思い出した記憶
豪奢なお屋敷。
華やかで上品な調度品が飾られた、広々とした室内。
それに相応しい容姿端麗で、貧しくて飢えたことなんてなさそうな、いかにも上流階級の男女。
彼らの子供と一目でわかる、愛らしい二人の男の子。
それを見た瞬間、まるで走馬灯のように駆け巡った記憶に、私はふらりと倒れそうになる。
だが、私を見つめる人々、特に私を見定めようとしている男性に気づき、必死に遠のきそうになる意識を手繰り寄せる。
「ルーリェン」
男に呼ばれたそれは、私の名前ではない。
それは、ある少女-いやまだ女の子というべきか-その子の名前だ。
私は、ただの身代わりだ。
第一に、私がどんな扱いを受けたとしても、文句を付ける親も親戚も居いらず、例え居たとしても貴族に逆らう事など出来ない貧民の孤児であったこと。
そして、この身に幾ばくかの魔力があり、彼女と似た年頃に同じ色彩の髪と瞳を持っていたがゆえに、選ばれたに過ぎない。
私は、彼女が無事に成人するまでの間、彼女に変わりあらゆる厄災を引き受ける形代。
彼女を狙う悪人達から、彼女へ目をむけさせない為の身代わりに、彼は勝手に私を選んだ。
私は、本来なら訳の分からぬ間に勝手に背負わされた役目も知らず、ただただ貴族に相応しくなれるよう、彼への感謝の気持ちもあり、頑張るのだろう。
彼は、私の評判に凡庸な物を願い、それが悪評なら喜ぶのだ。
私の悪評が高ければ高いほど、彼女が本物で私が紛い物と分かった時に、人々が喜ぶからだ。
そして、彼女は歓迎された華々しい一歩を踏み出し、私は侮蔑され踏みにじられ、痛みつけられる道に進むことになる。
ふざけるな!
ふざけるな!!
ふざけるな!!!
お前が私をただの形代として扱うなら、扱え。
私は、お前の思い通りになるものか。私は、誰よりも幸せになってみせる。
その思いだけで、重たい頭と体を奮い立たせた。
にっこりと、出来るだけ子供らしい無邪気で明るい笑みを浮かべてみせる。
「初めまして、ルーリェンです。お目にかかれ光栄です」
出来うる限り優雅に丁寧に、教え込まれた動きを間違わないように注意を払う。
あの男に、私が身代わりであることに気がついたと気付かれては駄目だ。
何も気付いておらず、彼に引き取られた事を喜んでみせなければ。
それに、私の身代わりを知っているのは、記憶が正しければ、彼を初めとした極数人。
その数人の中に彼の妻と子供達、使用人の大多数は含まれていなかった。
現実ではどうなのかを確認するすべが、今の私にはない。
ならば、少なくとも今しばらくは全員を敵と見なす。
敵でなければ、味方に引き入れないといけないのだし、初印象を悪いものにしてはいけない。
今必要なのは、苛立ちや痛みで歪む顔ではなく、愛らしく喜びに満ちた子供らしい表情だ。
貼り付けた笑顔は、幸いなことに彼らの誰一人にも気づかれなかった。
それに、内心安堵する。
「ルーリェン、今日から私が父親となる。そう堅苦しくするな」
「そうですよ、ルーリェン。あなたは、私の娘になるのですから、どうぞよろしくお願いね」
理性的というか、冷たいと言える男の声と、対照的に柔らかく温かな女性の声。
私は、記憶が蘇ってなければ、彼らの言葉のみを素直に受け入れたのだろう。
そして、私は彼の使い勝手のいい駒になる。
そんなものに、なってたまるか!
煮えたぎるような怒りを必死に押し隠し、笑顔を保つ。
「ありがとうございます、お義父様、お母様。どうぞこれからよろしくお願いいたします」
全く表情の変わらないあの男と笑みを深くしたお母様に深々と頭を下げ、表情を隠す。
頭を持ち上げる時には、いつもの私だ。
あの男とお母様への挨拶が済めば、次は子供達だ。
長男のディールはあの男によく似た顔立ちだが、お母様譲りの柔らかな茶髪に若葉色の瞳。
いまだ子供である事とその色彩のおかげか、あの男に程の冷たい雰囲気はない。
ただ、トゲトゲしい空気を纏い、私を睨みつけて来ている。
「ディールだ。関わるつもりはないから、近づくな!」
きっぱりと高い声で、ディールは言い切る。
お母様は、ディールの言葉に戸惑い、微かだが怒っているようだ。
それでも、彼を叱れないのは、あの男が隣にいるせいだ。
あの男は、女性というものが好きではない。
むしろ、嫌いだ。特に、男のする事に口出しする女が。
だから、あの男はお母様と婚約した時から、お母様に宣言をしてる。
『子供にも自分にも、必要な時以外関わるな』
と。
お母様は、残念ながらあの男よりも身分が低く性格も大人しめだから、あの男に逆らえない。
と、彼らを見ながら記憶を振り返っていたが、内心で首を振る。
今のこれは、あくまで私の記憶に過ぎない。
事実として正しいかどうかなんて、今日会ったばかりの私には分からない。
先入観は、益をもたらさない。
記憶と現実を混同しては、ならない。
今は、とにかく今の場から得られる情報を、出来るだけ記憶しないと。
長男ディールが、挨拶ーあれを挨拶とするならーをしたなら、当然次は次男である。
「………ラウディ」
視線を向ければ、しばしの沈黙のあと、ぽつりと名前だけ告げられた。
容姿端麗なお母様とあの男から、更に良いところばかりを取った彼は、幼さもありまるで天使のよう。
キラキラと光を受けて輝くあの男譲りの銀髪に。お母様譲りの若葉色の瞳。
けれど、彼の表情は虚ろで、目は私でなく、見えない何かを見ている。
彼に対して、お母様は心配そうな表情をしてる。
けれど、声は掛けられない。
だから、あえて重たい空気を無視する。
「ありがとうございます。改めまして、私はルーリェンです。どうぞ、よしなに」
無愛想なディールにも私を見ていないラウディにも、にっこりと笑い掛ける。
それに、彼らが何を感じたのか、私には分からないけど。