2-B
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頂上付近に見えた建物と思しきものを目指し、山道を登り始めて早一時間が経っていた。未だ陽は落ちていないとはいえ、若干暑さが和らいできていた。そんな中、二人は突然とある“違和感”と出会う。
「何か、変……?」
魅華の口から、その違和感が声として漏れる。そして、ルークもそれに応えた。
「……そうだな。何かがおかしい?周りにあった、動物たちの気配も感じないし……。」
「それに、何?この感覚は?まるで、何か、日常に“非日常”が紛れ込んできている、そんな違和感があ
る……。」
周囲に溢れんばかりに感じられた動物たちの気配がいつの間にかひとつ、ひとつと消えていた。加えて、自由奔放に空を駆けていた鳥類の姿もいつの間にか見えなくなっていた。そして、それらの気配を代替するかのごとく、異質な気配が周囲に紛れ込んでいる、そう二人には感じられた。
二人は尚も周囲に気を配りながら進む。引き返す、という選択肢もあるが、先に進まないことには何も見えてこない、少なくとも何か情報が得られるだろうと二人は確信していた。そして、暫らく進んだところで、木々が擦れ、なにものかが争いあっているかのような物音、そして獣の吼えるような声が聞こえてくる。
「何かが戦っている、の?こんなにも平和そうな“楽園”だというのに?」
思わず疑問の声が魅華から漏れる。
「そうだな……。獣たちが争っている、にしては何かが違う気がするが……。」
ルークも同意する。二人はそのまま、慎重に周囲を窺いつつも、急いでその物音へと近づいていく。そして、その先で二人は奇妙な「争い」を目撃する。
まず、若干、木々もまばらとなった平地の中央に、白い子犬のようなものの姿が見えた。その子犬の毛並みは乱れており、小さな体のところどころに傷を負っていた。特に深いのは左前足に刻まれたもので、未だに流れ出ている血が地面を濡らしていた。しかし、そんな状況でも子犬は平然と大地を踏みしめ、その前方へと闘志のこもった双眸を向けていた。その姿は、あたかも『百獣を統べる』かのごとき覇気すら感じさせる。
「犬……、ではなさそうね。もしかして、竜……なのかしら?」
よく見ると、その子犬の背中には、豊かな白い毛に埋もれて見分けがつきにくくはあるが、羽のようなものが生えていた。そして、同様に小さくはあるが頭に角のようなものが。その姿は、噂に聞く「竜」の姿のようにも見える。
「周りに何かいる……な!」
その竜と思しき子犬を取り囲むように、黒い影の姿が見えた。そして、それをみた二人は確信する。周囲を取り巻く「違和感」の正体はその影であると。
黒い影は、全てが同じではなく、異質な形状を取りながらも、それらが全て同種のものであること、この世界とは異質なものであることを二人に確信させた。そしてまた、それらが子犬だけではなく、自分たちにとっても「敵」であるのだ、ということも。
子犬は圧倒的な多勢を相手にも怯むことなく、悠々と体を一度伸ばし、よく透る声で啼く。よく響くその音に誘われて、子犬の周囲を取り囲むように、無数の光球が現出する。
「あれは、魔法?ということはやはり竜なの?」
魔法を操る獣。それは神話、或は御伽噺にしか出てこなかったはずの生き物。魔法が一般的に認知されるようになったこの時代にあっても、そうそう出会うことの無い幻獣。先ほどの一角獣といい、それらが平然と生存するこの場所は一体どこなのか。そういった疑問が再度二人の頭をよぎる。
そんな二人をよそに、子犬は光球を自在に操り、影たちへと襲い掛かる。影たちもそれをかわして、反撃しようとするが、巧みに操作された光球はそれを許さず、願い違わずに打ち貫いていく。影たちは為す術もなく、声にならない断末魔をあげながら一体、また一体と消滅しいった。
「すごい、な。あれほどの数を自在に操るとは。どんな精神構造、空間把握能力をもっていれば、ああ出来るんだ……?」
