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伯爵家現当主のお茶目な提案により、花壇の迷路の中には身内だけのお茶会を開けるくらいの開けたスペースが点在する。その内の一つであるバラ区画にセッティングされた白いテーブルに私達は向かい合うようにして座った。
「ウィル様がいらしている事はお父様まで伝わっているのかしら」
「子供達だけの方が気楽に過ごせるだろうから、もし気が向いたら顔を見せてほしいだそうで」
知っていての返答だな、それは。
「……流石ね」
「思えば、この家ほど厳格やしきたりという言葉が似合わない貴族もいないですね、特にここのご息女は――」
サミが軽口を叩き、用意していたポットから私とウィル殿のカップにハーブティーを注ぐ。たちまち爽やかな香りが空間を包み込んだ。
私がサミの物言いたげな視線ににらみ返す間、てっきりウィル殿をまた待たせてしまっていたと思っていたのだが。
彼は湯気立ち上るお茶を早々に口にし、それから二口、三口と止まらない様子だった。
客人そっちのけの自分も自分だがこの神子様も中々、あれだ、マイペース。
そもそも王族はその地位を脅かされる者から自衛のために、毒味するものだと思っていたのだけど。実際は王族本人より背後の従者の方が敏感なようで、警戒心を持たない主に慌てていたようだった。
まあこの流れでサミが毒を盛る理由もないという意見には同意するけど。
「お口に合ったようで、何よりです」
私の一言でウィル殿は自分の行動や従者の動揺に気付いたようだった。カップにはすでに二杯目が注がれている。誤魔化すように笑みを作る頬がほんのり赤い。
「すみません、喉が渇いておりまして。――――その、後で配合を教えて下さい」
「本当にお好きな味だったのですね」
「……はい」
コーヒーや紅茶ではなく、自家栽培だろうハーブティーを選ぶところに不満も漏らさないところにほっとしながら、私は頭を捻った。
それにしても、王族への対応ってどうすればいいんだろう、と。
それ以前に神子様ってどの位の地位なの? 王族以上? サミにそれとなく視線を送ると「お嬢様はそのままでいいのですよ」と意味の分からない答案が返ってくる。
いいの? 本当にいつも通りで大丈夫?
――なら、もう聞いちゃうよ?
「ウィルヘルム様、無礼を承知でお伺いするのですが」
「はい、なんでしょう」
私が真剣そのものの口調で問いかけると、ウィル殿も頬の火照りを引っ込めて凜とした神子の姿に戻る。彼のこの切り替わりようには中々慣れない。肩が勝手に跳ねた。
「……神子様というのは、どのようなお仕事をなされているのでしょう」
「え?」
ウィル殿はしばらくぽかんと口を開けた後、思い出したように笑い始めた。今までのような魅惑の微笑みではなく、御年十五才のあどけない笑みだ。もしやこちらが素なのだろうか。
なんだ、気が抜けるな。
今度は私が呆けた表情になり、彼が慌てて笑いを引っ込めた。
「ごめんなさい、気が緩んでいるようで」
「あ、いえ――」
「こちらこそ申し訳ありません。主が無学なもので」
「サミ!」
分かっているなら少しは事前にフォローしてくださいよ、お願いします。
けれどウィル殿はサミの言葉に、むしろ嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「神子の仕事だよね。ああいや、ですよね! ……基本的にその名前から神聖なものとして見られる機会が多いのですが、実際は、そうですね。少し変わった魔法が使えるだけなのです」
「魔法?」
「はい」と言ってウィル殿は背後の従者の様子を気に掛ける動作を挟んだ。
「先程植物園で口にしました“命の祝福”、又は“祝福の祈り”と呼ばれているものです。具体的な効果は一瞬で植物を芽吹かせ、実らせること」
「すごい……私そもそも魔法が実在するなんて知らなかったわ」
「すごくは、ないですよ。何でもできる訳でもない。……それに、ほとんど王族の血によるものですし」
もしや照れているのかしら。どこかそわそわしているウィル殿の背を押す気分で、私は力強く返した。
「それは尚更すごいわ」
「…………え、」
由緒正しい神子スタイルに戻りつつあったウィル殿の態度が、再び揺らぎ始める。しかもそれは思っていた反応ではなく泣きそうなもの。
緊張感に冷や汗が流れる。
え、待って、私何か変なこと言った? 無学だし賢さとは縁遠い人間だと自分でも思っているけど、他人を傷つける人間ではないと自負しているんだけど!
さすがにこれ以上地雷を踏むわけにいかないと思い、サミにヘルプの視線を送る。けれど、彼女はウィル殿の従者を確認して首を横に振る。思えば花屋の時と違って、彼らは今静観を決めている。な、何故?
誰でもいいから間に入ってほしいのですが!
「……すごいこと、ですか?」
「え、ええ。もちろん」
十五才の少年に問いかけられ、私は慌てて今相対すべき人に視線を返す。今までの儚げ美少年の仮面は剥がれ、必死に感情を押し殺している姿は痛々しくて、故に彼が幻ではない同じ人間なんだとやっと実感した。侍女に「大丈夫です」と囁かれて私は素直に意見を述べると心に決める。
「だって自分の持つ力で自分の務めを果たしているのでしょう? 少なくとも私達にとっては立派な神子様だったわ」
「…………それが――――だったとしても?」
彼が決壊寸前の表情を隠すために俯いて、恐らく一番大切なところを聞き逃してしまった。冷や汗止まんない。どうしよ。
「あの、すみません、もう一度」
「…………それが、自分がやりたいことと別でも?」
絶対言い換えた。言い換えたけど、詮索は憚られる空気です。何より彼は私が答えることを求めているように聞こえて、内心すごく急かされている。
「やりたくなくてもやり遂げられる人は、本当に強い人だと私は思うわ」
そして、ついに、彼は号泣した。
自分の何が彼の琴線に触れたのかは分らない。どうしようと目に見えて右往左往する私と、泣きながら罵詈雑言を叫ぶ――割と個人的にはショッキング映像の――神子様、
小一時間その二つの頭をサミが優しく撫でていた。
会話する力がお互いに尽きて、ハーブティーを含むと爽やかな香りがこんがらがった感情をまとめて連れ去った。二人で荒々しくカップを置いて、不満を吐き出すように揃って一息吐いた。
「大丈夫ですか?」
「すみません聞き苦しいものを、しかも何度も。……真正面から賛辞を贈られるなんて初めてだった、からです」
「絶対それだけではなかったと思うのですが」
「それ以上はリフレッシュ休暇中ということで大目に見てください」
頬を染めて拗ねたような物言いで、完全に年相応の振る舞いになったウィル殿を改めて見ると、最初とはまたちょっと違った「年の近い男の子」に見えてくる。彼はさらっと涙で流れ落ちてしまった水分を補給しようとサミに三杯目を頼んでいた。
「でも。こんなに泣いたのは久しぶりでした。この国に、この場所に来られて、あなたたちに会えてよかったと、心の底から思います」
通りすがりの風はほんの少し冷たくて、醒めた視界は光景をより鮮明に映した。真正面から見たウィルが仄かに赤くなった目で確かに微笑んでいる。
「それは私達も。特に兄上はあなたの言葉に救われたはずだわ」
直視していられなくて、言ってから視線をティーカップに移した。自分の頬が熱を持った感覚があって、しばらくこのままでいようと思っていたのだが、
前方から嗚咽を漏らす音が聞こえて、顔を上げずにはいられなかった。
――だから、どこら辺が禁忌に触れているのかくらいは教えて欲しいのだけど!