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スマホからのお説教

作者: まつだつま

 カフェの入口に立ち、スマホで時間を確認した。待ち合わせの時間に五分遅れていた。

「もっと遅れてもよかったけどな」

 俺はそう呟いてから、自動ドアをくぐった。冷えた体が暖まっていく。

「いらっしゃいませ」

 店員の声が響いた。

 三十席程度の店内をグルリと見渡した。一番奥の席で俯いて座っている美咲の姿が確認できた。

 美咲は俺に気づいてない様子だった。

「フン」と鼻を鳴らして、レジでホットコーヒーを注文した。コーヒーが出来上がるのを待つ間、振り向いて美咲の方を見たが、俯いたままで、俺に気づいていない様子だった。

「フン」もう一度鼻を鳴らした。

 コーヒーを持って美咲の座る席へと向かった。美咲の座る席の横に立ったが、美咲はまだ俯いていた。気づいてないのかわざとなのかわからない。コーヒーをテーブルにコンと置いた時にやっと美咲が顔を上げた。

「おお」

 俺は睨めるように美咲を見て不機嫌な声を出した。

「ごめんなさい」

 美咲がペコリと頭を下げた。

 俺は椅子に腰掛けてからも美咲を睨み続けた。


「だからさ、なんで遅くなったかを訊いてんの」

 俺はテーブルを手のひらでバンと叩いて、前に座る美咲を睨み付けた。目の前のコーヒーがビックリしたように揺れた。美咲の後ろの席に座る二人組の女が俺の方に冷やかな視線を向けてきた。俺が女たちを睨むと、彼女たちはすっと視線をそらした。

「ごめんなさい。新年会の二次会に誘われて断れなくて」

「ふーん、それにしても帰る時間遅すぎだろ」

 俺は腕を組んで椅子の背もたれに体を預けた。

「うん、あっという間に時間が過ぎちゃって、気がついたら十一時まわってて、裕太に電話しようかと思ったけど、寝てたら悪いし、今日の朝でいいかなって思って……」

 美咲の声はだんだん小さくなり最後は聞き取れなかった。

「はぁー、ムカつくなぁ。俺、何回も電話したんだからな。なのに、まったく出ないし」

「二次会がすごく盛り上がって全然気づいてなかったの。ほんと、ごめんなさい」

 美咲が膝に手を置いて額がテーブルに当たるくらい頭を下げた。


 今日は婚約者の美咲と映画に行く約束をしていた。今は待ち合わせ場所のカフェに来ている。

 しかし、楽しいはずのデートは険悪なムードでスタートしていた。こうなったのはすべて美咲のせいだ。

 昨日の夜、今日のデートの待ち合わせの時間と場所を決めておこうと何度も美咲に電話したが、美咲が電話に出ることはなかった。職場の新年会があると聞いてはいたが、帰宅が午前様になるとは思ってもみなかった。そんなことはこれまでに無かったので、昨夜は腹が立ってほとんど眠れなかった。今日のデートは中止だと決めていた。

 結局、今日の朝になって、美咲から電話があり、このカフェで待ち合わせすることになった。電話があった時デートは中止だと言って、そのまま電話を切ってやろうと思ったが、とりあえず美咲の顔を見て怒りをぶつけないと気がおさまらなかったので、待ち合わせ場所のこのカフェまで来ることにした。

 カフェに着いたら、美咲はすでに肩をすぼめ俯いて座っていた。

 

「二次会は誰かに誘われたのか?」

「うん、翔子に誘われたの」

「ほんとかよ」

「本当よ」

「ふん」俺は鼻を鳴らした。

「翔子がわたしが結婚したら飲みに行く機会も減るだろうから、今回は一緒に二次会まで行こうって誘ってくれたの」

「あの係長に誘われたんじゃないの」

 俺は美咲が以前尊敬していると言っていた係長に誘われたのではないかと疑った。美咲が自分の職場の話をする時にその係長の話題がよく出てきた。イケメンで優しく、仕事も出来ると目を輝かせて話していた。俺はそれが気にくわなく、聞く度に機嫌が悪くなった。そいつは美咲を狙っている。そして美咲もまんざらではないんじゃないかと疑っていた。

