発掘の7月26日(4)
「みんな、聴いてくれてありがとう。今歌った曲は、ドリカムのカバーで未来予想図Ⅱでした」
息継ぎの失敗の連続による苦悶の中、壮絶なクライマックスを歌い上げた少女のアナウンスによって、裕介はオリジナル曲だと思っていた曲が自分もよく知っている曲だったということを知った。原曲を跡形もないくらいに自分色に染め上げてしまうのも一種の才能だといえる。
「ブラボー」と快哉をあげたい気分だったが、心の中でするに留めた。感情を発露することも、場を盛り上げることも裕介の役割ではない。
それはヲタクの役割だ。
チラリとヲタクの方に目を遣る。ヲタクは口元をニヤつかせるだけで一切声を発しようとしない。
その代わり、スケッチブックを遺影のように両手で持っている。少女に向けられたページには、数字の8が横並びに列を作っていた。
それを見た少女は、聴衆の誰一人として手を叩いていないのにもかかわらず、「拍手ありがとう」と笑顔を見せたので、もしかしたらその暗号は「拍手」を意味するのかもしれない。
「今日はみんな、私の歌を聞いてくれてありがとう。今日はみんな何してたのかな?お仕事帰りの人、手を挙げて」
該当者の多そうなアンケートであるにもかかわらず、聴衆は誰も手を挙げなかった。大半がスーツ姿でビジネスバッグを手に持っていたのにもかかわらずである。さしずめ連中は胸と太もも以外には一切興味がないといったところか。それとも、少女の奇声に耳を傷めないように聴覚を塞いでいるのだろうか。どちらにしろ、なんたる無礼者の集まりなのだ。
無反応の人々に対して、少女はあからさまに反応に困っていた。
真実はニート同然の一日を過ごしていた裕介が気を遣って手を挙げるべきか悩んでいると、ヲタクが再び胸より低い位置でスケッチブックを掲げた。
「はーい」
と、太い黒マーカーで書かれていた。インクの光沢が残っていることからして、たった今書かれたものらしい。確実に挙手した方が早いし楽だ。裕介にはヲタクの魂胆が分からない。
うふふ、と、少女がヲタクに対して笑みを投げかける。正直言ってかなり羨ましい。
「何のお仕事してるの?」
少女が問いを発し終えるやいなや、ヲタクがスケッチブックにペンを走らせる。きゅっきゅっという音とともに、ヲタクの枯れ枝のような腕が左から右へとスライドしていく。
ヲタクのような社会不適合者でも就ける職業なんてあるのか、と気になっていた裕介は、披露されたスケッチブックを注視した。
「ソーサラー」
それはネットゲーム上の職業だろ!お前、完全にニートだろ!…と、手が出そうになったところをすんでで止めてくれたのは、自分も今日一日ニートだったという心の疚しさだった。
「この前は僧侶って言ってたじゃん!転職するの早過ぎ!」
どうやら職業アンケートとそれに対するヲタクの回答の流れはライブの恒例行事だったようだ。少女はヲタクに対して拗ねた顔をしてみせた。正直言って死ぬほど羨ましい。
しかし、ヲタクの集中力は少女の方ではなく、既に白い画用紙の方に向かっていた。ヲタクがニヤニヤしながらスケッチブックを翻す。
「あはははは」
おい。いい加減にしろ。声に出せ。いちいちフリップが完成するのを待つのは時間の無駄だ。ライブでファンがフリップを使うのは、広いコンサート会場でアーティストに声が届かない場合であって、こんな至近距離で使う必要は一切ない。
お前、ヲタクなんだろう?ヲタクだったら、もっと声を出せ。場を盛り上げろ。




