地底行脚
地下に続く暗がりに再び進入したときも、警戒は怠らなかった。
さすがの彼女たちにも理解できたことがある。
さっきからの一連のムカデとの遭遇は、絶対に単なる偶然ではないということに。
縁戚のオバさんが噛まれた20cm台、トカレフで頭を撃ち抜いた分と居間で蠢いていた1m台、そして何よりあの巨大な化物サイズ。
すべてが関係あるはずだ。でなければ、これほどの事態が起こるなんてことはありえない。
あの巨大なサイズがボスで、残りを操っていると見るのが妥当だろうか。
それとも、あんなのが実はうようよしているのか。
しかし、正体などについては考えるだけ無駄だ。
何よりも逃げることが最優先だった。
幸い、今は恐怖で身体がすくむということもなく、まだ逃げるだけの体力も意思も残っている。
もしパニックでも起こしていたら、そのままB級ホラー映画のような展開になって、バラバラに行動した挙句、全滅していたかもしれない。
ムカデについての知識を有する沙巳子の忠告に従い、無闇に壁や床に手を伸ばさないようにする。
薄暗がりに潜んでいるムカデに噛まれることを避けるためだ。
金属の筒の中の梯子を下り、弓のあった鍾乳洞の一室に戻った。
どうやらここまでは怪物ムカデの手下どもはまだ達していないらしい。
うまくいけば逃げられるかもしれない。
入口の大きさを考えると、あのデカイ奴はまず入り込むのは無理だろうし。
「あたしが先頭に立つよ。ナッツー、ヘルメットを取り替えて」
「じゃあ、私が殿ね。……ライトはここを押すとつくよ」
お互いにヘルメットを替えると、手に拳銃をしっかりと抱えたひかりが前に踏み出す。
普通なら怖くて仕方のないはずの拳銃という凶器がものすごく頼りになる。
この状況は本来ならありえないはずなのだが、すでにかなりの割合でいっぱいいっぱいの彼女たちには余計なことを考える余裕がない。
それでも彼女たちはまだ冷静な部類といえた。
普通なら、もう少し人は狼狽えて沈着な判断を下せなくなるに違いない。
そうなった要因の一つとして、ひかりのヤクザの父親が隠していた拳銃の存在があるのだから皮肉なものである。
「まったく。うちの腐れヤクザのバカ行動がみんなのお役に立つなんて、世の中は皮肉と逆説に溢れているわね」
「さっきから思っていたけど、ひかりちゃんてピストルが似合うね」
「わーい、ありがとー。……ってありがたくないわ!」
鍾乳洞の中は、一本だけ引かれたケーブルによってところどころに電灯が点いていた。
誰かが設置したものだろう。
この場合、誰かというのはもちろん勢多家の人間であろうが、沙巳子が知らないということは、祖母の里か跡取りであった父親あたりが有力となる。
三人がそれぞれ持つライトと、備え付けの電灯のおかげで完全な闇というワケではないが、観光地になる鍾乳洞に比べればまったく先が見えないに等しい。
しかも、足元も舗装されているわけではなく、木がボルトで打ち付けられている程度でいつ転ぶかわからない頼り無さだ。
手すりなども当然ない。
たまにくさび型のフックが刺さっているのが、おそらくは先人の親切なのだろう。
できる限り、冷たくて堅い洞窟の胎を触らないようにする。
用意していた軍手が冷たくなると体温を奪われやすくなりそうだからだ。
電灯を目印にして歩んでみるが、足元の不安定さを考えるとほとんど遅々として進まない。
「うわっ」
ひかりが零れおちた水滴に気を取られ、足を滑らし、尖った鍾乳石に転びそうになる。
拳銃を構えていることから、すぐに体勢を整えられなかったのだ。
後ろから沙巳子が服の端を握る。
おかげでひかりの転落は防がれた。
「危ないなー」
本人は額の汗を拭いながらあまり恐怖を感じていないようだが、その様子を見ていた小夏からすれば背筋が凍りつくような光景だった。
一歩でも油断すれば、ここでは死に直面する。
「気をつけよう。一緒にここを抜けて、あのムカデから逃げるんだ」
「うん」