「係長って、森脇係長のこと?」

「そう。係長のこと尊敬してるって言ってただろ。それで誘われてノコノコついてったんじゃないの」

「違うよ。森脇係長は関係ないし」

「怪しいな。二人だけの二次会だったんじゃないのか。だから、俺の電話に出れなかったんだろ」

「違うよ。信じてよ」美咲の声が破裂した。

「信じられっかよ」俺はまたテーブルを叩いた。

「電話に気づかなかったことと、遅くなったことは謝る。ごめんなさい。けど、わたし、やましいことはしてないからね」

 美咲の眉間に皺が入っていた。

「はぁー、とりあえずさぁ。結婚したら仕事辞めろよ」

「えっ、うそ。結婚してからも仕事続けていいって言ってくれたじゃない」

「昨日で気が変わった。結婚したら仕事は辞めろ。それが嫌なら結婚は中止だ。婚約破棄だな」

「そ、そんなぁ。勝手すぎる」

「うるせぇな。お前が悪いんだろ。仕事辞めるか結婚やめるか、どっちかだ。お前に決めさせてやるよ」

「そんなの決められないわよ」

「俺とあの係長のどっちを選ぶかだよ」

「そんなの比べることが変じゃない。めちゃくちゃよ」

「どうせ、俺はめちゃくちゃだよ。けど、今回はお前が悪い」

「もーっ、どうしてそんなこと言うのよ」

「じゃあ、俺、帰るわ」

「えっ、今日これから映画観に行く約束じゃない」

「そんな気分じゃねぇよ。一人で行ってこいよ」

「前売り二枚買ったんだよ」

「じゃあ、お気に入りの係長でも誘って行ってこいよ」

 冷めたコーヒーを飲み干しコーヒーカップを叩きつけるように置いて、そのまま席を立った。

「うそでしょ」

 美咲の目に涙が浮かんでるのがわかった。ふん、ざまあみろだ。

「じゃあな」

 両手をポケットにつっこんで、カフェを出て早足で駅へと向かった。

 帰りに駅前のコンビニにでも寄ってビールとおつまみでも買おう。昼間っからビールでも飲んでやけ酒だ。うん、それがいい。

 けど、帰るまでにきっと美咲から連絡があるだろう。

『ごめんなさい。仕事は辞めます。結婚して下さい』

 そう言ってきたら、その時には許してやろう。部屋に呼んで映画のかわりにいっしょにテレビでもみて、二人でゆっくりワインでも飲みながら過ごせばいい。

 駅に着いたが、まだ美咲から連絡はなかった。すぐに電話かメールが届くと思っていたが、その気配はなかった。

 まぁ、いい。駅で電車を待っているくらいに連絡してくるだろう。俺は駅の改札を抜けた。電車はタイミングよく、すぐにホームに入ってきた。乗り込む前にもう一度スマホに視線を落とした。

