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生け贄の神子と華劇を  作者: 犀島慧一
第一章 神初めの儀
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 半ばいきおいで植物園の案内を買って出た私、カレン・ストレリチアは、

 できると公言してから己のミスに気付きました。

 現在植物園に向かう道中なのですが、花市場を抜けてからというもの、背後のサミの顔が見れません。


 何を隠そう、件の植物園は我がストレリチア家の敷地内。私の兄が自身の研究のために、その賢すぎる脳みそをフル動員して設営したものなので当然と言えば当然なのですが、

 もう一度言いましょう、領内ではありません、敷地内にあるのです。


 ……これから社交会で会うでしょう、現役貴族の皆さん、アポ無し訪問はセーフですか、アウトですか。アウトですよね、常識的に。今からでも事前予約が必要だと言っても遅くはないでしょうか。


 加えて私、まだ正式に名乗ってはいません。彼の美形男子は「ウィルヘルム・ランタナ」と名乗っておられます。他国のお貴族様であり、グランドツアーなるもので、この国の、この領をわざわざ選んでやって来たのだと。またこの地の奥様方の井戸端会議よりお兄様特製の植物園の噂を聞き、是非とも一度見たいと仰せです。


 ……この状態で私が敷地内に迎え入れたと言うのは無理があるのでしょうか。それより取り敢えず名乗れって? そうですね、名乗りましょう。


 やるべきことを整理していざ言おうと口を開け、結局焦りで噛み余計にどもる私。スマートにこなせなくて顔を苦渋に歪めたその姿を、緊張と勘違いしたウィル殿は、この場を和ませようと我が領についてずっと話していた。

「この領の人々は人情味に溢れていて、とても素晴らしいですね。領主にもお会いしましたが確かにこの領を象徴するかのような人柄でした」

「花の街と言われるだけあって、花市場も広大で美しくて、感動しました」

 などなど。そして三言目に私は足を止めてしまう。

「訪れるまではまさか季節問わず植物を栽培する施設があるなど思いもよらなくて、勉強不足を痛感いたしました――」

「そ、それは」

 当然、なのですよ。後半を言葉にする前に私は彼から視線を逸らした。

 そもそも兄上様がお作りになった植物園は内々の研究施設。ゆくゆくは世間に広めようと考えているそうだが、現在進行形で作っている最中なのだ。

 試行錯誤を繰り返し、栽培の失敗も多く報告されているため、自国の接点のある貴族はともかくそれ以外にはあまり知られていない事実である。だからこその敷地内。箝口令が敷かれているわけでもないけれど、実質暗黙の了解として市民も理解している、はずだった。

 噂話でヒートアップした奥様方にそんなものは通用しなかったようであるが。


 私は石畳を見つめたまま、現状をどうにかしなければならないと思い直し、口を開いた。

「植物園へご案内する前に、いくつかお伝えしなければならないことがあります」

「……はい」

 自分としてはこれ以上ないほど真剣な声音で前置きをすると、彼は歩みを止めて私を真正面から見据えた。盗み見て、突如切り替わった凜とした空気に知らず身震いを起こす。

 日々素で生きている人間に緊張は鬼門なのよ。

「まず、私はカレン・ストレリチアと申します。名乗ることが遅れてしまった非礼をお詫びします」

 身体ごと彼に向き直り、スカートの裾をつまんで、ぎこちない淑女の礼をとる。

「では、あなたがストレリチア卿の……。訪問の挨拶に伺った際、体調を崩されたとお聞きしていましたが。もう大丈夫なようですね」

 あれ? ウィル殿は私を知っている?

 しかも、私は生まれてこの方病気とは無縁の人間でしたが、何故そんな誤解を?

 思いもよらない返しに私が首を傾げたのを見かね、道中無言を貫いていたサミが傾いた私の耳にそっと耳打ちした。

「お嬢様、つい二日前のことです。その日は大切な客人がいるからと旦那様から承っているにも拘わらず、夜更かしの上寝坊をしましたね」

「…………あ」

 サミに指摘され記憶を三日前に遡らせる。

 辺境に位置して、尚且つあそこって花しかないよなと貴族社会の裏で囁かれている、そんな我が領に久々のお客人が来ると知り、私は緊張と興奮で寝付けなくなっていた。結果サミの言う通り二日前の肝心な訪問の瞬間まで寝こけていたのだ。

