発見
突然、どこからともなく聞こえてきた女の悲鳴に、三人は顔を見合わせた。
友人たちはみんな揃っている。
そうであるならば、この声の主は一体誰であろう。
咄嗟に反応したのは小夏だったが、冷静に捉えていたのはひかりだった。
「……誰? どこから聞こえてきたの?」
「サミ、さっきのオバさんじゃない。まだ、ここにいるんでしょ」
「うん。ノートを持ち出したときは確かにいたよ。客間に一人で座り込んでいた。貴志さんの帰りを待っているんだと思ってたけど」
「それ、誰?」
「あの人の旦那さん。お祖母ちゃんの葬式が終わってから、家にも戻っていないから心配して訪ねてきたって言ってた」
「じゃあ、かなりの確率で当たりね。そのオバさんの声よ」
「でも、どこから聞こえてきたのか、わからないよ。この家ってとっても大きいから」
「わりと近かったような感じだったけど……。私、ひとっ走りして外の方を見てこようか」
「よし。手分けして探そう。庭はナッツー、あたしとサミは屋敷の中。あたしは玄関の方から居間や台所の方を探すから、サミは奥の方を見てきて。ざっと見回ったらここで合流。何があったのかよくわからないから、一度戻ったら、三人が集合するまでずっとここで待機。いいね」
小夏と沙巳子は頷いて、すぐにひかりの指示通りに動き出した。
このあたりは部活で共に過ごしていたこともあって、以心伝心の類である。
修学旅行の夜に起きたトラブルの際にも、三人は息の合った連携を見せて解決に導いた経験があった。
尾野屋ひかりの咄嗟の判断力は、生い立ちの関係から内省的だった自分を省みることから始まり、積極さを養うことで培った後天的な資質であったが、常に意識して決断することによりなによりも彼女自身を助けている。
親友たちは、そんな彼女を信頼していたので、その指示を忠実にこなすことに躊躇わなかった。
小夏は一度玄関に向かい、そこから靴を履いて表に出た。
訪問時とは違い、外はひどく曇っていて、もうすぐ雨が降る前触れのように薄暗い。
壁掛け時計を見るとすでに午後二時。
さっきまでの話し合いで相当の時間をかけてしまっていたらしい。
この屋敷の庭がどうなっているかはわからないが、多分、母屋とは反対側だろうとあたりをつけて、急いで駆け出した。
勢多家の庭は、この規模の屋敷のものとしてはこぢんまりとしており、漆喰と瓦でできた塀の内側に丈の低い植木が列をなし、山水を意識した配置の岩が並べられて、玉砂利が敷き詰められている和風なものであった。
こまめに手入れされているらしく、全体的に荒れた印象はない。
祖母と孫娘の二人暮らしで維持出来るはずもないので、おそらくは出入りの職人さんでもいるのだろう。
何事もなければ、散策してみたいと思わせる風情があった。
一瞥して何もなさそうなので、そのまま奥まで突っ切ったが、どこにも異状は見当たらない。
もう少し奥まった場所には母屋の壁が邪魔をしていけそうになかった。
塀の向こうは自然林になっているらしく、誰かがわざわざ入り込んでいるとは考えられない。
それでも万が一を考え、無理をして飾り石を足場に背伸びをして覗いてみたが、木々の枝がいたるところに伸びていて、まともに動けそうな場所ではない。
地面も落ち葉が堆積し、さらに雑草が密集していて、まともに歩くことも容易ではなさそうだった。
はじき出された結論は、庭の方には誰もいない、ということ。
ひかりたちにその旨を報告しようと、携帯電話を取り出したが、圏外の表示が出ていて、かけることができない。
普段の沙巳子が、例の階段を降りてから麓の家の周辺にまで行って、初めて通話できると言っていたことを思い出した。
今時の女子高生が手放しで喜べる環境ではない。
仕方ないので、またも急いで集合場所に戻ることにする。