「ハァー」とため息が出て、スマホをポケットに放り込んだ。

 電車に乗ってから何度もスマホをポケットから取り出したがスマホは沈黙を続けていた。

 せっかく許してやろうと思ってんのにと思うと、だんだん怒りが増してきた。イライラしながら俺の方から美咲に何度もメールを送った。

 自宅の最寄り駅につき駅前のコンビニまで来たが、まだ美咲から何の連絡もない。コンビニで缶ビールやおつまみなどを適当に買った。一応、ワインも買っておいた。

 コンビニを出て信号を待っていた。待っている間もスマホを見た。

「クソー、なんなんだよ」

 だんだん怒りが頂点へと達していく。本当に係長と映画行ってんじゃないだろうな。

「ハァー、いい加減にしろ」

 もう一度、こっちからまたメールを送ることにした。

「これが最後だぞ。このメール無視したら本当に別れるからな」

 ブツブツと呟きながらメールを打った。

 視界の端で車道の信号が赤に変わるのを確認し、メールを打ちながら信号を渡ろうとした。

『おい、コラ、歩きスマホは危険やで。すぐにやめんかい』

 どこかから変な声が聞こえた。


 美咲と知り合ったのは三年前だった。高校の同級生だった相川健吾の彼女の友達が美咲だった。美咲を見た瞬間に俺の心臓は激しくときめいた。彼女を幸せにしたい、そんな気持ちになった。彼女の連絡先を教えてもらって何度も誘いの電話やメールをした。

 デートを何度か重ねたが、なかなか告白する勇気はもてなかった。美咲は美人で性格もいい。美咲に好意を持つ男はたくさんいるだろう。背が低くてイケメンなわけでもない、なんの取り柄もない。そんな俺なんかと美咲が釣り合うはずはない。そう思っていた。

 告白してフラれて傷つくより、そのまま黙って諦めようと思っていたが、相川から『好きなら告白しろよ、向こうもまんざらじゃないみたいだぜ』そう言われて思いきって美咲の誕生日にプレゼントを持って駅で待ち伏せし告白した。

 プレゼントを渡し告白した後、美咲はしばらく口を開くことなく、俯いていた。その数秒の時間がすごく長く感じ、胸がはち切れそうだった。

 美咲が顔を上げて、俺の目をじっと見つめ『はい、喜んで』という言葉を聞いた瞬間に、俺の体を流れる血液が逆流した。その場で気を失うかと思った。


 結局、自宅に着いてからも美咲からの連絡はなかった。イライラしながら缶ビールのプルトップをあけ、喉を鳴らした。

「うまくない」

 缶ビールといっしょにコンビニで買ってきた焼鳥やポテチの封を開けて食べようとした時にやっとスマホがテーブルの上で『ブーン、ブーン』と音を立てた。

「やっとかよ」

 すぐに出るのはシャクなのでビールを一口飲んでからテーブルで暴れるスマホに手を伸ばした。

 美咲からだと思って画面を見たが、そこには『わし』と表示されていた。美咲からではなかった。

「誰なんだよ?」

『わし』と言う名に心当たりはなかった。

 俺はスマホの電話帳登録の名前をあだ名にしている人物が数人いる。

 お笑いタレントの『タカ』に似ているので『タカ』という登録名にした男はいるが、『わし』で登録した人物の記憶はない。あれこれと記憶の糸を辿りながら、気落ちしたままスマホの画面を眺めていた。その間、スマホはずっと鳴り続けていた。


 美咲の登録名は何度か変えた。出会って連絡先を交換した時は、すぐに『山川美咲』と登録した。美咲の誕生日に告白して『はい、喜んで』と返事をもらった日の夜に、心を弾ませながら『美咲』に変えた。その後、他人に言うのは恥ずかしいような登録名にしたこともあった。そして、婚約した日に美咲の登録名を『嫁』とした。


 結局、『わし』という記憶に辿り着かないまま、とりあえず鳴りやむことのないスマホに出ることにした。

「もしもし」

 声を潜めて出た。

「あー、わしや、わし」

 相手は勢いよく話しかけてきた。心当たりがないので、間違い電話だろうと思った。

「すいません、どちらにおかけですか」

「どちらにてお前にやないか、自分、中本裕太やろ」

「あっ……はい、……中本裕太ですが……」

 電話の相手が誰なのか全く見当がつかなかった。しかし相手は俺の名前を知っている。がさつな感じだし、面倒なことに巻き込まれるのではないかと不安になった。

「失礼ですが、どちら様でしょうか」

「わしか? 名乗るほどのもんやないしな、今日は自分にクレームつけよ思うてな。まあ、その内容聞いてくれたら、わしの正体すぐにわかると思うわ」

「ク……クレームですか……」

 やっぱり面倒なことになるのか。俺は記憶を辿ったが、仕事でも私生活でもクレームをつけられるようなことは思い浮かばなかった。

 もしかして、美咲の知合いなのかもしれない。美咲には別の男がいて、その男からの電話ではないだろうか。

 例の係長が頭を過った。会ったことはないが美咲に職場の写真を見せてもらったことがある。背が高くてダンディな感じで、いけ好かないタイプだ。写真には男女十人くらいが映っていたが、そいつは美咲の隣に立っていた。それを見てムカついた。

