第一章 43 逆鱗に触れてみよう
「ソ、ソメヤさんっ!あ、あの子っ!」
シノハラさんが小声で僕に伝える。僕も認識している事に気が付くと彼女は身をかがめて雑誌を広げ顔を隠した。黒髪の少女忌避の「アンジェ」はカウンターで飲み物を注文しているようだった。僕はじっと彼女を見据えた。シノハラさんが「バレますよ、そんなに見たら…」と心配そうに言う。
注文を終えたアンジェは店内を見まわし、すぐに僕を発見したようだった。
「ほ、ほら、見つかっちゃいましたよ、あの人来ますよっ!」
慌てるシノハラさんを落ち着かせて、アンジェが近づいてくるのを僕はじっと待った。僕らのテーブルで立ち止まった彼女は酷薄そうな笑みを浮かべた。
「やはり来たなソメヤ・タカキ。待っていたぞ。」
そう言ってアンジェは僕の向かいの席に座った。ラフに席に座るとストローをくわえてカフェオレを飲み始めた。
「ほう、お前もアイスカフェオレか。気が合うじゃないか。」
「ええ、ただ、そう言われると今後アイスカフェオレが嫌いになりそうですけどね。」
「ふっ、なんだ、随分つれないじゃないか。まぁ、ナイフで腹をえぐられた相手じゃ仕方がないか?」
さして興味もなさそうに再び彼女は冷たい笑いを、その白くて美しい顔に貼り付けていた。シノハラさんが雑誌越しにその光景を見ていたが、彼女の恐怖が僕にも伝わってくるほど、彼女は慄いていた。
「先ほどやはり来たなとおっしゃいましたが、僕もやはり来るのを計算していたんだなと思いました。」
「当然だ、いずれここに私たちがいる事は知れるだろう。そうすれば必ずここに来る。だが、ここでは戦闘などしようもない。ならば、お前はきっとここで私と話をしに来る。至極単純な推測であろう。」
「ですね。今日会えるとは思っていなかったんですがね。要するに時間稼ぎは終了したと言ったトコロですか?」
ただでさえ表情の乏しいアンジェの顔からさらに感情が消えた。
「お前のその先を見通したような物言いは、改めて腹にナイフを突き刺したくなるほど不快極まりないな。しかしなぜそのように思う。」
「あなたは僕らと戦った日、『たっぷり恐怖を与えて殺すのが趣味』だからと言って去って行った。そして『いつでも気が向いた時に襲いに来る』と言い残し僕らの恐怖を誘った。だが、その後、僕らを襲ったのは街のゴロツキ程度で、さらにそれも散発的に行われただけだった。
あなたがどういう理由であの日あそこで僕とナガイ君にとどめを刺さなかったのは分かりませんが、もしかしたらそうせざるを得ない『本当』の理由があったのかもしれないと思ったんです。
恐怖を煽ったのは仲間、もしくは戦力と呼んだほうが正しいのでしょうか、それを呼ぶための時間稼ぎだったんですか?確かにあれにより、あなた達の捜索に割いた人員は極端に少なくなってしまった。その分ここを発見するのも遅くなってしまいました。」
僕の長い話をアンジェは相変わらずの無表情で受け止めていた。飲み干したアイスカフェオレの氷が解け、傾いた音が涼し気に響いた時に少しで笑みを浮かべ口を開いた。
「なかなかの観察眼だ。概ねお前の言う通りだよ。だけど気が付くのが遅かったようだね。そう、もう戦力は整いつつある、後はお前たちを叩くだけだからね。」
「と言いつつ、右手で刀剣的なモノを握るのは、どこかで僕を評価してもらっているって解釈していいんですか?」
アンジェは手をかけていたスカートの裾に隠してあった刀剣から指の力を抜いた。
「貴様……一体。」
「いろいろ見えるんですよ。僕。あなたの右胸の下にあるホクロはとてもセクシーですが、下腹部の蝶のタトゥーは趣味が悪いですね。とかね。」
意外な事にアンジェは顔を赤らめ、怒りの表情を浮かべた。
「貴様は必ず私が殺す。貴様のはらわたをすべて掻き出して犬の餌にしてやるわっ。」
「残念ながらいろいろ見える僕にも未来の出来事は見えません。そうならないように気を付けますよ。」
アンジェは憤怒のオーラを全開にして席を立った。
「あっ、最後に一つだけ。鎌をかけてみたんですけど、あなたは先ほど「仲間」ではなく「戦力」という言葉を使った。そこで、新たな仮説ですが、その戦力とは人間ではなく……モンスターとか?そしてそれこそが、あなたを縛っていた僕らを葬るのに障害となっていた存在とか……。この世界のシステムを維持するのにもしがらみがあるんですかね?」
赤面していたアンジェの顔色は今度はどす黒く変色した。
「無表情なようで意外と分かりやすい。見た目通りお子様なんですね。おや、でもさすがにキュートなお尻は青くないようですね。」
僕は手で望遠鏡を作り彼女のお尻を見るジェスチャーでさらに挑発した。
アンジェは何も言わずに退席した。その後ろ姿は怒りで打ち震えているように見えた。
「ふぅ~。こんだけ怒らせておけばいいかな。」
不意にシノハラさんが僕のマジック・ミラーを外して自分でかけた。
「うーん、ただの伊達眼鏡ですね。あれってはったりで言ってたんですか。」
「あ、ああ、うん、まぁ、そんなトコロ……。」
シノハラさんは「ふーん」とかなり訝し気に僕にマジック・ミラーを手渡した。
「でも、なんであそこまで怒らせる必要があるんですか。かなりヤバいレベルでしたよ。」
呆れたように言うシノハラさんに、僕は残ったアイスカフェオレの氷をストローで転がしながら言う。
「あのヤバい人の凶刃が他の人に向かないようにって考えたら、これが一番効くかななんて思ってね。」
シノハラさんがそれを聞いて涙をボロボロと零し始めたのには、正直驚きを隠せなかった。彼女は「不覚にもちょっと感動してしまいました」と言った後、「でもミシマさんよりもオオバカヤローですね」とミシマさんにも、僕にも大変失礼な発言をしたのだった。




