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生け贄の神子と華劇を  作者: 犀島慧一
第一章 神初めの儀
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ex、神初めの儀 剣の舞(sideB)

 数々の神子たちを取り巻いたこの空間を、ある人は地獄門と名付けたという。

 僕から見れば、誰かの口腔。あるいはこの山の心臓部。と言ったところでしょう。


 岩の壁面から響くどくどくと脈打つ音は、僕の心臓と共鳴している。

 広がる赤黒い地には血管のような蔓が蔓延り、液を吸い上げた赤い彼岸花が一面に咲き誇っていた。自分の身は同様の赤い糸で観客達と繋がっている。それは一人の例外もない。

 数日前まで蒼く透き通っていた舞台は光を失い、その下の枯れ果てた大地を映し、

 取って付けたようなステンドグラスには無残な生き物の姿が描かれており、更にその縁を壁から飛び出した牙のような骨が掴んでいる。


 自然と怯み震える身体を叱咤して、壇上へと上がればもう後には引けない。


 観客を見渡せば、

 レーヴァは相変わらず納得いかないように口をへの字に曲げていて、

 アルマスはもしかしたら見えているのかもしれない、その身と僕を繋ぐ赤い糸を握りしめるように、

 カレンは、何故か口をぽかんと開けていて、

 ……なんだろう。少し気が抜けてしまった。


 果たして、僕は舞台に立ち、エルドラ様の上層にある“それ”を認めた。

 初代神竜、この舞台を監視していた張本人にして、暗く赤いこの胸腔の主。名はアドナイ――しかし正式な名は伝記にあらず。

 生と死の端境に住まうとされた竜は、今僕の目の前で大きな口を開いた。

 その暴力的な威圧感に潰されぬよう、天に剣を立て、小さく頭を垂れる。


「あなたは命の神、生と死の神」

『我は深淵の民、生命の樹』


 自分の宣言と同時に響く、仄暗い温かみのあるアドナイの声に、心臓を撫でられたような心地になった。動揺を抑える為、僕はゆっくりと息を吸い意図して間をとる。


「わたしは王の血脈、皇の子」

『お前は知恵の民、ダアトの旅人』


「――結ばれた生死の誓い果たさんがため、今ひと度の剣をとる」

『――結ばれた永久の誓い果たさんがため、今ひと度の剣よ舞え』


 アドナイが開幕を告げれば、花の香りを纏う風が祭壇を吹き抜ける。

 凜と静まる空気を切り、一歩。前へと踏み出せば硬い足音が空間全体に明瞭に響いた。


 無言のまま僕は右手に銀の剣を持ち、まずエルドラと自分を繋ぐ糸の束を断つ。赤い花弁と共に鮮血が舞い、噎せ返る臭気に鮮烈な色が散った。


 大きく身体を反らせて一回転。赤い光舞う視界の向こう側で、騎士一同が足を揃え正面に剣を天へ立てる姿が映る。

 彼らの目にアドナイは見えず、彼らと繋がる血縁の糸もまた見えない。その目はただ、言い伝え通りに事が運ぶのか見つめるのみ。


『そなたに問う。彼らを恨んだことはあるか』

『――ええ、ありますよ。こちら側を見ることのないその瞳が欲しいと思う位には』

 こちら側に至っては神子の仮面を着ける必要はない。僕は酷い返しをしながら、予習した通りに止まることなくステップを踏み踊り巡る。赤い光も地を這う血脈も舞台ごと切り刻むように、ときに優雅にときに猛々しく。その刻んだ線は弧を描いて、折り返し切り返し。


