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生け贄の神子と華劇を  作者: 犀島慧一
第一章 神初めの儀
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27 神初めの儀 剣の舞(sideA)

 ウィルの宣言と共に、騎士一同は皆足を揃え正面に剣を天へ立てた。


 儀式の始まりには淡々としたもので、想定していた以上に静かである。

 しんしんと雪が降り注ぐ舞台の上、青い光の中ウィルの宣言以降、誰も声を発することはない。連綿と続く静寂の中ただ一人を除き、凍り付いたように動かない人の壁。

 けれど、確かな変化が私達を襲っていた。

 どこからか突き刺さるような視線。舞台を囲む更に外周に観客が現われたのだと、触覚で感じ取っている。


 円形の儀式上は中心が青い舞台、そこから外側へ向かい、私達の立つ大理石の舞台、花の層、凍った川の層、岩壁であったステンドグラスの層となる。

 私の視線の先にいるのは、舞台の上でくるくると回り、花開く裾をはためかせ、舞うように剣を振る神子の青年。その向こう側に並び立つのは近衛の騎士のみで、本来ならばその背景にステンドグラスのはずだった。

 しかしながらウィルから視線を逸らし、向かい側の観客同士の隙間から奥を見据えると、

 彼女が、確かにそこにいた。


「はは、うえ……?」


 誰もいないはずの氷の上、ステンドグラスの前に、手向けの花束を抱く赤金色の女性が立っている。明るく朗らかで、かつては栄華極める華の街の象徴とも言われた女性だった。


 途端に立ちこめる花の香りを吸い込み、私はむせ込んだ。視線は大幅に逸れて、急ぎ戻しても彼女を再度見つけることはできなかった。

 白昼夢、というものだろうか。それにしても、何故いま?

 呆然とする私を置いて、神子は軽やかな足取りで踊り狂っている。青い光もひとひらの雪も切り刻んで、ときに優雅にときに猛々しく。弧を描いて、折り返し折り返し。

 私が感じる視線など、まるで“ないもの”としているように、騎士の面々は相も変わらず微動だにしない。

 けれど、奥に鎮座するエルドラが戸惑う私を見てにたりと笑った気がして、

 知らず悪寒が襲った。


「カレン様、いかがいたしましたか」

「だ、大丈夫よ」

 不安げなサミの声で激しく波打つ胸の音に気づく。それを押し隠して、私はウィルの姿を目で追った。

 彼は淀みなく軽くステップを踏み、一閃また一線と硝子に刻み込んでいく。

 剣を振り下ろす度に、舞台の傷はその深さを増していく。彼が幾重にも記したその文様はいつかみた花の姿に似ていた。魔除けの花、花言葉は尊敬と家族愛。

 降り積もる雪がその花片を純白に染めた。


 ところで、第一部の剣舞には時間設定もなければ音楽もない。

 強いて言えば、神子自ら身体に種を宿すところまでが一区切りになる。

 終わりの瞬間を自分で決められるというのは、それはそれで恐ろしいと私は思う。それを神子殿に伝えると、彼は笑ってこう答えた。

 舞いはカモフラージュ。次の部へ移る前にやるべきことがある。神子からすれば、それを無事に果たすまでが刻限なのです、と。


 ――彼がまた剣を高く上げ、勢いよく地面に突き刺した。

 怒声も猛りもなく、静かで強烈な一撃が、初めて地面を震わせ、舞台を突き抜け地鳴りを呼び起こした。

 その余波は私達が立つ大理石の下を通り抜け、川を蓋していた氷は一斉にひび割れ隆起し、背後の花は一斉に散り花弁は風に乗り上空へ舞い上がる。


 ひび割れた光きらめく舞台の上で、ウィルはどこか緊張を孕んだ呼吸を繰り返していた。

 恐ろしく美しい静寂の中で絶え間なく響き渡る彼の足音。

 誰に止められている訳でもないのに、私も緊迫の空気に飲まれて、言葉を発することができなくなった。


 また花の香りがする。今度は白い百合の花の香り、遠くに見えるひとひらの雪を、昔よく見た手向けの花片と錯覚した。姿の見えない視線の主が、死の境目へと手招きしている感触に怖気が立つ。

 ウィルに頼まれた事、歌を歌うこと、この舞台でやるべきことはたくさんあるのに、私はついに真っ直ぐ立てなくなった。目眩がして、吐き気がして、後ろのサミに支えられてやっと立つことができる。