 ただ、写真で見たイメージとこの電話のガサツな声の感じは合わないなと思った。


「そんなに緊張することないで、リラックスしてや」

「は、はあ」

 電話の相手が誰かわからない上にクレームだと聞いて、リラックスできるはずがない。

「わしを握る手に力入り過ぎやねん。窮屈やからちょっと軽く握ってくれる。自分の手は汗でビショビショやし、もしかして自分ビビってるんか」

 言っている意味が全く理解出来なかった。

「全く意味がわからないんですが。名前くらい名乗ったらどうですか。あなたは美咲にちょっかいを出している美咲の職場の人でしょうか。俺は、そんな人からクレームを言われるようなことはしていません」

「ハハハ、おもろいこと言うなぁ。そういうとこも、自分のあかんとこやけどな」

「人をバカにするのはやめて下さい」

 だんだんと腹がたってきた。

「それそれ、そういうすぐカッとなるとこはなおした方がええな」

「そちらが怒らせるようなことしてるんじゃないですか」

「まっ、そうかもしれんな。とりあえず謝っとくわ、すまんなー」

 完全に俺をバカにしている。

「なんなんですか。こっちがクレーム言いたいくらいですよ」

「そうかいな。どんなクレームや。聞いたるから言うてみ」

「いいですよ。それより、そっちのクレームって何ですか」

「わしのクレームちゅうのはな、わしを充電しながらゲームしたり、メールするのをやめてほしいんよ。それってめちゃくちゃ疲れるんよ」

「はぁ……、充電?」

 こいつは何を言っているんだろうか。まったく意味不明だ。

「そうや、充電の時や、自分、ようゲームするやろ」

「ゲーム?」

「そうや。わしを使ってゲームするやろ。わしの電池が無くなってんのに充電しながらでもするやろ。それをやめてほしいんや」

 まさかとは思ったが、この電話の相手は、このスマホ自身なのだろうか。いやそんな事があるはずがない。

「まず、あなたが誰なのか名乗って下さい。それから、あなたのクレームを聞きます。でないと電話切りますよ」

「わしが誰かもうわかってるやろ。まさかと思ってるみたいやけど、そのまさかやで」

 本当にこの電話の相手はスマホ自身なのか。俺は一旦、スマホを耳から離して、スマホを見た。特に変わったところはなかった。

「本当にあなたは、このスマホなんですか?」

「そうやで、話したらすぐわかる言うたやろ。わしは、あんたが今手に握ってるスマホやで」

 信じられない。絶対にイタズラだ。

「イタズラはやめて下さい。電話切りますよ」

「嘘みたいやけど、ほんまなんやな」

「信じられません」

「信じろや。信じる者は救われるやで」

 信じられないが、このままでは前に進まないので、とりあえずこのわけのわからない奴に合わせることにした。

「スマホって関西弁なんですか?」

「わしは関西出身やからな、関西弁は嫌いかいな」

「いえ、俺も関西に住んでたことありますし、お笑いが好きなんで関西弁は嫌いじゃないです」

「そうか、そりゃ良かったわ」

「あなたのことを『スマホさん』と呼べばいいですか」

「呼び方なんて何でもええけど、『スマさん』にしとこか」

「じゃあ、スマさん。スマさんは充電の時にゲームやメールをやらないでほしいということを伝えるためだけにわざわざ電話してきたんですか」

「クレームは、それだけやあらへん。まだまだよーさんあるんや。けどな、自分、今の言い方やと充電しながらゲームやメールくらい、ええやないかと思ってるんやろ」

「まあ、それくらいでクレームの電話しなくてもいいのにとは思いますけど」

「やっぱりわかってくれてなかったんやな。自分、今から焼鳥やポテチでも食べながらビール飲もうと思てたんやろ。それ邪魔されたから機嫌悪いんちゃうか」