『そなたに問う。我らを恨んだことはあるか』

『――ええ、ありますよ。よくもこんな行事を繋ぐものだとね』

 硬い指先に刃を沿わせ、切っ先から血を滴らせる。銀の剣は清涼な音を連れて舞台に線を描いた。

 僕の血がその先を辿り、蔓延るこの山の脈に伝わり混ざり合う。

 そこまで行い、初めて僕は笑顔になる。


『ですが、今この場で投げ出すような愚か事は致しません』


『……そなたに問う。この儀を愚かしいとは見ないのか』

『ないですね。全く』

『――そうか』


 神初めの儀、一部。剣の舞。神子はその裏側で「縁切り」と「契約」を執り行う。


 今踊る舞台は僕がいる座。“ウィル”はこの舞台から降り、やがてその空席には、種に宿る命が座ることになるのだろう。

 ひと振りひと振り、飛ぶ鳥のように両手を大きく広げて、滑らせた切っ先で優しく撫でるように、イメージと違わないように、丁寧に。


 生まれ出ずる者へ、

 独りぼっちの君へ、

 僕が描き出すこのメッセージが届くといい。


 一通り描ききり、この場に感じる脈動が自分と同調した感覚を得た頃合い。

「縁切り」に移る合図として、僕は柄を両手で持ち頭上に上げ、勢いよく地面に突き刺した。


 溜めに溜めた一撃が、初めて舞台を貫通し空胴を震わせた。

 その余波を受けた赤い彼岸の花は一斉に散り、花弁は風に乗り上空へ舞い上がる。


『いいのか』

『いいよ。僕はもう、逃げることに疲れたんだ』

『――そうか』


 線が一層深く刻まれた、光きらめく舞台の上で、僕はどこか苦しく感じる胸元を抑え、浅い呼吸を繰り返した。

 恐ろしく美しい静寂の中で絶え間なく響き渡る鼓動の音。ただ問うだけの監視官の視線。

 誰に急かされている訳でもないのに、その緊迫の空気に飲まれて、

 自分の目の前で燦然と輝く糸を躊躇いもなく切り落とした。


 飛び散る赤い液体は舞台や僕の手を染める訳でもなく、小さな光となってふわりと舞い上がる。その様を茫漠とした面持ちで眺める傍らで思う。

 とてもあっけなく、切れては消えてしまうものだったのかと。


 赤い糸が示すものそれは、断たれれば記憶から消えてしまうなど、明確な形を成すものではない。段々と接触の機会が減り、思い出す機会が減り、存在が希薄になる。結果その人の人生から除外されてしまう、ただそれだけ。

 ……それだけの存在になる。


 こちら側に根を張るエルドラの結び目は自分以外にこの場全体に渡るため、何度も往復して余すことなく断っていく。彼が願うように、彼がこの地から飛び立てるように。

 レーヴァとアルマスのも骨が折れる作業だった。人が生まれ落ちた瞬間から結ばれた家族の縁。その後に結ばれた兄弟の縁。それぞれに太く頑丈なのに加え、

 無意識のうちに僕自身が切ることを躊躇ってしまうのだ。

 彼らがいる蒼と白の世界と、僕がいる赤と黒の世界と、薄い壁越しに目が合えば思い出が甦る。


 鬱陶しい。

 でも、断ちたくない。

 それでも、僕は終始アドナイに監視されている身だ。逃げる過ちはもうしない。

 ……虚勢でもいい。

 この場で弱い自分を曝すつもりもないから。


 痛みを堪えて、何本も切り離していくと体内に穴が空いた感覚に陥った。そこは胸の辺りの温かなものを溜め込んでいた箇所。体内を巡る脈の振動が冷え切った空洞に鞭を打つ。

 花の香りを纏う風がざわめき立ち我に返ると、

 傍観していたアドナイの視線が一点に据えられていることに気づいた。


 竜の視線を追いかけた先にいたのは独りの少女。彼女に括り付けられた赤い糸は、見れば彼女によく似た幼い少女に繋がっていた。さらにその少女はアドナイと繋がっている。

 彼女が糸に引かれ舞台へ上がろうとする姿に悪寒がして、僕はそれを断ち切った。

 ―――何故だ。何故こんなことをする。


 アドナイはその首をもたげ、彼女の背後に移動する。感情の高ぶりに呼応して穏やかだった風が荒れ、壁面の骨が騒がしい音を奏でた。彼女の何かが逆鱗に触れ、アドナイ自ら“こちら側”に招き入れようとしているのか。