この程度の移動では息も切れない。
小夏は体力と料理、そして弓道だけには自信があるのだ。
走って戻ると、なぜか玄関で二人が待っていた。
「どうしたの?」
そわそわした様子の二人に問いかけると、ひかりが答える。
「多分、声の聞こえたところがわかったんだけど。ナッツー、手伝って」
「いったい何を手伝うの?」
意味がわからずオウム返しに問い返すと、沙巳子から年季の入ったスリこぎを渡された。
胡麻のいい匂いがプンプンする檜製だ。
これも意味がわからなかったが、ひかりの手に握られていたのがバールのようなもので、沙巳子も金づちを抱え込んでいたことから理解できた。
要するに護身のための武器だ。
「私がそっちを使うよ」
ひかりからバールのようなものを奪い取り、代わりにスリこぎを渡す。
背の低い彼女よりも、小夏の方が膂力はあるしリーチも長い。
それに戦うのは自分だという強い意識が小夏にはあった。
大会において最も顕著に発揮されてしまうのだが、小夏はいざ戦いという局面になると脳内麻薬が大量に投下されるのか、一気に戦う気持ちが前に出てしまう傾向がある。
それを闘争本能というかはさておき、小夏が激しい競争に闘志を燃やすことを好むタイプであることは疑いない。
常日頃は穏やかさを好む性質の持ち主ではあるが、彼女自身はそんな自分が嫌いではないのだが。
小夏の意図を汲み、ひかりが彼女に先頭を譲り、三人は例の悲鳴が聞こえたものと思われる場所に向かった。
そこは階段の下にある目立たない扉だった。
足元には開錠された大きな南京錠が転がっている。
半開きになっていることに沙巳子が気づいたらしい。
だが、自分の家でありながらかつて一度も踏み入れたことのない場所ということもあり、開けるのを躊躇っていると、中からうめき声のようなものが聞こえてきた。
なんとなく聞き覚えのある声。
おそらく貴志の妻のものだろう。
覚悟して飛び込もうかと思ったが、逆側から来ていたひかりに止められた。
様子がおかしい。
何か、尋常ではないことが起きているかもしれない。
例えば、武闘派の泥棒が入り込んでいるとか。
二人で行くよりも、とりあえず主戦力として相応しい小夏との合流を優先しようというひかりの提案に賛成して、台所などを巡って装備を整える。
頼みの主戦力がすぐに引き返してきたので、納戸から引っ張り出して用意しておいた武器を装備させ、いざ突撃となったのである。
さすがは、ひかりだ。
小夏は親友の用心深さに感嘆した。
今、この広い屋敷には若い女ばかりしかいない。
なにかが起きた時にはまったく腕力が足りていない状況だ。
バラバラになるのを避け、戦力を結集するのはまさに兵法だろう。
こういうところが、尾野屋ひかりという少女がちょっとだけ武将気質の小夏に好かれるところでもあった。
扉の中は灯りのついた通路になっていた。
初めて入る自分の家の未踏破部分に沙巳子は驚いた。
「こんなところがあったなんて、お祖母ちゃんもお手伝いさんも教えてくれなかったよ……」
「普段は鍵がかかっているみたいだから、サミにはわざと内緒にしていたんじゃない。あのオバさんがどこから鍵を持ち出して開けたかはわかんないけど」
確かにそういうことがありそうだった。
なぜ、あの女性がそういう真似をしたかについては想像できなかったが。
このぐらいの年齢の少女たちにとっては、常日頃から盗癖を有して、周囲に迷惑をかける人々がわずかながらに存在するということは想像の枠の外にあったからだ。
「待って」
小夏が後ろに続く二人を制した。
「誰か、奥で苦しんでいるみたい」
慎重に近寄ると、丸い金属の筒が中央にある、狭い室内の床で中年の女性が倒れて呻いていた。
右手を押さえて、苦しそうな呼吸のままじたばたと足掻いている。