「別にそれだけじゃないですけど、機嫌が良くないのは確かです」

「そしたら、遠慮せんと食べながら、わしの話聞いてくれたらええで」

「じゃあ、遠慮なく食べますね」

「おー、食べながらきいてくれ。けどな、それ食べながら腹筋と腕立て伏せをやれ言われたら嫌やろ」

「嫌に決まってるじゃないですか、食べた物を吐いてしまいますよ」

「そうやろ、嫌やろ。しかしな、充電しながらゲームやメールするちゅうことは、わしらにそういう事やらせてるねんで、自分、わかってるか? 充電ちゅうのは、わしらにとっての食事なんや。食事中にゲームやメールやられたら、わしらの体が変になってしまうわ。わしらに、そんなこと、やらせておきながら、電池の持ちが悪くなったやら、充電遅くなったやら、文句ばっかり言うやろ。わしらも大変なんやで」

「わかりました。これからは気を付けます。じゃあ切りますね」

 美咲から電話かメールが来るかもしれないのに、こんなわけのわからない電話に付き合ってられない。早く終わらせようと思い、クレームを素直に受け入れることにした。

「美咲ちゃんからの電話やメールが気になって、わしの電話を早く切りたい思ってるんやろ。心配せんでも、美咲ちゃんからの連絡があったら教えたるわ。まぁ、残念ながら、ゼッタイに、無いけどな」

『ゼッタイに無い』と強調して言ったのが気になった。

「何で美咲からの連絡が絶対に無いと言い切れるんですか」

「ハハハ、そのうちに自分にもわかるわ。喧嘩したくせに、連絡無かったら不安なんかいな」

「美咲から詫びの電話があってもいいかなと思ってただけです」

「残念ながら無いわ。悲しいけど無いわ。ゼッタイにゼッタイにゼッタイ無いわ。自分から電話して謝っとけば良かったのにな」

 美咲から絶対に連絡がないと言われて、こいつの言う通り電話しておけば良かったと少し後悔した。

「話変わるけど、自分はロリコンやな」

「えっ、何ですか急に」

「よう、アイドルの画像を検索して、アイドルの水着姿に鼻の下のばしてるやろ。その時、わし笑うてしまいそうなるねん。もっと過激なやつ見てる時もあるしな、ほんまスケベな男やな」

「男なら、それくらいはあるでしょ。そんな話はどうでもいいじゃないですか。他にもクレームがあるんじゃなかったんですか」

「美咲ちゃんは可愛いしな。わし、美咲ちゃんのスマホになりたかったなぁ。そしたら『スマさん』やなくて『スマ様』とか呼ばれて幸せやったのになぁ。こんなスケベなロリコン男のスマホに生まれてわしも不幸やったわ」

 わけわからないし、ムカつくスマホだ。投げつけて壊してやろうかと思ったが、結局、スマホが壊れたら自分が損するだけだと冷静になった。

「そんな話ばかりなら、電話切りますよ」

「あかん、あかん、これからもっと大事な話があるんや。実はこれからが本番やで。わしは自分のためを思って電話してるんやで、そやのに、自分の態度ちょっと悪過ぎなんちゃうか」

「そっちの態度が悪いんでしょ」

 俺はイラついていた。このスマホを壊して新しいのに買い換えてもいいと思いはじめていた。

「そう慌てんな、これからの話は、自分にとって大事な話やからな、心の準備が必要や思うてリラックスさせてやったんや」

「……」

「なんや、無視かいな。そしたら大事な話するで」

「……」

「気持ちの準備はいい?」

 スマホはさっきまでとは違う言葉遣いで透き通るような美咲の声に変わっていた。本当に大切な話でもするのだろうか。

「あっ、うん。大丈夫」

 俺は少し緊張した。少し沈黙があって耳を澄ませた。

「美咲ちゃんの声やと、ちょっと緊張感出たやろ。自分も聞く姿勢が出来てたわ。それでよろしい。そやけど自分が真剣に「うん。大丈夫」て言うのは、なんか似合わんな。笑うてまうわ。自分はロリコンのイメージが強いからな。ハハハ」

