衝撃の7月26日(6)
雲にも高い建物にも遮られることなく一直線に砂浜まで届く陽差しは、10年前と変わりなかった。
自然と視界が足元へと向くのは直射日光が目に入るのを避けるためであり、不意にサラサラの砂粒に足が飲み込まれないように見張るためである。
ビーチサンダルを履いていても地面の熱が足の裏に伝わってくる。裸足の愚妹は、熱い、熱い、と連呼しながら、つま先で砂浜を蹴っている。愚妹の格好は海水浴でいうところの完全防備、つまり、ビキニに浮き輪にゴーグルだ。歩幅は小さいにもかかわらず、眼前にある青い海との距離を詰めるのは裕介よりも早かった。子供のように駆けていたからだ。
「ねえねえ、お兄ちゃん、早く来て!海だよ!」
「そこまで近寄らなくても十分見えてるよ」
平日ということもあり、海水浴客はあまり来ていなかった。海の家のおじさんも手持ち無沙汰で海岸の方まで出てきている。
愚妹の特徴的なアニメ声は、各務兄妹をもっとも目立つ海水浴客に仕立てている。海の家のおじさんも、あたかもバカップルを見るような生暖かい目でこちらを見ている。心外だ。彼女というよりはペットに近い存在だから。興奮しすぎているためか、発声が言語の体をなしておらず、愚妹は海に向かってキャンキャンと鳴いていた。
「あまり深いところにまで入っていくなよ」
少し目を離した隙に、愚妹が太ももの辺りまで水に浸かっているのを見つけた裕介はすかさず注意する。愚妹はピンク色のビキニのアンダーを海水で湿らせたところでようやく振り返り、「はーい」と返事をした。
言うまでもなく、10年経っても裕介のレジャー嫌いは治っていない。しかし、愚妹から鵠沼海岸に誘われたとき、断る理由が見つからなかった。タイムループが続いている限りは仕事に行っても徒労になる。しかも、今日に関しては無断遅刻している職場にひょっこり顔を出すことはハードルが高い。
そして、何より、裕介から仕事を取ったら何も残らない。何もすることがない。
よくよく考えてみると、裕介がレジャーが嫌いな理由は「時間の浪費」なのだから、時間が無限にある現状においてはレジャーを毛嫌いする必要もない。
「ね、お兄ちゃん、気持ちいいでしょ?」
あまりに愚妹がしつこく誘うので、裕介も上着とサンダルを脱ぎ、海に浸かることにした。たしかに気持ちいい。透明に透き通った水が小さな波となって次々と身体にぶつかり、程よい刺激を与えてくれる。浮き輪に乗っかた上半身に降り注ぐ熱い放射と、浮き輪の下側で身体を覆う冷たい海水のコントラストが絶妙だ。眠気は全くないが、このままずっと目をつぶって波に漂っていたいと思う。
「ああ、気持ちいいな」
「でしょ」
水の中で何かが背中を撫でるような感触がした。
くらげ?と一瞬ビクッとしたが、なんてことはない。愚妹の細い指だった。俺がビクッとするのを見て、愚妹は悪戯っぽく笑った。
「幸せだね。22年間生きてきて今が一番幸せかもしれない」
「あれ、弥生、今日で20歳になったんじゃないのか?」
「ええ、お兄ちゃん、ヒドイ!もう私、22歳だよ!……あれ、21歳だっけ?20歳?どっちだっけ?」
マウスよりも小さな脳みそを持った愚妹と、愚妹に対して蚊ほどの関心も持たない裕介の二者間ではこの答えは一向に出なかった。
この後、各務兄妹はハシャぎ、遊び回った。そう、バカップルのように。
例のアレもやった。アレ。砂浜で追いかけっこをしたり水をピシャピシャ掛け合ったりするアレ。周りの人間の視線は痛かったが、気にすることはない。タイムループの手により、どうせ彼らの記憶はリセットされるのだから。
それにしても、遊ぶことがこんなにも楽しいものだとは思ってもみなかった。今までは時間が無駄だとか仕事があるだからとガーガー喚いて遊びを避けてきたが、どうやら食わず嫌いだったようだ。精密機械にもちゃんと人間らしい側面があったようだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。そもそも家を出る時間が遅かったため、日が暮れるまでの時間は限られていた、ということもある。
裕介と愚妹、いや、もうそんな呼び方をするのはやめよう。今回の遊びを通じて、二人はすっかりと打ち解け、裕介が弥生を見る目は完全に変わったから。
ゆうたんとやよたんは、他の海水浴客がみんな帰った後も名残惜しげに海へと近づいていった。手は指を絡めるようにして握られている。




