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タイムループは終わらせない  作者: 菱川あいず
第2章ー濫用されるタイムループ
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衝撃の7月26日(7)

 「ゆうたん、今日は楽しかったね」

 「ああ。そうだな」

 「帰りたくないなあ。今日が毎日続けばいいのに」

 あたかもゆうたんが巻き込まれている怪奇現象を暗示するような発言だが、目を細くして沖の方を眺めているやよたんにはおそらくその魂胆はない。


 「ねえ、ゆうたん、最後にもう一度だけ海に入らない?」

 「え?さすがにもう寒いんじゃないか?」

 周りに街灯や民家がないためでもあるが、辺りはすっかり真っ暗である。いくら夜間の気温が30度を超えているとはいえ、日差しがあるのとないのとでは大違いだ。


 しかし、ゆうたんの心配をいて、やよたんはあははと妖精のように笑いながら波間に向かって走り出した。手はギュッと握られているため、当然ゆうたんも引っ張られてついていく。

 まだ日の入りから30分程度しか経っていないからだろうか、足先が水に浸かったが、全然冷たくない。続けてふくらはぎまで水に浸かったが、そこまで冷たくない。そのまま腰まで水に浸かったが、我慢できないほどは冷たくない。お腹まで水に浸かった段階で、さすがに冷たいからやめとかない?とは思ったが、やよたんは顔をこわばらせるゆうたんを一切気にすることなく沖の方へと進んで行く。


 「ちょっと、浮き輪がないけど大丈夫か?っていうか、服着たまんまだけど危なくないか?」

 「大丈夫。人間には浮き袋があるから」

 「ないぞ?魚にしかないぞ?」


 足が地面から離れたとき、案の定沈みそうになった。

 ゆうたんの足は水中で必死でもがく。当然やよたんも同じように必死になっているのだろうと思ったが違った。人魚のようにするするとゆうたんの正面に回り込むと、ゆうたんの目をジッと見つめ始めた。


 −可愛い。

 やよたんは今流行りのアイドルや女優さんよりも確実に可愛い。この大きな瞳と小さな顔は各務かがみ家の血筋の誰にも似ていない。もしかしたら、何らかの事情があってゆうたんとは血が繋がってないのかもしれない。だとしたら、ゆうたんにはやよたんをギュッと抱きしめることが許されている。あがくことをやめると、意外と体勢は安定し、水に沈む心配はなくなった。



 ゆうたんがやよたんの腰に手を回そうと腕を伸ばした瞬間、水の中で何かが背中を撫でるような感触がした。

 なんてことはない。どうせやよたんの細い指だろう。と思っていたら、背中に電気ショックを受けたような激痛が走り出した。

 助けを求めようとしてやよたんの方を見ると、水面から稲穂のように伸びたやよたんの手の先に透明なひもがぶら下がっていた。


 「カツオノエボシ、通称電気クラゲ。さっき海岸に打ち上げられてた触手を拾ったんだ。日本で一番強い毒を持ってるんだよ」


 愚妹はあははと悪魔のように笑うと、その触手を今度は自分の首元に当てた。


 「痛い!!こんな痛いのに悲鳴をあげないだなんて、やっぱりお兄ちゃんはさすがだね」


 愚妹は笑いながら、触手を鞭のように振り回し始めた。裕介の身体の当たった箇所にすかさず電気が走る。

 完全に狂人だ。さすがの裕介もこんな状態では冷静ではいられない。裕介はすっかりパニック状態に陥り、手足をバタバタさせて水しぶきを高く上げた。


 「おい。愚妹、どういうつもりだ?」

 口に入ってくる水を吐き出しながら、裕介は精一杯の言葉を発した。


 「私ってバカじゃん。私には見た目の可愛さしかないから、年を取って容姿が衰えたら魅力がなくなっちゃう。価値がなくなっちゃう。だから、若いうちに、オバさんになる前に死のう、ってずっと思ってた。綺麗なままで死にたい。で、どうせ死ぬなら、人生で一番幸せな日に死にたい、って思ってた。最高の記憶を脳に焼き付けたままであの世にきたい。私、バカで忘れっぽいからさ。こうでもしないとあの世で楽しい記憶もすぐに忘れちゃうかな、って。今日は最高の1日だった。これまでもこれから先も私の人生にこんな素敵な1日は訪れない。だから、死ぬなら今日しかない。お兄ちゃんには悪いとは思ってる。でも、お兄ちゃんにも一緒に死んでもらう。私の人生で一番幸せな日は、お兄ちゃんにとっても一番幸せな日じゃなきゃダメから。お兄ちゃんをこのまま生き長らえさせてさらなる幸せな日を作らせるわけにはいかないの」


 バカでノーテンキな女ほど案外心の闇を抱えていることはままあるが、愚妹の心の闇の深さがここまで底なしだとは思わなかった。

 しかも、やはりバカなので論理は呆れるほど破綻している。こんなめちゃくちゃな論理に従って自分を殺し、他人も巻き添えにするなんてあってはならないことだ。

 しかし、愚妹は現に実行している。



 毒が全身に回ってきたらしく、徐々に身体が言うことを聞かなくなってきた。水を吸い込んだシャツとズボンは鉛の重りと化している。口に入った水を吐き出す気力ももうない。水面に顔がかろうじて出ていたとき、最期に見えたのは、カツオノエボシの触手をマフラーのように首に巻きながら悦に浸る愚妹の笑顔だった。

 

 水中に沈んでからはクラゲの毒素に絶望が相俟あいまって、スーパーカーのようなスピードで意識が遠のいた。


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