第二章 61 ヴァンパイアの居城にて
「あの魔法は膨大な魔力を必要とするハズだ、しばらく様子を見るしかないかもしれないぜ。」
おっさん……、もとい、ブラド・ドラグールさんはセイラさんの頭を撫でながら言った。
「ブラドよ、このフィールドを汚した者どもをどうする?」
不意に話しかけてきたのはライカンスロープの長であるガルカイクさんだった。ライカンスロープと冒険者達の戦闘はすでに終了していたようだったが、何名かの冒険者達が拘束され縄で縛られていた。
「解放してやれよ。さすがに今回の事で懲りただろうよ。それでも、またこのフィールドに現れる根性があるなら、今度は俺が相手をしてやるよ。」
冒険者達は一斉に首を横にぶんぶんと振り、2度と参りませんと完全否定した。ライカンスロープ達は冒険者達を解放し、自分達も居住地に帰っていった。ガルカイクさんが現れた瞬間から直立不動になっていたナガイ君だったが、ガルカイクさんに何か耳打ちされたようでその額に玉状の脂汗をいくつも作り出していた。
「私はナガイが気に入ってしまった。また会いに来てくれると嬉しいぞ。」
その言葉を聞いていつもなら小躍りするハズの彼が、緊張でカチカチなっていた。一体何を言われたんだろう。
そんなやりとりで少し気が緩んだ瞬間だった。その奇声はもはや、人外のものとしか思えない程のおぞましさを持って乾燥した荒野に響き渡った。
「ぐぅぅるるぅぅぅぅぅ!貴様ら!絶対に許さんぞ!必ず殺してやるぅぅぅ!必ずだぁぁ!」
ナコルスの嗚咽するかのような金切り声だった。さすがに回復力は尋常じゃあないようだ。ナコルスを肩で支えている二コラ・フランメルは憎悪の表情を僕に向けて魔法を詠唱した。ゲルフ・バンブー邸で見せたものと同様の転移魔法だろう。凄まじい光の渦に包まれて2人の姿はその場から消えた。
「くそっ!奴を取り逃がすとは!ぬかった!」
ツボミさんが口惜しそうに砂を蹴った。だが、誰もがもうあの男と関わりたくないと感じていたのか、その後ナコルスの事を口にする者はいなかった。
セイラさんの事はともかく、まだその場での緊張感は持続していた。その張りつめた空気はレベルさん、シャロンさんと、ブラドさんの間に流れているもののようだった。
ジンチョウゲの花の咲くあの通りでシャロンさんがレベルさんに呟いた言葉……
「きっと、殺されてしまうわ……。」
僕はヴァンパイアハンターであるマリウスさんがレベルさんを……、と考えていたが、実際にはその「殺される」相手はブラドさんの事だったのだろうか。それほど、その空間には強い緊迫感が漂っていたのだ。
「そのお嬢ちゃんの体調の事もある、まずは俺の屋敷に行くぞ。」
ブラドさんはそう言って背を向けて歩き始めた。その言葉は絶対的な力を持っていたようで、誰もが何も言わずに彼の背中を追っていた。
ブラドさんの屋敷(それはもはや城と形容した方が正しい)は、その戦場からほんの数分の所に存在していた。但し、通常は強い結界を張っているそうで、そうやすやすとたどり着けはしないそうだ。
「悪いな、最近は訪問者もいないんで、もてなしも出来ないが好きにくつろいでくれ。ああ、ソメヤ、お前は俺と来い、あと、お前らもな。」
ブラドさんはなぜか僕とシャロンさん、レベルさん、マリウスさんを呼び寄せた。僕はみんなにセイラさんの様子を見ていてもらうのと、それぞれ休んでいて欲しいと告げてブラドさんに従った。
招かれたのはブラドさんの自室のようだった。しばらく待たされたが、その間、僕達は声を発する事もなくただソファに腰を下ろしていた。ブラドさんはいつものボロボロの服を着替え、いわゆるヴァンパイア的な服装、レベルさん同様に漆黒色の夜会服風の礼服を着ていた。ぼさぼさの髪も整えられており威厳と荘厳さ携え、畏怖の念を抱かさせる風格が電撃のようにビシビシと肌に伝わって来た。
「すまんな、待たせた。」
そう言って中央のソファアに深く腰を降ろすと、ブラドさんは僕に対して証人としてこの場に呼んだのだと一言告げた。
「お前には状況を伝えた上で、俺がこいつらの罪に対して与える罰を記憶しておいて欲しいのだ。そうだな…ここまでの顛末はレベル、シャロン、マリウス、お前らがソメヤに語ってやれ。」
いつもの穏やかさが影を潜めて、緊張してこわばった表情でレベルさんが頷いてから口を開いた。話の概要はこのようなものだった。
元々、レベルさんとマリウスさんは学生時代からの親友だったそうだ。疾病においての臨床研究や基礎研究を行う医療科学を専攻していた優秀な学生だったようだ。その中で彼らは医療における免疫力の向上について研究をしていた。その究極の存在として超再生能力を有しているヴァンパイアの存在に行きつくのにさほど時間は要しなかった。
この街に来たのもブラド・ドラグールという絶対的な、ヴァンパイアの王の存在を知ったからだ。彼らは苦心の末にブラドさんに行きついた。ブラドさんもヴァンパイアと呼ぶにはひどく気さくな性格なだけに、彼らに興味を持ち、彼らの話に真摯に耳を傾けてくれた。
