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タイムループは終わらせない  作者: 菱川あいず
第1章ー無理強いするタイムループ
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はじまりの7月26日(3)

 頭がクラクラすることに裕介のもっとも信頼している上司からも邪魔が入った。


 バイトの女性事務員に呼び出されて課長室に行くと、小山こやま課長は仏頂面だった。裕介は彼のこれ以外の表情を見たことがない。


 「課長、どうしましたか?」

 仏頂面がコホンと咳払いをした。

 「実は、今日、友人とオペラを見に行く予定だったんだが、急遽きゅうきょ友人に用事が入ってしまったんだ。チケットが余ったから一緒に行かないか?」

 あの真面目な課長が業務中にアフターファイブの話を投げてくるなんて珍しい。


 「どこでやるんですか?」

 「阿佐ヶ谷だ」

 「阿佐ヶ谷?阿佐ヶ谷にオペラをやるような劇場なんてありましたっけ」

 「いや…その、正確に言うと、オペラではない。オペラ的なものだ」

 課長の声はデクレッシェンドしていき、語尾はくぐもって聞こえなかった。何かやましいことでもあるのだろうか。仏頂面は相変わらず崩れてないものの、一瞬目線が泳いだように見えた。

 「オペラ的?」

 「オペラのようなものだ」

 「演目は何ですか?」

 「オペラ座のカイチン…」

 「え?最後がよく聞き取れなかったんですが?」

 「オペラ座のカイチンだ」

 課長は仏頂面のまま言った。この場面ではドヤ顔と表現すべきかもしれない。

 カイチンにどのような字を当てるのかは想像したくもなかった。ポルノ映画だ。確実にポルノ映画だ。真面目一筋の課長の闇の部分を見てしまった。闇の部分があるのは構わない。ただ、それを裕介に対してカイチンして欲しくはなかった。

 


 それにしても、また阿佐ヶ谷か。裕介の職場から阿佐ヶ谷までは決して近いわけではない。裕介は過去に阿佐ヶ谷に行ったこともないし、同じ日に「阿佐ヶ谷」という単語を三度聞いたこともない。なぜ今日突然裕介の周りで阿佐ヶ谷ブームが始まったのか。単なる偶然だろうか。


 もっとも、余計なことを考えないことは裕介の十八番おはこである。臭いものに蓋をする気持ちで課長室の扉をピシャリと閉めた裕介は、何事もなかったかのように自分のデスクに戻り、処理途中の紙に「書類不備」と楷書体かいしょたいで加えていた。




 当然ながら公共団体のパソコンはサイバーテロ対策が万全に施されている。だから裕介は、見知らぬアドレスから届いたそのメールを一切警戒することなく開いた。

 「かすみです。私のこと覚えてる?今日は朝から身体が火照ほてってどうしようもないの。ねえ、今晩私と阿佐ヶ谷でデートしない?私のGカップの胸があなたに会いたくて会いたくて震えているの。待ち合わせ場所は以下のリンクをクリックしてね」


 誰だ。テロ対策の網の目をわざわざかいくぐらせてまで役所のパソコンに低俗な迷惑メールを送った奴は。文章にさりげなくバストサイズアピールを組み込んだつもりかもしれないが、不自然極まりない。

 にしても、また阿佐ヶ谷か。デート場所に似つかわしいとは思えないのだが…



 迷惑メールを削除した裕介はデスクトップの画面の隅に映った時計を確認した。午後4時46分。そろそろ業務時間が終了する。せめて残りの十数分間くらいは誰も裕介の仕事を邪魔しないで欲しいものである。



 ささやかな願いはさすがに叶い、裕介はお役所仕事だけをこなすことによって終業のチャイムにまでたどり着いた。


 「裕介、飲もうぜ。先に阿佐ヶ谷で待ってるからな。」

 大和は定時とほぼ同時に職場をあとにした。定時前から帰り支度を進めていないとできない芸当である。

 裕介は余計な残業をしたいとは思わないものの、早く帰りたいという気持ちもない。それゆえ、必要な残務処理と明日の仕事の準備にそれ相応の時間を費やした後にタイムカードに打刻した。




 今日はストレスが溜まる一日だった。業務がはかどり心地よい退屈に包まれそうになったところで誰かしらが邪魔をしてきた。しかも、どれも甲乙つけがたいくらいにしょうもなかった。思い出すだけで血管が沸騰しそうになるので思い出したくない。普段酒は一切口にしない裕介だが、今日くらいは家で晩酌したい気分だ。そんなことを考えながら、裕介は自宅方面の電車に乗った。ちなみに阿佐ヶ谷とは逆方向である。


 裕介は決まった時間に決まった行動をとるようにプログラムされた精密機械である。当然、乗る電車は毎日同じだった。自宅の最寄駅に到着する時刻は19時32分。


 電車に運ばれている最中、今日職場であったことについては何も考えなかった。余計なことを考えないことが裕介の十八番だ。 


 「これで誰でも4年で英語が話せる!」というすごいのかすごくないのかよく分からない英語教材の広告が貼られた戸がスライドし、目の前に見慣れた駅のホームが現れた。

 自宅の最寄駅に着いたのである。

 裕介は右足をホームに伸ばした。当然、次の瞬間には右足がホームを踏みしめるはずだった。

 −しかし、右足はどこに付くこともなく、突然裕介の視界は真っ暗になった。身体が上に引っ張られているにもかかわらず、皮膚がそれに抵抗せず延々と伸びていくような不思議な感覚が裕介を襲った。


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