 スマホは元の声と話し方に戻っていた。

「何なんですか、ふざけないで、さっさとして下さいよ。ただでさえ美咲と喧嘩して俺は機嫌悪いのに、いい加減にしてください」

「カリカリしても、ええことないで。今から話すクレームは、その喧嘩にも関係あるんやで」

「美咲との喧嘩に関係あることですか」

「そう、それはやな自分の美咲ちゃんに送るメールの内容にクレームやねん」

「俺の送るメールにですか?」

「そうや、自分の最近のメールの内容が酷くて、わしは頭痛くなってんねん。汚い言葉、打ち込まれて送信せなあかんわしの身になってほしいんや。苦しくて悲しくて、わしスマホを辞めたいと思うてたんやから」

「どういうことでしょうか?」

「どういうことって、自覚無いんかいな。自分、頭悪いんちがうか? メールの内容が酷い言われてピンとこえへんか」

「俺のメール、内容が酷いですかね?」

「ああ、そうや。最近は特に酷いで、言葉が汚すぎるねん。教えよか」

「あっ、はい」

「例えばやな『もう、うんざりだ』『お前のせいだろ』『嫌なら別れようぜ』『俺の方が大変なんだよ』『それくらい我慢しろよ』、まだまだあるけど、わしも言いたくないからな、これくらいでええやろ。自分の悪い頭でも、これで理解できるやろ」

「確かに美咲にそんなメールを送ってましたね」

「そやろ、それをやめてほしいねん。昔は、そんな言葉つかってなかったから、わしも心地良かったわ」

「そうでしたっけ?」

「そうやで。昔はな『体は大丈夫か』『俺に任せておけ』『いつでも力になるから』『心配するな』、みたいな言葉が多かったな。自分みたいなロリコンスケベ男でもかっこよく思えたけどな」

 言われてみれば、美咲へのメールの内容は変わってしまったかもしれない。

「わしの体が、かゆくなるような時期もあったけどな。美咲ちゃんと付きあいはじめた頃は『君の事で頭の中がいっぱいだ』『君は僕の太陽だ』『僕は君を幸せにする為に生まれてきたんだ』、みたいなメールばっかり送ってたやろ。どの面下げて言うてんねん思うたけど、それはそれで面白かったわ。けど今は酷いだけ、面白くもないわ」

 俺は恥ずかしかったが、さすがに俺のスマホだけあって、メールの内容は間違いなかった。

「そうですね、おっしゃる通りです。これからは酷い言葉に気を付けます」

 しばらく沈黙があり、スマホが一言だけ「ああ」と言った。

 明らかに声のトーンが低くなって元気がなかった。俺はまた悪ふざけかと思った。

「けど、もう遅いねん。今さらどうしようもないわ。このことをもっと早く自分に伝えとけばよかったわ」

 声のトーンは低いまま元気がない。美咲からは絶対に連絡はないと言い切ってたし、今さらどうしようもないと言うし、俺は不安になった。美咲はもう戻ってこないのかもしれない。

「スマさん、どうしたんですか? 元気ないですよ。今さらどうしようもないって、何でそんな弱気なこと言うんですか。教えてくださいよ」

「あせらんでもええがな。自分には話しておかなあかん事やからこれから話すわ。ただな、今度は、わしの心の準備が必要なんや。これからがほんまの大事な話やからな」

 スマさんの声はふざけた様子もないので、俺は息を呑んだ。

「自分、今日のこと覚えてるか? 美咲ちゃんに酷いこと言うてデートの途中で帰ってしもうたこと」

「はい、覚えてます。美咲が昨日遅くなったことを言い訳するので腹が立って、デートの途中で帰ってしまいました」

「帰り道に怒りながら美咲ちゃんにメールしてたわな? さっき言うたような酷いメール送ってたわな。送る方のわしの身にもなってや。自分のわがままなメール送るんは、心苦しかったわ」