世界で苦しむ患者を救いたい。そんな若い学生たちの熱意にブラド・ドラグールは感銘すら受けていた。そして、彼らの研究に積極的に協力を始めた。そんな中、彼らはシャロンさんに出会った。ブラド・ドラグールの1人娘であるシャロン・ドラグールに。
美しいシャロンさんにレベルさんも、マリウスさんも惹かれた。だが、人間とヴァンパイアが相いれない事も十分に分かっていた。分かっていたハズだった。
そんな若者たちの心の機微に敏感に気が付いたブラドさんは、マリウスさんとレベルさんに研究の打ち切りを告げた。ブラドさんがこの辺境の地に居を構えていたのは、ヴァンパイアという種の拡散の抑制を目的としていたからだ。
不死に近いヴァンパイアは無作為にその個体数を増やしてはならない。それがヴァンパイアの掟なのだそうだ。確かに不死の種族が増え続けていけば、この世界はヴァンパイアで埋め尽くされてしまうだろう。
僕はその話を聞き及び、生物の「死の起源」を思い出した。生物はより優秀な個体を後世に残すために、旧態の遺伝子を消去する寿命という形の死を選択したという説だ。すでに完成されたヴァンパイアという種族にとって、「進化」というシステムはもはや不要なのだろう。それゆえの「不死」。
だからこそヴァンパイアは個体を増やす事を自ら抑制し始めた。そして、人間である者の運命をも激変させる事(つまりヴァンパイアへの感染)もまた是とはしなかったのだ。ブラドさんはシャロンさんと彼らの間でその慣例を破る事が起きるのを懸念したのだ。
マリウスさんはブラドさんの言葉に従い、彼らとの関わりをすぐに絶った。しかし、それはヴァンパイアの掟を理解しての事ではなかった。マリウスさんはシャロンさんの心がレベルさんにある事を知っていたのだ。
そして、レベルさんとシャロンさんは…。
彼らの心は物理的な距離に引き裂かれる事で、皮肉にもさらにお互いを求めるようになっていった。
ある時シャロンさんは人間であるレベルさんがいずれ自分の前からいなくなる事に恐怖したという。寿命と言う避けられない事実にだ。そして、ついにはシャロンさんはヴァンパイアの禁忌を犯す事になった。レベルさんの首筋にその艶やかな唇を当てると、ゆっくりと牙を沈め彼の血をすすった。その際に血管を通してヴァンパイアウイルスは心臓から全身へ運ばれ、彼をヴァンパイアへと変化させた。本来のヴァンパイアウイルスの伝達方法だ。
ちなみに、マリウスさんはレベルさんの血液から様々な抗体に作用する血漿を取り出し、それを経口摂取によりヴァンパイア化せずに超人的な力を手に入れた。これはおそらくナコルスも同様だろう。
では、僕の場合は?
今思い出しても夢のような時間であったが、「みずいろ庵」でのシャロンさんの濃厚な口づけ、あれが感染経路だったのだ。シャロンさんの唾液にも当然ヴァンパイアウイルスは含まれている。これはマリススさんの研究により明らかになった簡易的なウイルスの媒介方法なのだそうだ。
正確にはマリウスさんや、ナコルスのように完全なものではなく、かなり限定的な肉体改造に留まると言う。例えば超回復力はあるが身体的能力が向上する方法ではないそうだ。つまり、僕がナコルスに太刀打ちできる道理なんて、初めから微塵もなかった訳だ。
何はともあれ、シャロンさんがあの時、僕に超回復能力を与えてくれていなければ、僕は確実にナコルスの手によって葬られていただろう。
禁忌を犯したシャロンさんとレベルさんをブラドさんは許さなかった。ブラドさんは彼らを因習に従い抹殺すると宣言した。シャロンさんとレベルさんはその言葉に従うと、2人でブラドさんの前で頭を垂れた。それを制したのはマリススさんだった。彼はブラドさんに自分がレベルさんを人間に戻すと進言した。そんな事は不可能だとブラドさんは相手にしなかったが、マリススさんの真剣な眼差しに機会を与える事にしたのだ。但し、それには冷厳なる条件を付けた。
もしマリススさんの研究の結果として、レベルさんを人間に戻す事が出来なければ、マリウスさんの手でレベルさんを殺す事だった。マリウスさんは無言でその指示に従ったと言う。こうして彼は肩書をヴァンパイアハンターとし、日々、ヴァンパイアを人に戻す研究を続けつつ、一方でヴァンパイアを抹殺する技術を磨いた。
「なぜ、そんな苛烈な条件を?」
僕は話の途中でブラドさんに問いかけた。
「それほどシャロンの犯した罪が重大だったって事だ。この数百年、少なくとも俺の知るかぎりで禁忌を犯したヴァンパイアはいないからな………。そしてもう一つ、マリウスの本気を見たかったんだ。俺もどこかでヴァンパイア化した人間を元に戻す方法が見つかるのかもしれないと思ってな……。」
「もうひとつ、聞かせて下さい。レベルさんがフィールドを放浪していた理由と、シャロンさんがみずいろ庵で働いていた理由は?」




