爽快感
今日はとても気分が晴れやかだ。今までの鬱憤を晴らす事が出来たからかもしれない。
ここ数年生きてきて、こんなにも気持ちが晴れた事はあっただろうか。
今まで、沢山の人と出会ってきた。人生に絶望している人。毎日が楽しいと豪語する人。早く転職したいと言い続ける人……
もうこんな年齢にもなれば、自分自身の性格や興味も固まってくる。男の趣味もだ。若い内は、様々な男と付き合って、別れての繰り返しであった。その繰り返しの中で、自分と向き合い、こんな性格でも良いんだと思えるようになった。
エレベーターの中の鏡を見つめる。頭の中はすっきりしているが、眩暈がひどい。頭痛まで催している。エレベーターが動く度に、その振動が体内の臓器を揺さぶり、吐き気まで誘う。
立っている足元がふらつく。床に視線を落とす。元々は白色で、綺麗な花のデザインが刺繍されていた靴は、もう日々の汚れからか、薄汚れ茶色に近い色へと変色していた。
こんな薄汚れた靴は私には似合わない。
そう思うが否や、その場で脱ぎ捨て、エレベーターの壁に投げ付けた。
こんな靴を見つめていたら、せっかくの気分が台無しになる。靴を投げ捨てた後、掴んでいた右手を服の裾で拭いながら、ふと、今日の思い出を頭の中で反芻する。
今日は彼と久しぶりにデートをした。遊園地では、ジェットコースター、観覧車、お化け屋敷等定番のスポットを巡った。その後は、夕食を一緒に取り、彼と今の職場や人間関係について話をした。
久しぶりに会った効果もあるのか、彼は嫌な顔一つせずに私の話をただただ黙って聞いてくれた。終始、口元に笑みを浮かべ、眼を細めていた。
先程、手元を拭った服も彼からのプレゼントだ。彼を喜ばせる為に、今日着て行った。確か、私を一目見てすぐに褒めてくれた記憶がある。
すぐに嘘だと分かったが。
彼は嘘をつく時は、必ず右眼を閉じる癖がある。本人は気付いていない。私だけが知っている。
その癖に気付いた時は、とても悔やんだ。嘘をつかれる度に、胸に風穴を開けられる感覚へと陥る。
思い切って、彼に癖について話そうとも考えた。しかし、伝えてどうする?その癖を治されると困るのは私ではないか?と自問自答の日々が続いた。
手元を拭った服の裾も汚れている。靴と同じように茶色に近い黒色のシミのような物が付着している。
せっかく貰ったプレゼントなのにと、頭の中で思いながら、再度エレベーターの鏡を見つめる。
先週、金髪に染めたばかりの髪が、エレベーターの照明に照らされて、艶を発している。薄く引いたアイラインは、大量の汗をかいた為か、すでに落ちかけていた。
すっきりとした脳内に似合わない疲れ切った顔がそこにはある。ついつい、溜息が出そうになる。顔色も悪い。またエレベーターが動き出す。吐き気が襲ってくる。
軽快な音を立て、エレベーターの扉が両側にスライドして開いた。学ランを着た学生が乗り込もうとする。
しかし、私の姿を見た瞬間、顔が一気に青ざめていった。私は鏡越しに怪訝に思う。
今は靴を脱ぎ捨てただけで、そこまで気分を害する事は無いのではないかと、内心で強く思った。
学生の表情は更に悪くなる。口元を手で押さえ、こみ上げる吐き気を懸命にこらえているように見える。
その姿を見て、思い当たる。今日は香水を多くつけすぎていた。きっと、その匂いがエレベーター内に充満しているのだろう。学生はまだ若い。女性の経験も少ないような顔立ちだ。香水の独特な香りに慣れていないのだろう。
悪い事をしたと思い、振り返り学生に謝罪の言葉を述べようとする。
もう学生の姿は無かった。閉じられたエレベーターの茶色いドアだけが目の前にある。
謝罪ぐらいさせて欲しかったと内心で毒づきながら、鏡のほうへと向き直る。
これからどうしようか。今なら何でも出来そうな気分だ。そうだ。明日は新しい服や靴でも買いに行こう。
今は両方とも薄汚れてしまったから、デートに着て行ける服や靴が少なくなってしまった。
デパートはどこにしよう。先週行ったあそこがいいかな。
顎に右手を添え、考え込む。すると、またエレベーターのドアがスライドして開いた。
頭に帽子を被った警察官の姿が鏡越しに見えた。
驚いて振り向く。
すぐに警察官が二人がかりで私の両腕を抑えると、両手首に手錠をかけた。これでは動けない。
訳も分からず抗議の声をあげようとする。
ただ靴を脱ぎ捨てて立っていただけだ。警察に通報される覚えは無かった。
私は疑問に思いながらも、声をあげようとする。無理矢理振り向かされたせいか、足元のぬめりで滑りそうになった。
ぬめり?
首を傾げ、足元に眼をやる。腹部から滴り落ちている血で血だまりが出来ていた。
その血だまりを見て、今までの爽快感の理由が判明した。
彼と夕食に行った後、一緒に彼の部屋に向かった。部屋の中で、話していると彼が鏡越しに右眼を閉じながら、今は浮気していないと言った所までは覚えている。
気付いたら手に持った包丁で彼を突き刺していた。日頃の鬱憤が爆発したのだろう。もちろん、反撃をされ、亡くなる間際に腹部を刺されたのは痛かったが。
警察官に連行される。
もうこんな爽快感は二度と味わえないんだと落胆しながら、血の足跡を残し、エレベーターから外へと出て行った。
何故か脳裏に、鏡越しに右眼を閉じていた彼の表情が浮かんで、すぐに消えた。
今回は趣向を変えてみました。




