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生け贄の神子と華劇を  作者: 犀島慧一
第一章 神初めの儀
23/71

23

***

私は神様。あなたは王様。

結ばれた糸はとうの昔に切って捨てた。


私達の間にあるのはたった一つの、共存の誓い。

それでいい、それだけでよかった。

望みを持てば持つほど、失った哀しみは深くなってしまうから。


あなたが興したこの場所で、あなたが去ったその跡で、

私はこの“国”に生きる民を守ると誓った。



……それなのに、

何で何で何でなんでなんでなんで、


民は、私の血を欲した。

あいつは、私の心臓に剣を突き立てた。

逆鱗の裏に隠した種子は暴かれ、我が子は無残な姿となって地に堕ちた。


――許さない。

私達が築き守ってきたものを、血で穢したその愚行。

――――赦さない。

我らの盟約、誇れる命を繋ぐ為、


裁きの間において、審判を下そう。


***


「――っ!」

 話の最中、それは何の前触れもなく訪れた。

 ウィルが見えない鈍器に当てられたように上半身を大きく反らせて、座り込んだままの私の方へと倒れてきたのだ。

 慌てて受け止めると、衝撃に備えて強ばっていた身体から緊張が解かれ、代わりに身体の重みが増していく。


 滑り落ちないよう、私はただ、どこか冷たく感じる彼の体幹を両腕で抱え込んだ。

 生命活動を停止した訳でない証拠に、肩口にもたれかかったウィルは天井を向いたまま、呆けた表情で目を瞬かせている。

 次第に澄んだ群青の瞳が涙で潤み、縁に溜まった一滴は自然と流れ落ちていった。


 それから震える両手で耳を塞ぎ、静かに目を閉じて、深呼吸を一つした後、

 彼はようやく彫像化した私から離れた。

「もう大丈夫です、ありがとうございました」

「何が起きたの?」

 彼はすぐさま答えず、神殿内を見渡してから口を開いた。

「分かりません。ですが、変な音が聞こえていて、おかしな白昼夢みたいなものも……」


 一体何を見たと言うのか、言いかけた口を閉じて、振り返って見せた笑顔は弱々しい。一度視線が私から離れれば、彼は無意識的に耳に手を当てて放してを繰り返す。虚ろな瞳は遠くを見て瞬いていた。


 陶器のように白い肌、己の体温を預けるようにその頬に手を触れるとほんのり赤く染まる。

 それから暗く淀んだ双眸が私を捉え、段々と平常に戻ろうとしているウィルの姿に取り敢えず胸を撫で下ろした。

「本当に大丈夫なの?」

「…………少し治まりました」

 片耳に手を当てて座り込んだウィルの隣に並び、私達は何の気なしに安らかな寝息を立てているエルドラ様を拝む形を取る。


 自分より年が上で、背が高くて、いつも落ち着いていた神の子。しかし見た目に反して、

 エルドラ様を見やる双眸は夢と現の境を彷徨い、音に怯えるようにその身は縮込まって小刻みに震えている。

「本当はダメなんじゃない」

 本当は、誰よりも優しくて、泣き虫、恐がりの人の子。

 私は隣り合った指先を絡めて、そのまま握りしめた。

「あったかい」

「人並みよ。あなたの手が、冷えてしまっているの」

「……知らなかった」

 ――丁寧語じゃない方が聞いていて落ち着くわ。何と無しにそう思った。


 しばらくすると震えは治まり、完全に落ち着きを取り戻したウィルは全身で落胆を表明した。

「この間から、情けない姿ばかり晒している気がします。面倒ばかり掛けて申し訳ありません」

「大丈夫だよ」

「…………本当、かっこうわるい」

「……うん?」


 後半、なんと申した?


 数日前にアルマス殿下が話していた“格好付けたがり”と称していた記憶が甦る。彼が指していたのはこういう面のことだろうか。

 ふと気が抜けて、堪えきれず笑い声を上げると、彼は耳まで赤くしてそっぽ向いてしまった。

「凜とした神子様スタイルも好きだけど、泣いたり照れたりしているウィルの方が人間っぽくて好きだわ」

「そんなものですか?」

「そんなものよ」

 彼は涙を乱暴に拭って、何度も目元を赤く腫らして、まだ納得できていないのかこちらを正面から見ることはない。けれど握りしめた手は嬉しそうに揺れている。


 そうやって、素直に感情を表に出せる人。そんな人に贈るべきは、どんな言葉だろう。

 しん、と静まり返った神殿内とは対照的に、私の脳内はかつてにない単語の洪水で溢れかえっていた。

 今すぐ庇護の間に戻りたい。今ならいいものが書ける気がする。

 ……勘だけだけど。



 しかし逸る私を留めるように、惰性で繋いでいた手が突然強く握り返され、耳には小さな呟きが届いた。


「さっき、恐ろしい風景が見えました」

と。


 白昼夢のことだろうか。ぶり返した恐怖に震える手は力加減が狂っていて、私の手に食い込んだ。怖い、痛い、血が出るかもしれないと思う傍らで、「……どんな?」と私なりに努めて落ち着いた声音で問い返す。

「……白い花が咲き乱れる暗闇の中で、返り血を浴びた子供が立っていて。音は周囲の黒い影から発せられてて。怖いのに、懐かしかった」

 その光景は数日前、同じような事件の概要で訊いた覚えがある。ウィルが逃亡したときの話だ。

 手に滲む赤い液体の姿を確認しながら、今はまだ声を上げるべきじゃないと、私は口を噛みしめ踏ん張る。


「彼らは口を揃えて言っていた――」

 さらさらときらめく銀色の髪、エルドラ様の鱗と同じ色。そして同じ蒼の瞳。無機質な輝きを放つ整った顔がこちらを向いて、寂しく美しく笑みを綻ばせた。握る力が緩み、解放された傷口がじくじくと痛み出した。


「お前は愛されない、愛されるべきではない」


「は?」


 ……何となく、この先を聞きたくない。感情に器官が呼応して、耳が遠のいた。

「さっきの言葉、嬉しかったです」


 ……聞きたくない。

 離れようとする彼の手を、自ら掴んだ。けれど無情にも、先は明瞭な響きをもって放たれた。


「それでも、僕らに向けて、冗談でも“好き”だとは二度と使わないで。

僕はもう二度とあの光景を見たくはない」


 ――それは、


「それは、無理よ」

 辛うじて答えを絞り出して、離れた手を結び直す。


 ウィルはこちらを一切向いてはくれなかったけれど、

 ふりほどかれることもない。

 それでも、私の内側はざわついて仕様がなかった。


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