衝撃の7月26日(3)
「鵠沼海岸といえば何か思い出さない!?」
「何を言わせたいんだ?」
「何か思い出さない?」
「さっさと答えを教えろ。」
「え?さっきと態度が真逆だよ?」
仕方ない。少しだけ考えてみよう。
裕介が鵠沼海岸に行ったのはずっと昔。たしか10年以上前。家族旅行で行った覚えがある。何かイベントがあった気がする。えーっと……
「愚妹の誕生日……」
「正解!!……って、グマイって誰のこと?私?」
「もちろんそうだが、人権侵害で児童相談所に訴えるとか下らないことを喚くなよ」
「児童相談所?お兄ちゃん、何言ってるの?私もう大人だよ??」
こいつ……自分に記憶がないからといってトボけたことを言いやがって……
「っていうか、グマイってどういう意味?グッバイマイエブリシングの略?」
なんだその断捨離的な言葉は。面倒なのでウンウンと頷いてはおくが。
「なんかおしゃれだね。本当は弥生って呼んで欲しいけど、グマイでもいいよ」
実に愚かな妹である。
さすが座学科目の試験の点数がすべからく一桁台であったにもかかわらず、その愛嬌と人懐っこさだけを武器に内申点をガッポリ稼いで高校卒業に漕ぎ着けただけはある。
先ほどはつい口が滑って「愚妹」と呼んでしまったが、仮にその呼び方をしていることが周りの人間に伝われば裕介の世間体に対してリスキーだ。愚妹と呼ぶのは心の中だけにしておこう。
「で、大昔、弥生の誕生日に海に行ったことがどうかしたのか?」
愚妹はわざとらしく眉間にしわを寄せた。感情の発露ではなく、裕介に自分が不機嫌なことを伝えるための表現だろう。
眉は整っていないわけではないが、細かったり短かったりすることもなくナチュラルで平行。決して高いわけではないが小柄で目立たない鼻。口角が少しだけつり上がった少しだけ厚い唇。
この大衆迎合的なルックスが愚妹にとっては災いだった。スキャンダルを追及されている国会議員のように「忘れた」「分からない」という言葉を繰り返していても、センサーの壊れたルンバのように歩くたびに壁や電柱にボンボンぶつかっていても、「天然」「可愛い」「ドジっ子萌え」という好意的な評価が隠れ蓑になり、誰からも脳の欠陥を指摘されることはなかった。幼少期や少年期であれば馬鹿にも付ける薬があったはずなのに、ただただチヤホヤされて今日まできてしまった。この悲劇的な妹が作られてしまったのは、神様のミスのせいであると同時に周りの人間の責任でもあるといえる。
「ねえ、お兄ちゃん、ちゃんと考えてくれてるの?」
「何を考えればいいんだ?」
「え?お兄ちゃん、馬鹿なの?」
上った血が頭皮を突き破って大噴火する寸前だった。この馬鹿は自分が馬鹿だということを認識した上で兄を馬鹿にしているのか。それともこの馬鹿は自分が馬鹿だということすら分からないくらいの馬鹿なのか。
あまりに屈辱的だったので、仕方なく会話の流れを思い出してみる。
たしか、愚妹の誕生日に鵠沼海岸に行ったことについて話していたはずだ。あの日、何かあっただろうか。とりわけ愚妹に関連することで…ダメだ。海水浴の時に飲み込んでしまった水の塩辛さや海の家で提供された醤油ラーメンの麺が伸びきってうどんのようになっていたことくらいしか思い出せない。
なんせ10年も前のことだ。そもそも、あの日、愚妹がその場にいたかどうかすら思い出せない。とりあえずその旨を正直に伝えてみよう。
「弥生が海にいたことすら思い出せない」
愚妹の眉間のしわがさらに深くなることを覚悟した回答だったが、意外にもしわは弾け飛び、代わりに瞳孔の大きさが5倍くらいになった。
「正解!さすがお兄ちゃん、天才だね!」