 当時父上は、私が余りにも人前に出せるような顔色ではなかったため、紹介を断念し、数時間後覚醒した私に病気だと言い訳したから口裏を合わせろと優しく諭された。


 挨拶ができない程の病気ってなんだろう。取り敢えず二日後に街を闊歩できるものではないような……。警鐘を鳴らす心臓を手で抑えて、せめてバレないよう必死に笑顔を作る。

「ええ、おかげさまで……?」

 病気の件はこの際置いておいて、こういう時挨拶を先にすべき? あの場にいなかったことを詫びるべき? 混乱を極める脳に、すぐ傍でサミが含み笑いを漏らしている音が届き、ほぼ反射的に彼女へ肘鉄を向けた。

 この侍女、状況を楽しんでやがる。私じゃなかったら不敬になっているぞ。

 私達の小突き合いを何も言わず見つめるウィル殿とその背後の従者二名。其の方から何らかの文句が飛んでくる分けでもない。むしろ何かを待ち望むような視線で……そこで私ははっとした。

 ……さっき“いくつか”と自分で言ったじゃん。


「あと、これから行く植物園についてなのですが……」

 頭は未だ混乱したままで、目に見えてあわあわとする。さっきから醜態しか晒していない気がするのだが大丈夫だろうか。


 自分の事に手一杯になっていた私は、ウィル殿に促され深呼吸を繰り返すだけで、この時進行方向から歩いてくる影に気付いていなかった。先にその人物に反応したウィル一行が会釈をして、ようやく私は振り返った。

「何を話しているんだ、カレン?」

「あ、兄上! いえその」

 そこには、私の敬愛する植物園の主、ニコライ・ストレリチア兄上が立っていた。

 視線をあちこちに飛ばし挙動不審さを隠そうともしない私を認めて兄上が怪訝そうな顔をする。

「その、こちらの方々を植物園にお招きしようかと」

「……そこまで怯えることでもないだろう」

「いやその……アポ無しはどうかと思いまして」

「アポもなにも、自分の家だろう」

 あ、そっか。ぽかっと口を開けたまま固まった妹を置いて、兄上はウィル殿に少し困ったような表情を作った。

 私と同じ赤金色の短髪に褐色の瞳、それぞれの要素は自分と同色なのに、父譲りの高身長と冷たく鋭利な刃物のような印象を与える切れ長の双眸で、しかも必要以上に無表情を崩すことはないため、彼に初めて会った人は大体「怖い人」のイメージを持つ。

 それがわざとなのか何なのか、今にもうーんと唸りそうな顔で戸惑いを表に出していた。

「……申し上げにくいのですが。植物園は研究段階であまり得られるようなものは無いかと思われます」

 兄ははっきりと断りを口にした、けれども言葉にはイメージ通りの切れがない。むしろ毎日顔を合わせている私やサミが辛うじて気付く程度の……何だろう、期待感? によるそわそわとした動きが見えていた。

 これを見たら「怖い人」のイメージは一瞬で吹き飛びそうだ。と勝手なことを考えている私を置いて、終始動揺を見せないウィル殿は口に手を当てては、間をあけてから答えを返した。

「そうなのですね。後学のために是非とも拝見させていただきたかったのですが、無理ならばそれで構いませんので」

「とんでもない!」

 同じく困ったように笑うウィル殿の反応に、けれども兄上は待っていたとばかりに声を上げた。そして咳払いを挟み、会話しているウィル殿ではなく、何故か私の肩を掴み前後に揺らした。

「まあ、そういうことなら、仕方ない。後学のために、うん、そうだよな、カレン」

「兄上、私に言ってもしょうがないです」

 一連の兄の奇行はどうやら自分の研究が「後学になる」と認められたからだ。と私は悟った。そうだそうだ、三日前。花しかないと言われて一番気にしていたのは、兄上だった。社交の場では一切表情を崩さない彼が、唯一態度を変える……いや豹変させるのは植物関係だと父が言っていた。


 さっきまでのは、同士獲得のための緊張だったのか。

 流石我が兄、緊張の場面でパニックに陥るところまで一緒らしい。


 ともかく、兄上に任せておけばこの場はしのげそうだ。ありがとうございます。後でとっておきのハーブティーを淹れて差し上げます。

 分析と感謝の目を向ける妹をよそに、兄様は半ば言い訳のように、仕方ないを繰り返す。私の前で喜色の表情を必死に隠して、更に外面を調整してようやっと困惑顔のウィルへ振り返り彼に手を差し出した。

「えっと、これは」

「他国からはるばる勉学のために来た神子殿を我が園に招待するのは、後学のために、必要ですからね」

「――ありがとうございます!」

 差し出されたウィル殿の手を両手で掴み激しく上下に振る兄上。うん、兄上が振っている。流石の私もこの勢いを収める手段はない。

「兄上……」

「ニコライ様、表に出し過ぎです」

 笑いを引っ込め無表情に切り替えたサミの冷静な声に苦笑で同意する。



 ところで兄上様、ウィル殿のことをなんと言いました?


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