小夏の励ましに、沙巳子が答える。
ついさっきまで巨大なムカデに怯えていた彼女だったが、むしろ探検しているこの鍾乳洞の危険性を意識したことで逆説的に前向きになっていったようだ。
そうなると、武人であるはずの小夏が一番ヘタレだす。
彼女は勝負事に関しては強気だが、女全般が持つ一種の逞しさのようなものは極端に足りない。
開き直り、感情を優先して振舞うことで、目前のトラブルに立ち向かうという図太さを有していないのだ。
(大丈夫なのかな、転んだりしたら大怪我しそうだし。でも、ひかりはともかく、沙巳子さんまで張り切っているのに、私だけ怖がっているのはみっともない……)
「あ、ひかりちゃん、多分、こっち側」
「よし、ナビはまかせた。いくよ、サミ」
「らじゃー!!」
どことなく妙なテンションを発し始めた二人についていけないものを感じる。
一方で小夏のテンションはダダ下がりだ。
(うー、怖いよお。二人がいてくれるからいいけど、もしはぐれちゃったりしたら、私じゃなにもできないよぉ。)
暗くて良かったと小夏は思う。
目尻に溜まった涙を見られずに済む。
彼女は女為朝と呼ばれた少女にしては、脆すぎる涙腺の持ち主でもあるからだ。
怪物と対峙していた時は、決意に身を任せ、戦に挑む侍のごとき心境に至っていたのだが、鍾乳洞の冷気に頭が冷やされたのかどうにも生来の泣き虫が蘇りつつあった。
(嫌だァよぉ。怖いィィ。助けて、朋輪くーん。ママぁ、パパぁ)
すでに泣きべそ状態の彼女のことに、前の二人は気づかない。
啜り上げないだけまだ我慢している方だ。
肩に背負っていた弓を握り締める。
それだけで精神的に落ち着いたが、自分の弓ではないため、ライナスの毛布とはならない。
しかし、改めて弓の存在を意識したことで、弓道家としての小夏が引き戻されてくる。
剣士が愛刀を握って精神を落ち着けるように、小夏は弓にすがることで心を静かにさせることができるようだった。
同時に、
(夏木は強い女の子だよ。ガンバレ! 負けるな、小夏!)
かつて聞いたことのない台詞で彼女を励ます、憧れの男子の姿が思い起こされる。
しかもいつもの制服姿ではなく、どういうわけか執事のようなタキシード姿で、耳には輝く石のピアスまでついている。その上、腰には宝石が大量にしつらえられたサーベルを鞘ごとぶら下げていた。
わりと美少年に含まれる容姿の朋輪なので、まるで王宮に仕える騎士のように着飾られていると美形度五割増しになるようだった。
(すごい、朋輪くん、ベルバラのアンドレみたい!!)
はっきり言えば妄想なのだが、もう思考がマズイ方向に振り切れだしている小夏にはわからない。
武道家としての魂のようなものが、いきなり憧れの男子への恋心にすり変わり、自分を鼓舞するために妄想をはじめだしたのだ。
小夏は追い詰められるとイタい妄想に溺れ始めるという悪癖の持ち主だった。
徐々に口元が緩みはじめ、どんどん目つきが怪しくなっていく小夏だったが、ひかりたちは探検に夢中で気がつかない。
実はひかりたちも、ムカデの恐怖との葛藤の末、わざと空元気な振る舞いをしているのだが、もっと重症な人が後ろにいるということにまでは当然わかるはずもない。
わかったとしてもどうにかなるものでもないが……。
もっとも、小夏にとっては妄想というのは大事なものでもあった。
神経や気を集中させるために自らをお手本となる他者と同化させ、そして自分を俯瞰的に見据えるために。
妄想はある意味、その副作用のようなものであった。
今の小夏は、自分が困ったときに助けてくれるものとして、敬愛する人物をイメージして、それが朋輪だったというわけである。
そして、それが功を奏する。
「朋輪く……ん……」
朋輪を着飾る妄想をしていた彼女の記憶の中枢が突然刺激された。
確か、あれはいつだったか……。
ムカデと弓矢。
その組み合わせを聴いたような覚えがあった。
あれは確か!!
俵藤太だっけ!!
彼女の勘が何かを告げていた。




