塞翁が馬の7月26日(3)
「おい、若造、勘違いするなよ」
芝生を食むようにしながら、盗人が粋った。札束は依然として強く握られている。
「勘違いって何だよ!?どう考えても現行犯だろ!!」
起き上がることに苦戦している盗人よりも素早く立ち上がった裕介は、盗人の腰あたりで馬乗りになった。
「違う!!ワシは若造のためにやってるんだ!!老婆心だ!!」
「はあ!?オッサン、意味不明な言い逃れしてるんじゃねえぞ!?」
裕介の両手が盗人の首に伸びる。そのまま少しずつ指に力を入れる。
「くはっ……若造、何するつもりだ!?首から手を離せ!!」
「安心しろ。すぐに楽になれるからな……」
「ぐっ…苦しい…」
「フフフ。そうだ。もっと苦しめ。哭け。喚け……」
「おい!!そこで何をしているんだ!!」
裕介が声のした方角を振り向くと、そこには夏場だというのに厚手の紺色の制服で重装備をした男性が立っていた。
「警備員さん、やっと来てくれたんですね!このハゲたオッサンが俺の……」
そこまで言ったところで、強烈な力で裕介の右腕が掴まれ、捻りあげられた。予想外の展開に裕介の血の気が引く。
「違う!!俺はただ、このハゲを逮捕しただけで…」
「言い訳をするな!!親父狩りだろ!!お前、完全にヒトゴロシの目をしてたぞ」
裕介はうつ伏せの状態で警備員に確保された。右腕は関節技で固められているので、少しでも動こうものならば痛みで矯正される。裕介にできることといえば、ヒトゴロシの目で警備員を睨むことくらいである。
冤罪もいいところだ。
警備員の裕介を見下す目は、正義という名の美酒に酔った目だ。これこそが冤罪を生み出す目。
一部始終を見ていた競馬客もいるはずだが、誰も挙手して発言しない。いざこざに巻き込まれてレースを見逃すことだけは避けたい、という思惑が透けて見える。裕介と同じくらい近い距離でハゲたオッサンの犯行を目撃していた受付のお姉さんも我関せずで淡々と馬券を捌いている。
果たして誰も無辜の裕介を救ってくれないのか。
「おい、待て!!その若造は何もしてないぞ!!」
ジャンヌダルクは思わぬところから現れた。
いつの間にか立ち上がっていたハゲたオッサンが警備員に挑んだ。500万円の札束が見当たらないが、おそらく膨らんだズボンのポケットの中に隠されているのだろう。
裕介の腕を掴んでいた警備員の力が緩んだ。被害者本人による申告があったのだから当然だ。
「その若造とワシは芝生で戯れてただけだ」
「でも、あなた、首を絞められてませんでしたか…?」
「あれはプレイだ。警備員のお兄さんは普段そういう店には行かないのか?」
「つまり、二人の関係って……」
「そうだ。ご主人様と奴隷だ」
冤罪以上の汚名を被らされているんじゃないかという気がしなくもなかったが、とりあえずこの場をやり過ごしたい裕介は黙って頷くことにした。警備員は腑に落ちない様子だったが、臭い物には蓋をするべきだと思ったのか、これ以上の追及はせず、「公共の場では慎むように」とだけ告げた。
依然として訝しそうに眺めていた警備員にアピールするように、裕介はハゲたオッサンのケツを蹴飛ばし、「ほら、ブタ野郎、突っ立ってないでさっさと行くよ」と吐き捨て、大股でその場を離れた。ハゲたオッサンは従順にも裕介の後を追うようにしてついてきた。




