夢うつつの7月26日(1)
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ……
乗り物酔いのような吐き気を感じつつも、裕介の瞼は6度目のピで自然と開いた。7度目のピでベッドから起きあがりつつ、裕介は先ほどまで自分が体験していた出来事を思い出す。
体験していた−違う。あれは夢だったのだ。体験したかのようにリアルだったが、あれは夢だったのだ。
夢にしてはあまりにも記憶が鮮明だ。色もはっきりと覚えている。右、左と身体をひねった裕介の深呼吸は、ため息のように小さく消えていった。
夢で良かった。あの苛立たしい一日が現実じゃなくて良かった。
裕介はルーティーン通り、14度目のピで目覚ましのアラームを止めた。
夢は人生において不必要なものであり、何の役にも立たない。無粋な人種だってさすがにこの感覚は裕介と共有しているはずだ。夢を大真面目に取り上げるのなんてせいぜい夢占いの場面くらいだろう。裕介から言わせてもらえば、夢という空虚にさらに占いという空虚を重ねた夢占いほどのナンセンスはないのだが。
夢についてあれこれ考えることは時間の浪費でしかない。先刻の悪夢は当然に記憶の蚊帳の外に追い出した。
しかし、悪夢は温度覚から再び入り込もうとしてきた。悲鳴を上げてしまいそうなくらいにシャワーが冷たく、パネルを確認すると43度でなければならない水温が41度になっていることを発見した。既視感に襲われた祐介だったが、いや、と首を横に振った。単なる偶然だ。デジャヴなんて怪奇現象は現実にはありえない。
リビングから糸のこぎり同士をすり合わせるような愚妹の声が聞こえたときにも、裕介は同様に首を横に振った。
「お兄ちゃん、おはよう」
仮に裕介に妹萌え属性があったならば、このタイミングで声の主の、ボタンが上から3つ外れたパジャマからチラチラ覗く小さな谷間にブラジャーが装着されているか否かについての検証を始めたかもしれない。しかし、生憎、裕介は声の主をクリーニングに出したシャツに付いてくるタグくらいの余計な存在にしか思っていない。一瞬で愚妹の胸元から目線を外し、迷わずテーブル上のリモコンを拾って赤外線を飛ばした。
「ちょっと、お兄ちゃん、なんでチャンネル回しちゃうの!?今、いいところなのに!!宮本佐々木ペアがセットポイントだったんだよ!!」
宮本佐々木ペアとは男子ビーチバレーボールの日本代表である。
どこかの無人島で決闘を始めてしまいそうな名字の二人だが……ちょっと待て。この解説も夢でした記憶が……いや、これも単なる偶然だ。今や宮本佐々木ペアは猫も杓子も囃し立てるほどの人気者だ。ニュース番組からの刷り込みで裕介の夢に宮本佐々木ペアが出てくることだってありえるし、流行に乗せられて現実の愚妹が宮本佐々木ペアにお熱になることだってありえるし、その二つの事象が重なることだってありえる。
「ねえねえ!早くチャンネル戻してよ!!グランドライン進出がかかった大切な試合なんだよ!?」
それを言うならグランドスラムだろ……海賊王でも目指してるのか?……ってこのツッコミも懐かしい気が……いやいや、単なる偶然だ。
「宮本の二刀流トスを見逃したらどうするの!?」
だからどういう絵ヅラなんだよ……って、単なる偶然。単なる偶然。単なる偶然。
裕介が「単なる偶然教」の教えに従って頭の中で念仏を唱えている最中にも、愚妹はギャーギャー騒いでいた。
「ねえねえ、無視しないでよ!!人権侵害で児童相談所に訴えるよ!!」
いやだからもうハタチだろ。人権侵害の前に自分の人格障害を疑えよ……くそ、なんでこうも単なる偶然が重なるんだ。予知夢なんてSFの世界でしかあってはならないのに……