 彼女を舞台に上げて、“生け贄”の道連れにでもしようと言うのか。


 僕が彼女と未だ繋がったままであることを認め、又、僕の手からもう一つ伸びたか細いそれの“二本”を断ち切らんと剣を振りかぶったが、

「――やめて!」

 他ならぬ彼女が、悲痛な声で遮り、切っ先は標的から大きく逸れて着地した。

 二人の間を繋いだ糸に彼女が手を添えて握る姿に、驚きを隠すことはできない。

「なんで、」

 こちら側が見えているの。

 生きている人の身では、それすら叶わないはずなのに。もしや一歩遅かったのか。

 俯きそうな思考を堪えて、静止する彼女の声にかぶりを振り、決意を新たに剣を握り占め直した。


 ……今更後悔をしても遅い。それならばエルドラ様と同じく、道連れにしないよう根っこ一本も余すことなくたたき切るのみ。

 息を呑み、空白だらけの心のまま剣を掲げる。

 けれどその切っ先は、彼女の頭上後方で口を開いたアドナイへと、その向きを変えることとなった。


 僕は細い剣を向け、出来うる限りの気迫で威嚇しながら、二人の間に割り込んだ。

「客人に手は出さないでください。そもそも、用があるのは私の方でしょう」

 必要な生け贄は一人だけ。問いかけの答えが気にくわないのであれば、当人に反論するのが筋だろう。理由が見えない以上、下手な推測は危険と判断しアドナイの言葉を待った。

『お前こそ気がつかないのか。我らの儀式をその者の血が汚した。私の子を、この小娘が』

 瞬間的に舞台の底を這う血管が一際大きく脈打ち、同調した僕の呼吸が一層苦しくなる。壁面の骨が蠢き、けたたましい音を鳴らした。


 このタイミングで怒りを買うのは避けたい、僕は唸る心臓を左手で押さえながらアドナイの双眸を見返した。

 ……思うに。儀式に参加するのこと、縁の糸が結ばれていること、それ自体が問題とは考え辛い。適切でない者であればそもそも踏み込むことができない聖域だ。


 ―――――それならば。

 僕は、先程その存在を認めた二本目の糸を盗み見た。


 この手から伸びる糸は、僕の手に取り付けられた種から伸びる一線は如何とする。これはエルドラの種であり、彼女達の手に渡り、今朝この手に収められたもの。

 ルートを辿れば、自然と出来事が見えてくるようだ。


 そして、彼女と同じ赤金を宿した種が、怒りに触れるその血故の代物だとすると――。


 今度はエルドラを盗み見ると薄ら笑いを浮かべているようであり、責められているはずの少女は、土地の神に挑むような視線を返している。

 ……さては、共犯ですね。

 二人が、何を望んでいるのかは図りかねるが、ここまでお膳立てされてしまえば拒否権はない。それに想定が少しずつずれていく感触に、不謹慎かな、僕の心は高揚を示していた。


「取り消せ」

 一言目は努めて低く、冷静な自分を装って、笑顔になりそうな自分を戒めるため。

「……今の発言は、生まれ出ずる命への侮辱にしかならない」

 二言目は、決意は強がりではないと自分自身を納得させるため、口にする。


『矮小の身で、捕食者を庇うのか』

 ……それは、


「か、庇っているんじゃない。彼はただ自分が持ちうる方法で、生きようとしているでゃけ」


 思い描いた言葉と違わない、背後から聞こえた反論に開きかけの口をつぐむ。

 アドナイからの問いに、答えたのは僕ではない。こんなタイミングで、だからこそ、嬉しいと思ってしまった。

 自分を知っている人がいる。彼女と未だ繋がったままの糸が、その存在と温かさを伝えてくれていた。


 長い沈黙の後、竜は何も言わず二人を天高くから見下ろす構えに戻した。その威圧感が緩みのど元を締め上げる圧迫感から解放され、僕はようやくアドナイを正しく見られた気がする。

 始祖の竜は式の始めと同じ位置で、同じようにこちらを見据えながら、

 確かに微笑んでいたのだ。


 この空間を支配する音と香りは鎮まり、僕の胸の虚にとぽとぽと何かが充填されている感触がある。僕は向ける先のなくなった剣を静かに下ろした。

 彼女が何を思うかは量れない、けれど今抱いているだろう感情の温かさは感じ取れた。

 ざわめく周囲の声がひどく遠くに感じる。アドナイを見れない彼らには僕らが何をしていたのか、理解できていないのだろう。


 へたり込んだ彼女を引き立たせたとき、自然と力が入ってしまった。

「大丈夫ですか」

「うん」

 今更になって、こちら側へ招かれた少女が特別だと感じる。

 踏み込まれて、やっと、その価値に気づいた。

 心根を暴かれて、やっと、自分が欲しかったものの姿を知った。

 ……遅すぎかな。遅すぎた。

 彼女から握られた手をしっかりと握り返す。血の通ったその手から伝わるものが、僕を満たしていた。

「温かい」

「君の手も温かいよ、だから大丈夫」

 短い会話を交わして、放しがたいその手を、ゆっくりと離した。僕が糸を切り離さないことをアドナイは咎めない。その代わりに仄暗い赤の舞台が、透き通る蒼い世界へと変わる。


 もう二度と見ることはないと思っていた。生きとし生ける者の世界に戻り、僕はそちら側の壇上に立つ。

 神様の同情か気まぐれか、愛情なのか。

 死の底へ引き込まれる瞬間まで、皆と共にいさせてくれるらしい。


 ――ありがとう。さようなら。

 凜とした静けさをたたえる舞台の上で、消え入るように囁いた。



 静かに頭上を見上げ、手の甲に着けた赤金色の種の拘束を解き、己の口へと運ぶ。


 細身の剣を垂直に下ろしてその場に突立て、空いた手は祈るように胸の前で組む。

 地を這う糸は、底に眠る命に繋がっている。知覚しうる命の種に働きかけ、彼らが持つ力の流れが天へと伸びるよう誘導すると、

 舞台が甲高い音を立てて砕け散り、舞い上がり、その下の土壌から何種類もの植物が芽吹き彼の周囲に花畑が広がった。

 雪は消え、川の氷は溶けて水しぶきとなり、花片と共に光り瞬く。

 エルドラ様が静かにその重い腰を上げ、観客に徹していた騎士達も一斉に息を呑んだ。


「この世に芽吹く普遍の命に永久の繁栄を。蒼き空の下、咲きほこる華に今、祝福の祈りを捧げましょう」


 体内で芽吹いた竜の花が、外へ出ようとあがいている。

 硝子のような舞台に映る向こう側の僕が剣を握り、こちら側に目がけその先を突き出した。

 喉がつぶれ、手足は冷え切って痛み、視界が暗転した。


 残された聴覚に、前奏を奏でる声が聞こえる。

 遅れて届いた心臓への衝撃の後、

 剣に命が宿る、剣は一輪の花へと変わる。


 第二部が、始まった。


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