やはり、貴志の妻―――瑞穂であった。
「どうしました?」
遠目から声をかけても返事はなく、戻ってくるのは既に言葉にならないかすれ声だけ。
忍び足でそばによって様子を見ると、彼女は悶絶してほとんど気を失っている状態だった。
こちらの存在にまったく気がついていない。
「手をはさんだのかしら、あれに」
「あの蓋のこと? そんな風には見えないけど」
「右手が気持ち悪い感じで真っ赤に腫れているよ。何かに刺されたのかな」
「蛇とか?」
「ちょっと待って。蛇だったら怖いよ」
丁寧に見落としがないように足元を観察すると、瑞穂の頭の下あたりを這いずり回る黒い長いものを見つけた。
「ムカデだ!!」
「でっかいよ!!」
「触っちゃダメ!!」
これほど大きなムカデを初めて見た三人は声をはり上げた。
そしてすぐに理解する。
彼女をこんな目に合わせた下手人はこいつだと。
自分たちも刺されたくないので、すかさず小夏がバールのようなものの先端で床を這いずる動きの鈍い生物を叩いた。
二度、三度……。
生命力の豊富なムカデはすぐには死ななかったが、何度もバールのようなものの頭部分で擦りつけるとようやく動かなくなる。
「ムカデに刺されると痛いらしいよ」
「見るとわかるね。……大丈夫、オバさん?」
声をかけてみてもまともに返事もできない女性を、仕方がないので小夏とひかりで抱え込んで外へと運び出す。
通路は一人が通れるぐらいの広さしかないので、運び出すのにかなりの苦労があったが、人助けということもあり、なんとかやり遂げる。
客間に布団をしいて、ほとんど悶絶するだけで身動きもしない女性を寝かしつけていると、沙巳子がいつのまにかいなくなっていた。
そのため、許可なく押入れから布団を出す結果となってしまい、勝手にやりすぎたかなと反省する。
二人とも生真面目な優等生タイプでもあるからだ。
「あー、スマホが繋がらない」
「やっぱり圏外なの?」
「うん。このままだと救急車が呼べないなあ」
「下の家までいかないと電話もできないって話だったよね」
「まったく、サミたちもよく我慢できるよね。……まあ、ご先祖様がずっと暮らしていたおうちなんだから仕方ないか。歴史のあるおうちって大変だなあ」
ひかりの家は、父方は普通の農家だし、母方も勤め人の家系で、勢多家みたいな古い歴史も財産もない。
少しだけ羨ましかったが、庶民には庶民の自由さがあるというものよ。
開き直って、小夏に向き直る。
「じゃあ、このおばさんが目を覚ましてから下まで連れて行こう。それまでにムカデに刺された時の対処をしておこうか」
「ムカデに噛まれるのって、そんなに痛いの?」
「このオバさんを見る限り、かなり痛そうだけど……」
「昔、テレビでやっていたけど、ただ噛まれるだけじゃなくて、毒があるらしいよ。蛇みたいな」
「検索すればわかるかな」
「圏外じゃん」
ひかりは手に持った便利な情報端末が役には立たないことを改めて思い知らされた。
そうなると、沙巳子に聞くか、この家のどこかに家庭の医学の本か何かがないと簡単な治療もできない。
すると、この家の主となって間もない少女が戻ってきた。
「ごめん、サミ。勝手に……」
「ひかりちゃん、聞いて!!」
「布団だしちゃって」
「そんなことじゃないの!! わかったの!!」
「……えっと、何が?」
「お祖母ちゃんの日記にあったこと。何が書いてあったのか!!」
「マジで?」
二人は、そのまま彼女の部屋に連れて行かれ、先程まで開いていた一冊目の鍾乳洞のノートを見せられた。
そして、沙巳子は一枚の地図を指差した。
「ほら、ここ。ここが、さっきの部屋なんだよ」
彼女が指差した場所には、筒状の簡単な図が描かれていた。
それはさっきの部屋の中心にあった金属性のものに酷似していた……。




