26 神初めの儀 前座
天気は相変わらずの曇天。
雪は依然として地面を覆い、道沿いに積み上げられたものは舞台までを囲う壁の役割を果たしている。
参列者はそれぞれが所属する騎士団色の正装を身に纏い、神妙な顔をして行進。
私はといえば、アマとサミのタッグが用意したドレスのスカートを掴み、彼らの背後を追尾しています。
深い緑をベースにして、白いレースの縁取り、胸元や腰には黒いリボンがあしらわれている。久方ぶりのコルセットは地味に苦しい。髪は三つ編みを織り込んで結い上げられ、花をふんだんに使ったヘッドドレスを着けられた。
久方ぶりの“お嬢様”に、どことなく気恥ずかしさを感じてしまう。
それでも、今日の主役は私じゃなければ、
これはお祝い事ではあり得ない。
沈みそうになる表情をひっぱたいて、気合いを充填する。
笑顔は無理でも、絶対に悲しんではダメ。そう自分に強く言い聞かせた。
ふと自分のポケットを探り、ハンカチに包まれた“銅色”の種を握りしめる。これが、彼の手に渡れば、もう引き返せない。
一同乱れることのない行進に早足で付いていくけれど、考え事が先に立てば自然とそのペースは落ちる。彼らは神殿の裏側に姿を消しても、私は神殿の出入り口にいた。
結局、開始時刻まではまだ余裕が十分あるため、追いかけるのは早々に諦め、とぽとぽと歩く。神殿は閉め切られており、権利を持たない私達は中を覗くこともできない。
いつも通りメイド服を纏うサミが、侍女らしく私にこっそり耳打ちした。
「少々、ここでお待ちを。神子様からの伝言です」
「ウィルが?」
私が問い首を傾げる。一面曇り白い空、この場にいるのは私とサミ。けれども他ならぬ神子様の伝言を無視する訳にもいかず、寒さの感じない寒空の下で白い息を吐きながら、のんべんだらりと待つ。
雪が降りそうな予感がして、何となく温かさが欲しい。
手持ち無沙汰になり、軽いウォーミングアップを兼ねて鼻歌を始めてから、申し訳なさそうに背後の戸が開かれた。
顔だけ覗かせていた青年は曖昧に笑う、私もごまかすべく笑いを浮かべた。
「取り敢えず、中へどうぞ」と、彼が開け放したままの扉から神殿の中へ入る。
「……歌詞はなかったので、セーフだと思いましょう」
「……そ、そうね」
私達の密談が聞こえない距離にいるウィルは、振り返り小首を傾げていた。
ウィルが身に纏うのは、光沢のある白地の生地に、群青を挿した丈の長い、腰から下に切れ目が入った末広がりのジャケット。形はかっちりとした制服に近く、ダブルボタンに肩章が付いている。藍色のパンツに黒の軍靴は先を行く騎士側の装備とあまり変わりない。けれど、彼が振り返る度にふわりと舞うゆったり素材の袂や、薄手の手袋、銀色で装飾の多い剣は闘う為の姿でもない気がする。
未だ眠るエルドラ様の前で振り返ったウィルは、その不必要に細い御身を曲げて、私達に一礼をした。
「突然お呼び立てしてしまい、申し訳ありません。
――お二人がエルドラ様の種を預かっているとアマから聞きまして」
さらりと前方に垂れた彼の髪、このところ毎日のように見ていたはずなのに――衣装との相乗効果か――その銀と薄く青い光を纏う幻想的な色味に心を奪われ、思わずその姿を凝視してしまう。サミに小突かれ慌ててポケットに入れていたハンカチを、彼に差し出した。
ウィルは恭しくもう一度一礼をしてから、白いハンカチの上の小さな銅色の種を持ち上げ、光にかざす。
「きれいですね……」
「この種を、飲むのよね」
「そうですよ」
彼の声に迷いはなく、むしろ当然と言わんばかりの即答。私は彼が掲げた、自分と同じ色の種の輝きを見据えた。
歴代の竜は一人として同じ姿を持つ者はいなかったと言う。けれど、どんなエルドラのように足が動けない訳でもないのに、国の外へと歩む者は一人としていなかったとも聞く。
果たして、エルドラ様が望みを託したそのひとかけらは、どんな結果を生むのだろう。
それとも何も変わらないのだろうか。
沈みそうになる思考を振り払って、愛おしそうに種を握りしめた神の子を認めた。
少なくとも、今の彼は現状を悲観する人間ではない。と私は感じる。
「ええと。喉に詰まらせないようにね」
「……ふふっ、気をつけます」
私達の会話が一段落付いたとみて、ウィルの背後から歩み出たアマは彼の左手の甲を銀色の装飾で覆った。
銀でできた装飾品は蔓を模した細い曲線を絡み合わせて竜を象っている。そして竜がその胸に抱える空洞に種がはめ込まれ、動くことのないよう蓋をされた。
一つ一つ準備を終えて、気付けば事態は目前に迫っている。
歴史の資料を紐解くと、舞台に上がった神子達が苦しみ狂乱する姿が克明に記されていた。
種を発芽させ、竜になる歌劇の部では、ときに激痛にむせぶ人もいたと見た。
