと、重くなっていく瞼に逆らえなかった。