「カレン様?」

 彼女には何が起きているのか判らないようで、私をまじまじと見ており、そこでやっと、他の観客にはない異常が起こっているのだと知った。


 一人舞い続けているウィルは淡々とステップを踏み、一切を違えることはない。

 けれど、もう一回り眼前を通りかかると、その顔はかつてない苦痛に歪んでいるのが見て取れた。

 ……私と同じ、ううん、それ以上のものと、闘っているのかもしれない。


 想像を裏付けるようにウィルは、その普段の柔らかな物腰を一変させて、乱暴に剣を振り抜き空を切りつけ始めた。唐突な変貌に近衛騎士の面々はわずかに戦き、王族側は痛ましいものを見るように、目を逸らしたかに思えた。

 そして薄らと目を開いたエルドラ様は、ウィルではなく確かに私を見て笑っていた。


『我らは、どう見える? 滑稽か? 哀れみの目を向けるのか?』


 覚えのある声音が脳裏に響いた。舞台上では瞬き一つしないけれど、エルドラは私に問うている。

『そんなこと思わない』

 この国に来てから何度も交わした問答に否応なく応えると、やがてくつくつとした笑いの後に、再びの問いかけがなされた。

『我々が見つめる審理を、神々の秘め事を求める気概はあるか?』

『何のはなし?』

 声の裏側で挑戦的な笑いを浮かべている姿が見えるような言い方に、不機嫌丸出しの声で対抗する。

『我々が見ている世界を、お前も見てみるといい』

「えっ」


 ぐるんと視界が一転して、白と蒼の視界が赤黒く染まる。

 おぼろげに開かれていく暗闇の中、舞台の中央には元の世界と同様に剣を振るう白い人影があった。

 しかし彼の足下、薄い硝子の下には血管のような赤い管が這いずり回り、ステンドグラスは墓標に、残る岩壁からは巨大な骨が浮き彫りになり、更には私達を囲んでいた青い花は、鮮やかな彼岸花に成り代わっている。どくどくと脈打つ音がそこかしこから聞こえてくる。

 私とウィル、エルドラを除いた面々には恐らく映ってはいない裏側の景色。

 誰かに見られているどころではない。誰かの胸腔の中に私達はいる。


 同じ場所だという自覚はあるのに、別の世界に迷い込んだ実感もある。

 百合の香りが更に強くなったのは、こちら側のモノが放つ臭いだったからか。


 いずれにせよあまり長居したくはない場所だ。未だ舞台を巡る人の背中に思いを馳せ、私は無意識にスカートの裾をきつく結んだ。


 すると、その手を誰かが引っ張った。

 いつの間にやら自分の手首には赤い糸が絡まっていて、その先は舞台を挟んだ向こう側に女の子に繋がっていた。母親に似ようとした幼い少女。過去の自分が、今の私に繋がれた赤い糸をたぐり寄せている。力に引きずられふらりと舞台に上がりそうになった私の前で、

 銀の剣が振り下ろされた。

 鮮やかな赤色が視界を埋め尽くして、我に返れば少女の姿は跡形もなく消えていた。


 見渡せば糸は一本だけではない。

 私はこの場にいる全員と繋がり、ウィルも例外なくその全員と細い糸で繋がれている。

 そして彼は舞の動きに合わせて一本、もう一本、彼らと自分が繋がる糸をその剣で裁っていた。太く頑丈なものは一層力強く、それでも無理なら何度も切りつけた。


 断たれた証にその度に鮮血が舞い、その度にウィルの表情は苦痛に歪んだ。

 ――ありがとう、さようなら。

 聞こえるはずのないウィルの声が、脳裏に響いてくる。

 彼ら側と私達を繋ぐ縁の糸が切られ、ウィルは孤立していく。これが彼の言う“無事に果たすべきこと”なのなら、この国の神のなんと非情なことだろうか。


 気づけば私の番が巡って来ていて、血にまみれた震える剣が振り下ろされようとしていた。


「やめて!」

 思わず口にした言葉に青年は驚き、切っ先は標的から大きく逸れて着地する。私が二人の間を繋いだ糸に手を添えて握れば、青い瞳は純粋な驚きで見開かれ、私を注視した。

「なんで、」

 (かな)しみに満ちた声は明らかに震えている。

 彼は静止する私の声にかぶりを振り、力なく垂れた右手で再び剣を握り占めて、私達を結ぶ赤い管を切ろうとした。

 だが、私の頭上後方に襲来した“それ”を認め、彼は咄嗟にその剣の向きを変えた。


 呆気にとられた私が頭上に見たのは、エルドラより遙かに巨大な一頭の竜。舞台を監視していた張本人にして、暗く赤いこの胸腔の主。その方は遙か上空からその顎を垂らし、他ならぬ私に牙を剥いている、鋭い眼光に身が竦んだ。