ルークが思わず驚嘆の声をあげる。そして、それは魅華も同感であった。ただ、彼女の場合は、驚きだけでなく、ある種の喜び、気分の高揚を同時に感じていた。あたかも彼女の中に燻ぶっていた何かを呼び起こすように。
「……!」
そんな中、しぶとくも消滅を逃れたた影が、子犬の死角から攻撃を加えんと、近づいていくのが見えた。
「危ない!」
思わず、息を潜めていたことも忘れ大声を張り上げる魅華。と、同時に体が動いており、彼女でも使える簡単な攻撃魔法、光の矢をその影へと放っていた。その矢は一直線に影に突き刺さるが、彼女の魔法では威力が足りずあっさりと弾かれる。しかし、子犬にとってはそれで十分な時間であった。影が再度子犬へと向かおうとしたときには、既に『射程』に捕らえられていた。口元に光弾を湛えて向き直った子犬は、そのまま影へとそれを吐き出す。そして、それは狙い違わず影を捉え、そのまま食い破ると同時に影を霧散させる。
「凄いな!」
遥か後方に着弾した光が引き起こした爆音に揺られながら、再度ルークが驚嘆する。魅華の魔法が気をそらしていたとはいえ、恐ろしいほどの反応速度、そして攻撃能力である。仮に彼女の加勢がなかっとしても、間違いなくあの奇襲も切り抜けていただろうと想像がつく。
子犬は、影たちの霧散を見届けると、不審者たる二人へと警戒の視線を向けてきた。魅華が加勢とも見える攻撃を影へと放っていたのは把握していただろうが、それだけで信用して貰えるほど気安い存在ではないようだ。
「ん!お、俺たちは敵じゃないぞ?分かるか?……てっ、言葉は通じないか。」
ルークは両手をあげ、子犬へと敵意の無いことをアピールする。しかし、当然のことながら相手には意味が通じておらず、寧ろその動きに対して警戒の唸りを上げられる。
「ん~!どうしたもんかな……。」
ルークが尚も、どうにか相手へと伝える手段がないかと思考をめぐらせようとしたが、そんなことは意に介さず、魅華が前へと歩き出す。
「お、おい魅華!流石に危ないんじゃ……!」
ルークが静止しようとするが、魅華は無視してそのまま進む。当然、子犬は警戒色を強め、魅華へと視線を投げかける。
「大丈夫。私、敵……じゃない。分かる?」
魅華は両手を横に広げ、もう数歩のところで立ち止まると、子犬へと優しく話しかける。それを見ながらも、暫らくの間低く唸っていた子犬であったが、やがて敵意がないことを悟ったのかやがて声を止め、静かに若干柔らかくなった視線を魅華へと向ける。
それを見た魅華は再度ゆっくりと歩きだし、子犬の元へと辿り着くと、そのまま抱き上げる。そして、そのまま足のところに手を沿えながら、魔法を紡ぎだす。
「ちょっと我慢していてね。直ぐ治してあげるから……。」
優しく、暖かな光が魅華の手のひらから溢れ出すとともに、それに呼応して子犬の前足に刻まれていた深い傷が徐々に塞がっていく。子犬は、くすぐったそうに少し身を捩ったが、その腕から抜け出したりしようとはせず、大人しく抱きかかえられている。暫らくすると、傷は塞がり、子犬は健常な姿を取り戻す。
「これで、大丈夫。」
癒し終えたところで、魅華が腕の力を緩める。自由に動けるようになった子犬は、甘えるかのようななき声を上げると、お礼といわんばかりに魅華の頬をなめる。
「……んっ、くすぐったい、よ。」
今度は魅華の方が、くすぐったそうに身を捩る。思わず口から漏れた、その思いのほか艶っぽい声に、ルークの胸は高鳴る。
「ううん、これはこれで……。いや、だが……。」
と、ルークが意味不明な呟きをもらしていると、一通り魅華とじゃれあって満足した子犬が、腕から飛び降りる。そして、暫らく山頂側に歩を進めると振り返り、先ほどのユニコーン同様についてこんとばかりに、二人へ視線を送る。
「……いくか?今度も、上手い具合に案内して貰えそうな感じがするが。」
「そうね。あの子もついてこい、って言っているみたい。」
そういいながら、二人は子犬に連れられて一路山頂へと向かうこととなる。