第二章 51 指切りげんまん
その夜、簡単に明日からの予定をデルさんと確認して、僕は安静にと言う事もありカオスポケッツで運んだ家の自室で横になっていた。体調は決して悪くなかったのだが、目の前で人が崩れ落ちていく光景はなかなか記憶から排除する事が出来ず、心は正直引力の影響をモロに受けて沈み込んでいくのだった。なるべくそれについて考えないように、という努力をすればするほど無意識化にそれを思い浮かべてしまう。それはそうだろう、考えないようにという時点で、正確には「考えにように」とそれについての事柄を考えてしまっているのだから。
人は「無心」になろうとする時、決まって「無心になろう」と考え、決して「無心」になる事はないんじゃないかと、「悟りの境地」からは、程遠い位置で生活する僕は思うのだった。
僕はすぐに眠るのを諦めて、昔から眠れない時に行っていた「羊を数える」的なおまじないを始めた。当然捻くれ者の僕は素直に羊を数えたりはしない。
「デメニギスが一匹、ミツクリザメが一匹、ポンペイワームが一匹、ブロブフィッシュが一匹、ビーナスフライトラップアネモネが一匹……」
などと深海生物を一匹ずつ数えると言うのを行っていた。まぁ、あまりこれで寝付ける事も少ないのだが……。ちょうど「ダイオウグソクムシ」を数え終えたところでドアをノックする音がした。そうは言ってもすでに深夜に近い時間のはずで、一体誰だろうと思ったのだが、起きるのも億劫だったので「はい、どうぞ」とだけ答えた。
「ソメヤさん、起きていました?」
申し訳なさそうな表情のシノハラさんがドアの隙間から覗いた。
どうやら体調を心配して様子を見に来てくれたらしい。
「大丈夫だよ。多少、だるい感じもあるけれど、痛みとかはないし。ただ、ちょっと寝つきが悪いだけだから。」
「実は私もなんだか眠れなくて。」
「うん、やっぱり、目に前で人がああいう状態になるとね……。」
「ええ、それもあるんですけれど、私、心配で……。」
シノハラさんは憂鬱そうな表情を僕に向けた。薄暗い部屋の中でわずかな外光に、彼女の顔の輪郭が幻想的に照らされている。憂鬱そうな彼女の顔を、不謹慎にも僕はとても綺麗だと思ってしまった。
「心配って?ヴァンパイアに会いに行くって事が?」
「ううん、ソメヤさんの事が。」
シノハラさんはそう言うと、さらに表情を曇らせた。僕は本当にもう体は大丈夫だと言ったが、顔を横に振ってそういう意味じゃないと言葉を遮った。
「今日だってソメヤさん死んじゃってもおかしくなかたんですよ。始まりの街でもお腹刺されてたし、この先いろんな怖い人達やモンスターと戦わなくちゃいけないかもしれないじゃないですか。ソメヤさんはバカでオッチョコチョイでヘタレで……。」
おいおい。いや、全部あっているけれど、そんなに矢継ぎ早に言わなくても。体は大丈夫でも、心は凹んでいるんだぜい、シノハラさん。
「それなのに、優しいから心配なんです。無茶ばかりするから。」
僕は茶化してこの場を収めようとしたが、シノハラさんの目に光る涙を見てそれを止めた。でも、僕が無茶するのは優しいからなんて、ちょっと買い被りすぎだよシノハラさん。僕はもっと打算的にしか行動出来ないヤツなんだから。
「まぁ、さすがに今日ので懲りた部分もあるし……、うん、これからは気を付けるよ。」
とりあえず、こう言うしかないよな、とまた僕は打算的な回答をした。
「じゃあ、これからは無茶しないって約束してくれますっ?無茶して大けがしないって。」
シノハラさんはそう言って小指を立てて僕に向けた。なんだかやけに小さな小指だった。確か小指の小さな女性は子宝に恵まれるなんて話を聞いた事があるような。思わずシノハラさんの意外とふくよかな腰回りを眺めてしまった。正直、シノハラさんのスタイルはかなり僕好み。怪訝そうなシノハラさんは「ん!」と言ってさらに小指を僕の方へ近づけた。邪な視線はバレなかったようだ。
僕はすぐに小指を出して指切りをした。
指切りげんまん、はりせんぼんのーます。
げんまんは一万の拳。約束をたがえたら一万回殴られるって事だ。はりせんぼんは、ハリセンボン?針千本?で友達と論戦になった事がある。まぁ、針千本に決まっているが、バツとしては決して魚のハリセンボンの丸飲みもかなりエグいし、僕はハリセンボンをお勧めしたい。
とはいえ、指切りなんて妹として以来か。そんな記憶に少し心が痛んだが、僕の事を心配してくれている女の子との指切りは、なんだかくすぐったいぐらいフワフワした感覚だ。悪くない。そんな感想だ。
