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生け贄の神子と華劇を  作者: 犀島慧一
第一章 神初めの儀
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 あの後ウィル殿は、我が家で濡れたタオルを借り、運良くその場に居合わせた兄上が父上に交渉へ向かい今に至る。

 我が家の夕餉に、神子様同席である。

「申し訳ありません。何から何まで」


 瞼が少々腫れているけれど、完全に持ち直した神子はゆっくりと謝辞を述べた。彼の背後には昼間の従者とは違う赤い髪の女性が立っている。


 一度見たら忘れない鮮烈な赤の長髪を後ろにまとめ、少し垂れ気味の瞼はつり上がり、長めの前髪から覗くのは金色の瞳。その女性と黒髪黒目のサミが並んで立つと何故か様になる。纏う雰囲気が似ている、というのもあると思う。

 私とウィル殿は背後に彼女たちがいるせいか、先程から謎の緊張感に見舞われている。彼は流石のポーカーフェイスでおくびにも出さないけれど、何となく考えていることは同じという勘があった。


「泣いている者へ手を差し伸べることが我が家の家訓ですから」

 父上が十字の傷が刻まれた厳めしい顔を緩ませ、穏やかな声音でウィル殿に語りかけている。二方からの(ただし父は外見のみ)圧迫に彼の心が平静でいられるか冷や冷やしたけれど、そこは場慣れしているというか、落ち着いて朗らかに対応しており要らない心配であったと察した。


 この場には父上と兄上、私と神子様が同席している。父の隣に母はいない。数年前に亡くなり、以来空いたままの席。今後埋まる予定もない。それを見ながら、少し残念に思えるのは彼女であれば神子様にもっと適切な言葉が掛けられたのではないかと思えてしまうから。


 ふてくされた表情で食事しているとサミに咎められた。隣の赤髪の女性も同意するように頷いている。何なの、姉妹なの?

「明日の朝、出立するそうですね」

「期限が迫っておりますので」

 父上と神子様の話が賛辞の応酬から気になる話題に飛び、私は食事一辺倒だった顔を上げた。

「それは残念だ、まだ語り合いたいことが山ほどあったのだが」

 会話に参加した兄上が落胆を前面に出しているので、私もだわ、と同意しておく。二人がかりで残念と口にすると、父上は生え始めた髭を撫でながらある提案をした。

「息子達がこうも口を揃えて言うとは珍しい。きっとあなたのお人柄が成したものなのでしょう。もし面倒でなければ、文を送ってはくれませんか」

「文、ですか……」

 ウィルは神子様の姿勢を崩さぬまま、動揺を押し込んで、父上に向けて困ったような笑みを作った。父上はその姿をどのように受け止めているのだろう。

 許可を求める彼らの視線に兄上と私は当然とばかりに頷いて見せると、彼の頬に赤みが差した。

「どうだろう」と念を押す父上もお人が悪い。これじゃ頷くしか出来ないじゃないか。

「そうですね。……こちらこそ、その、お申し出に感謝いたします」


 承諾を述べる彼はあどけない少年の顔で笑っていたけれど、誰も指摘することはなかった。

「願わくば、三年後。神初めの儀まで」


***


 夕食を済ませた後、玄関にある窓の前でウィル殿は外を見つめていた。その目はこれ以上涙を流さぬよう力を込めていて、手には昼間に買った花束が抱えられていた。それ、多分ずっと水に浸けていないけれど、いいの?

「こんばんは」

 今の状況に色々と突っ込みたいところだけれど、取り敢えず夕食時に話したかったことを口にした。

「明日には出て行ってしまうのね」

「これ以上は、迷惑がかかるから」

「誰に?」

「この土地の人々と……本国の“たいせつなひと”たちに」


 ウィル殿は花束を持つ力を強め、包み紙がかさかさと音を立てた。“たいせつ”と言うその口は、何かを恐れるように歪み震えている。

 私は何も言えない、と言うより掛けるべき言葉が分からない。彼は小さい深呼吸を繰り返して、表出しそうな感情を飲み込んで、大きく息を吐き出した。


「この花は、自分を守る術だと母は言っていた」

 小さく消え入りそうな声にそっと耳を澄ませる。幸い今の玄関には人がおらずどこよりも静かだ。

「私達の国ではあの花をホワイトセージと呼んでいて、主に魔除けとして用いていてね。母上は僕を守る為に持たせてくれていたんだ。本当は燃やすと効果的なんだけど」

「? 王族なのに誰も守ってはくれなかったの?」

「……うん」

 花束が再びかさかさと音を立てた。

「……母は僕を、神様から隠していたんだ。見つかった今となっては、何の意味も無いんだけど」

「それって――「これ以上は」」

 詮索しようとした私の声を彼ははっきりと遮った。口をつぐんだ私を見て、「ごめん」と弱々しく口にする。


「これ以上は、知らないでいてほしいんだ。今だけでも立場の事など忘れて話していたい。……ごめん。ごめん、ただのわがままで。僕が帰った後どれだけ調べても構わないから」

「……」


 月光に照らされたウィルの姿が、幻想的で儚げで、つい手を伸ばしていた。

 花束を抱え直して、彼も私の手を握る。伝わってくる低めの体温は彼が確かにいる証拠。

「植物園の進捗、手紙に書いてくれると嬉しい」

「言われなくても兄上が書くわ、絶対」

「あそこは、食料を安定して生産できるのかな」

「将来的には、するつもりじゃないかしら」

「……ああ、そう言えば昼間のレシピまだ聞いてない」

「じゃあ第一通目に書いておくわ」

「一通目?」

「三年の約束でしょう? 十やそこらで終わる訳ないじゃない」

 何で三年なのか、神初めの儀って何? 聞きたいことは尽きないけれど、私は溢れそうな言葉を飲み込んだ。また決壊させる訳にもいかないもの。


「二人とも、身体冷えるぞ」

「あら兄上」

 今まで書斎にいたのだろうか。兄上は何冊かの分厚い本を持って歩いて来た。

「……言われてみれば、少し寒い、かも」と、思い出したように震え始めたウィル殿に兄上も呆れを隠さない。

「じゃあ、私がお茶を淹れてあげる」

「それはやめなさい。ウィル殿に劇物を飲ませる訳にはいかない」

「ひ、ひどいわ!」

「ぶふっ」

 軽口を叩きながら私達は台所に向かおうと足を向ける。

 本気でお茶を淹れてあげたくて少し小走りすると、即座に兄上に捕獲され、背後にはそれを見守る影二つ。


 ……二つ?


「お疲れ様です、その、ご迷惑をおかけしています」

「……ええ」

 背後でやや緊張感を伴った声がしたと思えばサミがこっそり加わっていた。


「これは夜更かしの予感がするわ」


 いつも以上に穏やかな空気が溢れた廊下で、私は一人ごちた。



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