「美咲が会社の飲み会で帰りが遅いから注意しただけですよ。それを言い訳するから結婚か仕事か選んでくれって、それだけです」

「何がやねん。それって、ただ嫉妬しとるだけやないか。係長と浮気してるやろとか、そんな飲み会ある会社は辞めろとか、辞めないなら婚約破棄やとか、そんなことばっかりメールしてたよな。自分は何様や思うてんねん。自分は本物のバカやねんで、ただのロリコンスケベ男やねんで、それわかってるか」

「確かに飲み会で遅くなって連絡してこないから、嫉妬したかもしれません。ちょっとカッとなってメールしてました。それは反省してます」

「反省しても、もう遅いわ」

「えっ」

 もう遅いってどういうことだろう。

「それからな、どこでメールしてたんや?」

「帰り道ですけど」

「それも問題やねん」

「何でですか?」

「自分、歩きスマホしてたやろ。それが問題やねん」

「歩きスマホはマナー違反なのは、わかってますが、みんなやってますよ」

「みんなやってるとか、そんなん、どうでもええねん。相変わらずわからんやっちゃな。自分覚えてへんみたいやから教えたるわ」

「何のことかわかりません」

「よう聞きや、ほんま大事な話やで」

「はあ」

「自分、コンビニで買い物してから信号待ちでメールしてたよな」

「あっ、はい、そうでした」

「その時、まだ信号青に変わってへんのに、メールに夢中で渡りはじめたやろ」

「そうでしたっけ。青になってから渡りましたけど」

「いいや、まだ赤やったんや。メールに夢中で信号を見てなかったんや」

「はっきり覚えてません」

「あのトラックも信号が黄色から完全に赤に変わってたから、とまらなあかんかったけどな。自分も全く気付いてなかったもんな。トラックも突っ込んできてたからブレーキ遅れたしな。そうなったら、わしには、どうしようも出来ひん。歩きスマホやめろ言うたけど間に合わへんし、自分とトラックの間に入って助けよ思うたけど、わしなんか簡単に吹き飛ばされて、バキバキに割れてもうて、わしは再起不能になったわ」

「あっ……」

 俺はスマホを強く握りしめた。思い出した。鼓動が激しくなった。

 コンビニを出て信号待ちしながら美咲に怒りのメールを打っていた。車道側の信号をチラッと見たら赤になっていたので、メールを打ちながら渡りはじめた。

『おい、コラ、歩きスマホは危険やで。すぐにやめんかい』

 空耳だと思った。

 あの時、顔を上げたらトラックが俺に突っ込んできていた。

「ウワー」と叫んだ時にスマホが手から離れていった。

「ちょっとは思い出したようやな。自分、歩きスマホしてたからトラックが突っ込んで来てんのに気づかんから、はねられたんやで」

「そうだったんですか」

 トラックが俺に向かってくる時のことを思い出した。その後、どうなったんだろう。そして、今はどういう状況なのだろうか。

「自分は今、病院のベッドの上や。命は助かりそうやからよかったけどな」

「スマさん、あなたはどうなったんですか?」

「わしか? さっきも言うたやろ、バキバキに割れて再起不能や」

「えっ……」

「それでやな、もうわしに来たメールは自分、見られへんからな。あの時、美咲ちゃんが最後に送ってきたメールを伝えとかなあかん思うてんねん」

「あの後、美咲からメールがあったんですか?」

「あったよ、美咲ちゃんは、ええ娘やな。絶対自分みたいなバカにはもったいないわ。今からそのメールの内容読むからな。もちろん、わしの声やなしに、美咲ちゃんの声で読んだるからな、目瞑って聞いとき。これがわしの最後の仕事や」