 ウィルは竜に細い剣を向け、負けず劣らずの気迫で威嚇しながら、私と竜との間に割り込み対峙した。

「客人に手は出さないでください。そもそも、用があるのは私の方でしょう」

『お前こそ気がつかないのか。我らの儀式をその者の血が汚した。私の子を、この小娘が』

 舞台の底を這う血管が脈打ち、壁面の骨が蠢き、けたたましい音を鳴らした。

 儀式で私の血となれば、恐らく種の事ではなかろうか。竜が持つ威圧的な気迫に悲鳴を上げそうになるのを、ぐっと堪えて憤怒に見開かれた双眸を見返した。


 思い出せ、何のために、参加するのか。

 禁忌と知ってなお、歌を歌うのか。

 ここまで来て無力な自分を曝すのは御免だ。


 二人の間に立つ背中が私にそこはかとない安心感をもたらしてくれる。私は、その背が苦しんで、悲しんで、震えるのが嫌だ。考えるのはただそれだけでいい。竜がどうとか、知ったこっちゃない。そう思い直し挑むように竜を見た。

「取り消せ」

 それは低く、冷徹さを感じさせる響きだった。

「……今の発言は、生まれ出ずる命への侮辱にしかならない」

『矮小の身で、捕食者を庇うのか』

「か、庇っているんじゃない。彼はただ自分が持ちうる方法で、生きようとしているでゃけ」

 ――噛んだー。あー。

 私をちらりと盗み見たウィルは、少しだけ笑っていた気がする。

 それでも。彼は私の言葉を否定しない。


 やはり彼は、この現実を悲観しようとはしないのだ。

 やはり私ができるのは、彼が行く先を見届けることなのだ。


 長い沈黙の後、竜は何も言わず二人を天高くから見下ろす構えに戻した。のど元を締め上げる圧迫感から解放され、私はその場にへたり込む。

「大丈夫ですか」

「うん」

 彼が私に手を差し伸べ引き上げた。その顔には竜へと向けた敵愾心はなりを潜め、穏やかな笑みを湛えている。


 その手がたくさんの縁を切り、真っ赤に染まっていたとしても、

 震えを隠せない正直なそれはとても愛しいと思えてしまう。


 ぎゅっと握れば、同等の力で握り返された。

「温かい」

「君の手も温かいよ、だから大丈夫」

 ――行ってらっしゃい。そこまでは声にできなくて、ぎこちない笑みだけになってしまった。


 私達の糸は繋がれたまま、その手は離れて、彼は一人舞台に戻って行く。

 私の視界から赤が消え失せ、目眩がしそうな程凜とした静けさをたたえる蒼と白の世界へと戻って来た。


 ウィルが大きく息を吐き、止まるところを知らない足をついに止めて、しずしずと舞台の中央へと向かっていく。

 彼の表情はもう見えないけれど、どうか最後まで笑っていて欲しい。

 彼が静かに頭上を見上げ、手の甲に着けた赤金色の種を、躊躇う間も持たず口へと運んだ。


 細身の剣は垂直に振り下ろされて、彼が祈るように手を胸の前で組む。

 傷だらけの舞台が甲高い音を立てて砕け散り、舞い上がり、その下の土壌から何種類もの植物が芽吹き彼の周囲に花畑が広がった。

 雪は消え、川の氷は溶けて水しぶきとなり、花片と共に光り瞬く。

 微動だにしなかったエルドラがその重い腰を上げ、観客に徹していた騎士達が一斉に息を呑んだ。

 私も半歩遅れて小さく息を継ぐ。


「この世に芽吹く普遍の命に永久の繁栄を。蒼き空の下、咲きほこる華に今、祝福の祈りを捧げましょう」


 ウィルの宣言の下、全員の口が前奏を奏でる。


 こうして、第二部が始まった。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます!

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