3-B
長い山道を抜けた先、山の一部を切り取って出来たかのような崖の下の洞穴、二人はそこに誘われた。中からは人工と思しき蒼い灯が漏れており、それがその洞穴もまた自然に出来たものではないということを予想させる。そして、崖の上には下でも見えた建造物の姿が確認できた。
「この洞穴はあそこに繋がっているのか?」
その可能性は高いように見受けられた。この子犬が自分たちを招き入れようとしているのであれば、人間がいる場所、或いは関わっている場所だろう。子犬は蒼い光の漏れ出るその奥へと躊躇いなく進んでいく。
「覚悟を決めて入っていくしかない。」
「そうだな。ここまで来て引き返すのもな。それに、あの子犬がわざわざ俺たちを罠にかけるような必要はないだろうし。」
子犬の『異形のもの』との戦いぶりからすれば、二人掛かりでもおそらく勝つことは叶わない。それに、あのじゃれ方は本当に魅華に懐いてのものだろう。そうルークには思えた。
二人は緊張しつつも、恐る恐る中へと歩を進める。予想通り、道中に罠が仕掛けられている、ということはなかった。また、壁面は人工物を思わせるよく磨かれた石、或いは水晶といった類のもので構成されているようであった。不思議なことに、その壁面自体が蒼く発光しているように見える。
「この壁面自体が蛍光灯の類なのか?だが、それにしては……。」
「いや。恐らくこの光は魔法の類。微かだけと壁内部から魔力が感じられる。」
壁面を手でなぞっていた魅華が答える。それを受けてルークも自ら触れて確かめる。
「……確かに。微弱ではあるが、これは魔力みたいだな。しかし、すごいな。この壁全てが魔導具、っていうことになるのか。」
魔法が一般的になった、といっても誰でも魔導具を持つことが出来る訳ではない。あくまでも一般的になったのは「魔法という存在」である。魔物たちへの唯一の対抗手段である魔法の発動に必要な道具。当然それは管理され、主に軍事用として最大限有効活用されている。そしてその性質故、各国でも保有出来る魔導具は制限を受けている。また、魔導具自体に関しても誰にでも扱える訳ではなく、それを使用し魔法を操るためには相応の訓練が必要である。その二つ、魔導具の製造とその使用者を育成することが出来るが故に、学園はその存在を何処の国にも属さない独立組織として認められ、尊重されているのである。
そんな「魔導具」で出来た壁、通路などというものは学園の中ですら見かけたことの無いものである。
「この壁の全部……、いや、一部でも持ち帰れれば貴重な資料になるのだが。」
そこまで言って、ルークは自身に芽生えた欲を自ら否定する。
「いや、まずはこの島からの脱出、学園への帰還を最優先に考えるべきだな。それが出来なければ単なる宝の持ち腐れだ……。」
「削って持っていれば明かり代わりになりそう?」
魅華も、気のない適当な受け答えをする。二人と一匹が通るに十分な道幅があるとはいえ、代わり映えのしない無機質な壁に囲まれ、先の見えない道を延々と進むのはかなりの精神的圧迫を受ける。二人は気を紛らわすかのように、実のない会話をしながら歩き続けた。子犬は時より振り返って二人の姿を確認しつつ、黙々と先へと進んでいった。
そして、一、二時間とたったところで、ようやく壁から発せられているのではないであろう別の明かりが見えてきた。恐らく、この先はかなり開けた場所となっており、かつ光で満たされているのであろう。
「ようやく終点か?何か開けた部屋のようなところがありそうだが……。」
「とりあえず、行ってみるしかない。」
先導する子犬は、二人の会話を意に介すことなく、そのままその明かり中へと進みいく。その様子を見て、意を決し、後に続いて二人は明かりの中へと踏み出す。すると……。
「これは……!」
その先は予想通り、何百人と人が入りそうな大きな部屋であった。何階分かを吹き抜けとしたような高い天井をもったドーム状となっており、地面と壁面には見慣れる文様が描かれ、それ自身が光輝いている。そして、中央には台座のようなものが置かれ、その上空数メートルのところまで天井から見慣れぬ機械の円筒が突き出していた。先に中へ入っていた子犬はその台座の手前で振り返り、二人を見つめている。
「これは部屋自体が魔導具だということなのか?こんなものは聞いたことも無いぞ!」
ルークは思わず驚嘆の声をあげる。そして吸い寄せられるように二人が台座へと足を進めたところで、更なる異変が二人を襲う。文様の光が輝きを増し、二人を飲み込んだのだ。その光とは対象的に暗転していく周囲に飲み込まれ、二人は闇へと墜ちていく。気付くと、二人が入ってきた入り口は既に閉まっており、周囲同様に闇と同化し消えていた。
―――――
血。血。夥しいほどの血。地面を染め上げる大量の真紅。そしてその所々を彩るグロテスクな桃。肉片。人の容貌を残した何か。肉片。残骸。その残骸が安置されているのは静寂なる瓦礫の山。建物の跡。石屑。何かを容れるためのもの。その残骸。
空は紅く染まり、空気は血の臭い、残骸から撒き散らされる粉塵で満たされている。いたるところで上がる真紅。世界は朱で染められている。
そして空を、陸を占める無数の異形たち。それを迎撃せんと戦う人、人、人。魔法が、光が、炎が行き交い、周囲の色を更に濃く染め上げる。そして倒れる人、人、異形。ある者は異形の顎に噛み砕かれ、半分となった頭蓋を地に埋める。ある者はその爪に切り裂かれ、半身だけが地に倒れふす。ある者は焼き尽くされ、骨すら残さず蒸発して霧散する。異形もまた然り。ただ残骸は溢れんばかりに増殖し、更に世界を埋めつくす。
……ここは一体どこだろうか?
そして、悟る。ここは彼が見慣れた街。彼女が生まれた町。彼等が共に過ごした場所。それらが燃える、染まる、埋め尽くされていく――。
今潰れたものは、かつて彼に話しかけていたものだろうか?今散っていったものは彼女に微笑みかけていたものだろうか?分からない。だが、命は消され、形は崩れ、全てはただの骸と化していく。
そんな中、雄々しく吼え、空を舞う竜が一体。吐き出す閃光は異形のものを軽々と薙ぎ払い、その爪が、尾が、彼等を残骸に変えていく。だが、それでも異形の数は一向に減ることは無く、ただ、周囲に積み重なっていくだけ。それでも竜は戦い続ける。そして人も。ただ、ただ戦い続ける。いつ果てるとも知れぬ戦いに臨み続ける。彼等に出来ることはただ一つ。残骸を増やし続けることだけだ。自身がその中に加わることになろうとも……。
――彼は悟った。これは自分たちだと。終わり無き戦いに身を委ね、無数の骸を創成し、そして自身者その中に加わるのだと。
――彼女は悟った。これは未来の自分たちだと。そして、これが避けようの無い未来の姿であると。そして彼女は知る。多くの友人たちはこの中にあって、骸を積み重ねるだろう。だが、自分は……。
終わり無き戦いは続く。そして、ようやく少し空を埋め尽くす黒き影が減り始めたかに見えたその時。
「亀裂……、なの?」
空に突如として現れた亀裂が、残った影を飲み込む。そしてそれは除々に広がっていき、空の半分を占拠したところ停止する。その深淵の闇の中に浮かぶ巨大な瞳。生あるものへの敵意を宿したその輝きは、次第に勢いを増していき――、闇の向こうに存在する何者かが這い出てくる!
「!?」
その刹那、周囲は更なる漆黒に埋め尽くされた。そして、その闇に煽られ、飲み込まれた二人は、そのまま意識を手放した……。