「はい……」

 俺はスマさんに言われた通りに目を閉じた。しばらく沈黙があって、それから心地よい透き通るような美咲の声が聞こえてきた。

『裕太さん、昨日の新年会で帰りが遅くなって本当にごめんなさい。でも、裕太さんが思ってるような浮気とかでは絶対にありません。それは信じて下さい。裕太さんは仕事か結婚かどちらか選べって言うけど、ごめんなさい、それは無理です。仕事は結婚してからも続けたいです。仕事と裕太さんのどっちが大切かと言うと、間違いなく裕太さんです。裕太さんと結婚したいです。結婚して裕太さんの子供を産みたいです。その後は裕太さんと子供と幸せに暮らしたいです。仕事は続けさせて下さい。そして結婚して下さい。お願いします』

「……」

「以上や、ほな、お幸せに」

 目を開けると白い天井が見えた。蛍光灯の灯りが眩しかった。頭の下には枕がある。俺はベッドに横たわっているようだ。一体ここはどこだ、と起き上がろうとしたが体が動かない。首だけ動いたので、持ち上げて周り見渡した。見覚えのある顔がスーッと目の前に飛び込んできた。母親の顔だった。

「あー」

 母親の裏返った声が俺の耳元で響いた。母親は目を大きく見開き俺の顔をじっと見ていた。

「ああ、母さん」

 声は出にくかったが、母親には届いたようだ。母親の目から大粒の涙が俺の頬に落ちた。

「裕ちゃん、お母さんよ、わかる?」

 顔をぐしゃぐしゃにしている母親を見て頷いた。

「裕ちゃんの意識がもどったわぁ」

 母親の声が部屋に響いた。もう少し顔を上げて周りを見渡した。母親の隣に父親が立っているのが見えた。母親は父親の肩に顔を埋めた。父親を見ると、口を真一文字にして震えているようだった。俺の顔を見て「よかった」と震える声を出して、何度も小さく頷いていた。

 父親の後ろにもう一人、誰かが立っているのが見えた。俺は首をずらして、そっちに視線を向けた。

 美咲だった。俯いているので、はっきり顔が見えない。手にハンカチを握りしめているのが見えた。

 美咲の顔を見ようと、少し体を起こしてみようとしたが動かない。

 父親が気をきかせてくれ、自分が後ろに下がり、美咲の背中に手をやり俺の方へと押し出してくれた。

「美咲」

 俺が声をかけると美咲は声をあげて泣き出し、両手で顔を覆った。

 しばらく美咲が泣いている姿を見ていた。俺はスマさんの言葉を思い出していた。スマさんの言う通り、俺ってバカだなと思った。

「美咲」もう一度呼んだ。

 美咲は泣くのを堪えて、息を整え俺に向かって「ごめんね」と震える声で言った。

 今度は俺が泣きそうになった。俺も声を出して謝ろうと思ったが泣き出しそうなので、首を横に振るだけにした。

 美咲の顔は化粧っ気もなく、髪の毛はボサボサだった。泣いていたせいだろう顔は腫れていた。

 しかし、これまで見てきた美咲の表情の中で一番、いとおしく可愛い表情だった。

『自分、感謝しいや』

 遠くでスマさんの声が聞こえた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 凄く面白かったです。 なんの気なしにすいすい読めて、こういう展開だったんか~と納得して、後味がじんわりとハートフル。 スマホからのただの説教で終わるかと思った私(読者)側の思い込みが実は………
2018/08/03 21:18 退会済み
管理
[一言] 文章も読みやすく、面白かたったです! 主人公が彼女と喧嘩した理由も、結局は嫉妬の部分が大きいというのも共感します(TT)
[良い点] 感動しました。 機械の使い方と人間関係の重要さを同時に書くなんて...。 素晴らしいです。
2018/02/05 08:54 退会済み
管理
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