真実を知り思い返す度に、彼は今どんな思いでここにいるのだろうと、思わずにはいられない。
自分で抱えられなくなった重い息が、ウィルの溜息とシンクロして、
ついと視線を合わせれば、揃って意味も無く笑い声を上げた。
「僕はこれから自分の務めにかかりきりになると思います。そもそもエルドラ様の代の経験者は後ろの二人の他にいないのですから、気楽でいいんですよ」
「気楽には、できないわ。私にはやらないといけないことがあるもの」
「そうですか」
相変わらずのあっけらかんとした返事に、私は憮然としてそっぽを向く。
――まったく君は、今日に限って泣き言一つないとは。
拗ねた私の頭を優しく撫でて、穏やかな笑みを浮かべた青年は「今までありがとう」と確かに呟いた。不意打ちに涙がこぼれそうになる。
もしも、彼に自由を与える術があるのなら、
どうか彼に飛び立つ翼を与えてください。
私は唇を噛みしめて出かかった言葉の数々を飲み込んだ。
どうか、どうか。
***
数日前に皆で訪れた神殿の裏。
らせん状の階段を降りきった場所で、その違和感に周囲を見渡した。
ウィルが舞う予定の青い舞台を中心に据えて、取り囲む大理石の観覧席、青く光る花々まではいい。けれど、入り口よりも遙か空間自体がに広がっている点や、川が流れていたその場所が凍り付いている現象に驚きを隠せない。変わり果てた舞台で最も目を疑ったのは、取り囲む岩肌がステンドグラスに成り変わっていることだ。
先に着いていた騎士たちは、全員姿勢を正し、主役の登場を待ち続けており、私は登場口に一番近い彼らの隅っこを間借りした。勝手が分からないなら右に倣え。
……舞台を上がった正面に当たる意味深に空いた大きな席に立つ度胸は、私にはないし。
静まり返った一帯に川のせせらぎがどこからか聞こえてくる。醒める清涼な空気を大きく吸い込み、浮かんでは消える青い光の行く先を目で追う。
観覧席に並ぶ騎士は一様に群青の正装、そこだけ岩肌が見えている空席の両隣にはアルマス、レーヴァテイン、シャムシエル、そして金髪碧眼のグラマラス美女ジョワユーズ王妃の錚々たる面子。彼らは一様に身じろぎもしない。
辺りを支配する厳粛な空気に息を呑んで、こっそり背後のサミに身を寄せては押し返される。待てども主役は現われず、それが嬉しいやらさみしいやら。
私が待つことに飽きて再び周囲を見回したとき、むき出しの岩壁から轟音と共に太い根が這いだした。内部で砕かれ押し出された岩石は大きい横穴を空けて崩れ落ちた。
突如襲う地鳴りにバランスが崩れたため、背後のサミに支えてもらいながら、遅刻のゲストに目を凝らす。
――真っ先に見えたのは赤い髪。
地上で見たはずのアマがそこにいて私は首を傾げ、その背後から蔓の籠に大切に運ばれて来た巨体を認めて思わず声を漏らした。
「え、エルドラ様」
「そのようですね」
夢と現を彷徨う神竜は薄らと瞼を持ち上げるだけで限界のようで、ただただ蔓で作られた座席に腰を下ろし、その重い口を開くこともない。
ゲストの登場よりもエルドラを収容できる空間の異常な広さに驚く。
そして間も置かず、神竜の反対側から壇上へと歩む音が響き渡った。微動だにせず静謐を保っていた騎士側の面子も、音の主の方へ、つと顔を向けた。
皆の視線を一身に受けて現われたのは数刻前に見たそのままの神子の姿。
彼は展開されたステンドグラスに瞠目した後、私と目を合わせては小さく微笑みかけ、
一人壇上に上がって行った。
彼の背後に付いていたフラックスは舞台の手前で足を止め、深いお辞儀をして身を引く。
逃れ得ぬ静寂に満ちた舞台の中央に立ち、ウィルは正面のエルドラ様、続いて騎士側の王族を一瞥し、頭を垂れた。
彼らの視線の中心で、腰に挿した鞘からおもむろに剣を抜く。
その端正な顔が映り込むほど近く、祈り誓うように自分の眼の前で剣を垂直に立てて、ウィルは深呼吸を一つ置いた。
彼が生み出す小さな間が、とても長く感じた。けれど短くも感じる。
相反するものが同居する空間に緊張で痺れた感覚では、どれほどの時を要したのか判らない。
私の浅い呼吸が何十往復もして、不必要に身体は揺れ動いてしまう。静まり返った空気感がなんともはがゆかった
胸の前で手持ち無沙汰な両の手を組んで、ウィルの背中をひっそりと見つめる。
「あなたは命の神、生と死の神」
彼が静かに告げる開幕の合図に、取り囲むステンドグラスがその様相を変えた。
「わたしは王の血脈、皇の子」
彼が名乗りを上げた瞬間、雪が舞台上に降り注いだ。
追うように、死を纏う花の香りが迷い込んで、
私の心臓は激しく波打った。
「――結ばれた生死の誓い果たさんがため、今ひと度の剣をとる」
こんなに長くなる予定ではなかったのに、
プロット上では20弱で終わってたのに、何で?