よく分からないがその時、僕達はフック状の小指を絡めたまま、しばし見つめあってしまった。
急に顔を真っ赤にしてシノハラさんは視線を外した。その仕草がとてもかわいくて僕もつられて照れる。
どちらからともなく外した小指にはしばらくシノハラさんの感覚が残っていた。
シノハラさんは「じゃあ、約束ですからね…。」と言って背中を向けた。僕は「はい…」と言ったものの、直立不動のシノハラさんの後ろ姿に戸惑った。
「あの……、ソメヤさん……。」
「は、はい…。」
「約束守ってくれて、無事に街に戻ったら……、また、デートしましょうね。」
そう言って彼女は足早に退室していった。
またデート。デートってこの間の市場での買い物の事だろうな……。いいな。それ。
ただ、この夜の約束が僕にとってあんなフラグ立てになっていたとは……。そりゃ、誰だって気が付かないよな。無茶はしなくてもあんなどうにもならない死に目に会うなんて……。
夜を溶かすように朝の光が、地平の遥か彼方から滲み出していた。昨日、誰よりもベッドにいた僕はみんなに先んじて、そんな彼誰時の空の色の変化を楽しんでいた。そんな清々しい清涼とした朝の空気の中、たいして当たりもしない予感が僕に纏わりついて来た。
今日、この冒険での山場的な出来事が起こるだろうと。確かに、既に随分と僕達はこのフォイールドの深部まで来ていた事を考えれば、予感ではなく予測として「そろそろ」というだけなのかもしれないが。
普段、決して朝が強くないこの僕が、こんな時間に外にいた事はある意味で幸運だっのかもしれない。
彼らの存在にいち早く気が付く事が出来たからだ。
地平線に生える白金色の陽の光の中に、黒く蠢く影を僕は見つけた。その数は正確には判断できないが数十の単位だろう。そしてそのシルエットはいかに遠目とは言え、疑いようもなく異形だった。人や、獣のシルエットではなかった。ちょうど中間の形、つまり獣人であるライカンスロープ達のものだろう。
彼らが大挙して移動をしているのだ。その先には僕らが目指している、このフィールドの最深部があるはずだ。彼らの移動はすなわち、このフィールドにいるヴァンパイアナイトを狙う者達の殲滅と考えていいだろう。僕はすぐにパーティーのみんな、そしてデルさん達を起こし、僕らもすぐに出立する事を告げた。
「あまり近づきすぎて、我々にその牙を向けるという危険も考慮すべきですね。」
出立前に、デルさんが僕に進言してきた。当然の指摘だった。無論その危険はある。だが、僕は一度しかまみえていないとは言え、ライカンスロープという種族の高潔さを感じていた。すべての者がそうであるとは言わないが、彼らはやみくもに人を襲うような種族ではないのではないかと考えていた。単純に彼らが好戦的な存在であるならば、このフィールドに大人しく留まっている理由がない。結界があるとは言え、すぐ隣には人間の街があるのだ。少なくとも街でライカンスロープへの警戒なんて話は一度も聞いた事がなかった。
「警戒しつつ彼らを追いましょう。距離と風向きはフクスケに管理してもらえばリスクは軽減できます。僕の予想では彼らの行く先に、ジャンクス達がいるハズです。これはチャンスでもあります。」
改めてデルさんは力強く頷くと、部下たちに状況を説明し、僕達パーティーの後方についてくれた。
僕はパーティーのみんなにも同様の事を伝え、さらに、もしかしたら今日、この冒険における最大の戦闘になるかもしれないと告げた。
ツボミさんは「望むところだ。」と勇み、セイラさんは「チヤっチヤっと終わらせて前に進むのです!」と煩わしさを隠さず、ナガイ君は「早く帰りたいです…。」と相変わらずで、フクスケは「いよいよですね。」と好奇心で目を輝かせ、そしてシノハラさんは「みんな無事に戻って下さいね。」と心配そうだった。僕は昨夜の事を思い浮かべ小指に触れた。気が付けば彼女も同じような素振りをしていて、お互い慌てた。
こんないつの通りの光景に僕はホッとしていた。実際に、ホッとする程度に、僕は緊張していたのだろう。その緊張はなるべく避けていた表現だが、いわゆる「嫌な予感」という奴だ。この感覚に取りつかれると、厄介なのは思考がネガティブな方向に舵を取る傾向がある事だ。
通学中に黒猫を見たり、バイクで赤信号ばかりに捕まったり、少しでも「ツイてないかも」なんて思考してしまうと、その日はロクな事がないという法則だ。
この日の僕は一体に何に対して不安を抱いたのだろう。早く気持ちを切り替えなくては、そんな事を考えながら僕はこの日訪れる激戦へ向かうのだった。




